『マタンゴ』 本田猪四郎 1963

単純に面白い。そして日米のゾンビ観を比較するうえでも、非常に優れた作品です。
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 最近は『ウルトラセブン』をDVDで観ています。「一生ものフレバー」が香ったので、全巻購入することに決めました。いやあ『ウルトラセブン』は本当に名作です。すべての要素が味わいに満ちています。ウルトラセブンにならば抱かれてもいいです。モロボシ・ダン役の森次浩司に抱かれてもよい、という意味ではありません。アンヌ役の菱見百合子さんについては、四十年前の彼女であれば抱きたいです。今は抱きたくありません。『ウルトラセブン』の魅力についてもいずれ語りたいところです。そう言えば12月にウルトラマンの映画が公開されるようですが、一切観る気はありません。だって聞いてよ、ウルトラマンキングの声優が小泉純一郎だって言うんだよ。あのさあ、ほんとまじでいい加減まじめにやれや! 誰が喜ぶんだよそれ。そのほうが集客が見込めるって? 映画館に客を入れちまえばあとは知りませんっていうその考え方がもうどうしようもなく腐ってるんだよ! これ以上は言わないよ、でも、そんなやつが諸手振って、なんちゃらクリエイターだのかんちゃらプランナーだの言ってる現実にはまったく反吐が出るよ、反吐を分泌している臓物まで出てきちゃうよ!

「昔は良かった」なんてことを言うのは厭ですよ、でも、実際に昔のほうがいいんだよ、明らかに。四十年前のCGもなかった時代で、毎週のテレビ放映に急かされつつなんとか面白く見せようって頑張っていた人たちを尊敬するばかりだよ。

 さて、そろそろ落ち着いて映画の話をしよう。
 ウルトラシリーズの円谷プロ、その創始者である円谷英二が特技監督を務め、監督には『ゴジラ』シリーズの本田猪四郎、原案にはあの星新一まで携わっているという素敵な映画、『マタンゴ』です。カルト映画としても名高く、結構いいにおいがしたので、観てみました。

 無人島に漂着した男女七人の話です。無人島には食べものがほとんどなく、備蓄された食料も底をつく状況。島には生き物もおらず、しかし夥しいまでにキノコが生えています。このキノコを一人、また一人と食べ始め…。

「キノコのホラー映画」ということしか知らずに観てみたんですが、実際に観ると終盤まではあまりホラー的な要素は濃くないです。むしろ無人島で生き延びようとする人間模様のほうが細かに描かれます。食料をこっそり持ち出すやつとか、性欲漲る男どもを手玉に取る女とかが出てきて、無人島漂着ものとして成立しています。これは現代でも古びず用いられるテーマで、アメリカのドラマ『LOST』がそうですね。今でも十分に鑑賞に堪えるものと言えましょう。ただの無人島漂着ものではなく、序盤からキノコの陰が出てきます。古い難破船を見つけて中に入ると、すごい量のカビがあるのです。カビにせよキノコにせよ、一種の原始感のある装置であり、とりわけぼくなどはキノコが嫌いなものですから、その醜悪さをびんびんに感じながら観ていました。
 
 キノコはどうも昔から好きではありません。特にシイタケが駄目です。キノコ類全般に気持ち悪さがあります。今、ウィキペディアで見かけたもので、シャグマアミガサタケというのがありました。こんなのはどう好意的に捉えても気持ち悪いです。気持ち悪くない要素がないです。やっぱり生産者たる植物ではなく、分解者たる菌類、細菌類の仲間だけあって、「生」よりも「死」のにおいがします。唯一好意的になれるキノコと言えば、マリオに出てくるキノコだけです。それにしてもマリオは何であんなに毒々しい色のものを食べて、命をひとつ増やしたりできるのでしょうか。永遠の謎がまたひとつ増えました。

 キノコが苦手な人からすると、その不気味さがよくわかると思います。それでも先ほど述べたとおり、中盤までは一切キノコがフィーチャーされることはありません。しかしいざ出てくると、これはもうゾンビものです。そうなのです。この映画は、ゾンビ映画なのです。世にも稀なる、キノコゾンビ映画なのです。キノコを食べた人は皆体をキノコに冒され、キノコの化け物になっていくのです。前半は硬派な無人島ものだった分、後半のたたみかけがホラー的な怖さを増幅します。アメリカでは主に70年代以降、ゾンビ映画がたくさんつくられますが、正直日本のこのキノコゾンビもののほうがずっと味わい深いように思います。それほど多くのゾンビものを見ているわけではないですが、アメリカンゾンビよりもずっとこのキノコの化け物たちのほうが怖かったし、映画としても優れていると思いました。島で展開するゾンビものといえば、有名なところで『サンゲリア』があります。あれはゾンビ映画好きの中では評価が高いようですが、ぼくにはぜんぜんでした。

 なんでなのかなあ、なんでこの『マタンゴ』のほうがいいのかなあと考えるに、大きな要因は二つあります。ひとつは表現のインフレ化が起きていないところです。序盤からゾンビが出まくったりすると、あとあとに期待が高まる。その分、過激なスプラッター描写なんかをたくさん詰め込む作りになってしまって、見た目には面白くても単純なアトラクション化してしまう。『マタンゴ』は実に抑制したつくりであり、その分の振れ幅が生まれるのです。

 もうひとつは結構深いテーマです。今のぼくひとりでは解決できません。「どうして日本ではゾンビものがあまりつくられないのか」ということに関連します。アメリカでは阿呆みたいに沢山つくられたゾンビものが、なぜか日本ではほとんどつくられてこなかった。予算的な問題でもないと思うんです。ハリウッドアクション的な大作がつくられないことについては、予算的な説明がまだつくんですが、ゾンビ映画が日本ではぜんぜんつくられずに来たことはひとつの謎です。いや、あるのかもしれないし、わかりませんけど。

 で、このゾンビというものについて考えたときに、『マタンゴ』はどこかアンチゾンビムービー的というか、アメリカ人の発想ではないつくられ方をしているんです。ここが『マタンゴ』を押す二点目です。アメリカ人はゾンビを悪者にする。もう醜悪でどうしようもない存在にする。でも、日本人はどこかそうじゃないニュアンスを混入させるふしがあります。ゾンビではありませんが、それこそ本田監督の『ゴジラ』は、もともと人間の核兵器が生み出した哀しい存在ということになっているし、『ウルトラセブン』の星人たちにも哀しい理由があるものが散見される。ゾンビもので言うと、テレビゲームの『SIREN』がありますが、あれはこの『マタンゴ』ととても似た設定を持っています。すなわち、「相手は相手で幸せになっている」ということ。『SIREN』の屍人たちって、ただのゾンビじゃないんです。やつらはやつらで、幸せな世界にいるという設定なんです。幸せな気分でいるから、人間をそちらに取り込もうと思って襲ってくるという、ゾンビの裏事情みたいな設定がされています。これがアメリカ的ゾンビと大きく異なるところです。『マタンゴ』もそうなんですよ。あなたもこっちの世界においでよ~という感じで迫ってくる。そして重要なことは、その彼らがひどく幸せそうに見える、ということなんです。

 ここは非常に重要です。要は、「人間対ゾンビ」をつくろうとするアメリカ的価値観とは違って、我々の認識の地盤を揺るがしてくるんです。向こうのほうが幸せなのでは? というこの認識。非常にメタフォリカルだと思うのはぼくだけでしょうか。敗戦を経験してアメリカの文化を続々と取り入れた日本(=異世界に対する、ねじれのある憧れ)と、自分たちこそ勝利者と誇るアメリカ(=自分たちと異なるものは討ち滅ぼすべし)の差異が、こうした恐怖映画、ゾンビ映画の違いとして表れているのです。あ、だとすると、ゾンビ映画が日本でつくられず、またアメリカで大量につくられた理由も、少しわかってきた気もしますね。

 意外に深い話まで入り込みました。そしてこの映画、さらに豊かなのは、ラストです。さすが原案にあの星新一大師匠が参加しているだけあり、ちゃんと星節が利いています。半世紀近く前の映画ですが、ここはぜひ自分の目で確かめてもらいましょう。
『マタンゴ』、馬鹿にしてはいけません。日米ゾンビ観の違いを捉える意味でも、これは大変にお薦めです。
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by karasmoker | 2009-10-20 00:55 | 邦画 | Comments(0)
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