『キング・オブ・コメディ』 マーティン・スコセッシ 1983

ぼく個人としては身につまされる作品です。 
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 ロバート・デ・ニーロ扮するコメディアン志望の男の話です。これはぼくにとって、なかなか身につまされるところのある映画でした。デ・ニーロ演ずるパプキンは人気コメディアンのジェリーを追いかけ、彼の番組に自分を売り込もうとするのですが相手にされず、最終的には暴挙に出てしまいます。要は、いわゆる「痛いワナビー」の話なんですが、ぼくとしてはこのデ・ニーロに入れ込んでしまいます。

 デ・ニーロ扮するパプキンは傍から見ればもう痛々しい人間なんですよ。三十歳半ばでろくに仕事にも就かず、そのくせ自分では才能があると思い込んでいるからただひたすら芸の売り込みをしている。誰にも相手にされず、家で自作のテープを吹き込んでいるとおかんに怒鳴られる。好きな女にも愛想を尽かされ、唯一の話し相手となるのは同じような痛いファンのブスな女だけ。このパプキンの痛々しさはねえ、なんというかただ笑ってはいられないものがあるんです。

 格闘技ものとかスポーツものとかでも「負け犬もの」は数多くあるし、それらにも魅せられるぼくですし、それ以外でも負け犬の哀しさを描いた素晴らしい作品は多いですが、この映画の場合、それらと違うのはなんといってもモチーフが「コメディ」であるということですね。格闘技とかスポーツとかなら、負けた、勝ったというのがまだ明白じゃないですか。だからぜんぜん違う悲哀があるわけです。今年の個人的ベストワン候補である『レスラー』、あれはプロレスという、普通の勝負事とは違うものではあったけど、あれの場合は既に最盛期をとうに過ぎた男の話です。あれともこの『キング・オブ・コメディ』のパプキンは違うわけです。パプキンはまだ評価されたこともなければ、そもそも勝負して勝ったり負けたりした歴史さえ持っていない。でも、いやだからこそ、やはり確実に人生には負けてしまっている。なおかつ彼の没入するのはコメディ、芸能界という、なんとも曖昧模糊としたものであって、自分が負けていることをどうしても認めにくい部分があるわけです。

 ぼくなどもそうなんです。小説を書いて応募して、駄目で、で、いざ他人の受賞したものを読んでみればこれがもう何も面白くない。いや、それだけならぼくのほうの感性がおかしいということでも済みますが、実際文芸の世界で、それらの作品が評価を受けることもなく、また売れることもない。じゃあ結局何が面白いかもわかっていない馬鹿編集者どもの阿呆な選択じゃないか! 何を選んでいるんだよ馬鹿! と言いたくなるものなのです。

 話が逸れました。
 売れない芸人の話、という括り方もできなくはないですが、この映画のパプキンが実際にすることは要はストーキングです。目をつけたコメディアンのオフィスや家にずかずか乗り込んでしまうのです。それでこいつの哀しいところは、それを何の疑問もなくやってしまうことなんです。こんなことをしたら迷惑かな、とか思わないんです。体よく追い払われたとも思わず、「電話してくれ」という言葉を真に受けて電話を掛けまくり、「今度飯でも」というこれまた追い払う文句を真に受ける。本当に真に受けているものだから、こいつは始終楽しそうだし、真剣だし、だからこそ哀しくて、おかしい。おかしくて、哀しい。この辺も身につまされます。人間が吐く一番残酷な言葉のひとつはきっと、「今度」という言葉ですね。「また今度」。笑顔でそう言われた瞬間に、その今度はきっと永久に来ないのだろうとわかる。いや、その瞬間だけはどこか期待しているものだからこそ、やはり待てど暮らせど来ぬ「今度」を待ちわびて悲哀。

 ううむ、どうも話が横道に行く。
 映画自体はパプキンがおかしく、小ボケもいい感じで効いています。役者デ・ニーロは何度も観ているはずですが、今回が一番魅力的に思えました。誘拐にまつわるベタベタなボケもいいし、待合室のくだりも最高です。受付のババアとの間合いとか、警備員に連れ出されるくだりとか、面白いです。それでいて、あの書き割りに向かって練習するシーンのえもいわれぬ不気味さ。パプキンが映画の中で一貫して、「自分には才能があるのだし、先方も約束してくれたのだし」という態度を貫いている滑稽さ。熱狂的ファンの女のブス加減も適度でした。魅力を詳述するときりがないですね。

 ラストシーンは、どう解釈するか、別れるように仕向けられていますね。それともハッピーエンドを強要されたか。あの終わり方はあり得ないでしょう、と思う反面、ああだったら愉快だよな、というのも、あのパプキンが好きだからこそ思ってしまう。観終えた瞬間は、この終わりはどうなのかとも思ったけど、よくよく考えると、あれはあれでいいのかなあという気もする。現実とも妄想ともつかぬ形での終わりですが、ある意味で一番正しいのかもしれない。夢見るコメディアン志望・パプキンにとっては、現実も妄想も一緒くた、いや彼の目に映るのは、望むべき未来だけなのですから。
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by karasmoker | 2009-08-27 23:48 | 洋画 | Comments(0)
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