『竜二』 川嶋透 1983

意外にも(?)ぼくはこの映画が好きではありません。
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 文芸座で『レスラー』を上映しているようで、早稲田松竹ではもうすぐ『3時10分、決断のとき』と併映されるようで、もう一度観に行こうと思います。宇多丸が『レスラー』について語ったとき、「映画には『負け犬映画』という系譜がある」と語っていて、なるほどぼくはそうした「負け犬映画」というのが好きなのだなあとつくづく思います。アメリカン・ニューシネマは「負け犬」のにおいが色濃くて好きだし、『ロッキー』はその負け犬が最終的に勝負を超えた場所までたどりついているからやっぱり素敵。『レスラー』もいいし、『キング・オブ・コメディ』もいい。『スカーフェイス』も負け犬映画だと思うんです。負けることがいいわけじゃないですよ。負け犬がそれでも頑張ろうとする生き様だったり、負け犬だからこそ選ばざるを得ない人生があったり、そういうものになぜか胸が熱くなるんです。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はまたちょっと別なんですね。ダニエル・プレインビューは負けているわけじゃない。むしろ彼は勝利を収めているはずなんです。でも、何だろう、勝利したはずの人生なのに、なんでこんなにも虚しいんだろう、というあの哀感。いや、結局彼は勝利できたのだろうか、それ以前に、彼は何と戦っていたのだろう、ということをずっともやもやさせるところがすごいんです。

 さて、そういう「負け犬映画」の系譜に、この『竜二』もあるのでしょう。脚本・主演を務めた金子正次はこの作品の公開直後に亡くなり、一部では偉大なる遺作として賞賛されているようです。ヤクザである主人公・竜二が、カタギになろうとするのだけれど、結局はまた戻っていってしまうまでを描いたお話です。

 観る前からいい香りがしており、内容的にもきっと好きになれるに違いない、と思っていたんですが、意外にもぼくはこの作品が好きにはなれませんでした。題材的には大好物であるはずなのに、あのラストを除けばほとんど心動かされるものはなく、この作品で泣いたというレビウも目にしますが、どうして泣けるのかさっぱりわからないんです。

 いきなりラストの話から始めますが、あのシーンは確かにわかる。カタギの仕事をするけどそれになじめない彼が、家に帰ろうと商店街を歩く。そのとき、目線の先に妻と娘の姿がある。妻は商店街の肉屋の安売りの行列に並んで他の主婦と談笑している。その姿を見て、竜二は踵を返し、彼女のもとを去り、彼がヤクザの世界に戻ったことが暗示されて映画は終わる。このシーンは確かにわかるんです。小さな幸せに安住できない気持ち。そこに行けばささやかな幸せがあるんだろうけれども、そこにあるものがひどくわびしく思えてしまう。確かなるささやかな幸せ、ささやかではあるけれど確かな幸せ。それを心根の部分で信じられずに、踵を返してしまうところは確かにいいんです。

 ただ、あのラストに至るまでの描き方が、ぼくにはどうも味わいきれなかった。理由としては二つです。ヤクザの世界が好きなのだ、戻らずにはいられないのだという意思がどうにも感じられないこと。そして平穏な家庭での生活に空虚さがない、ということです。要は、ヤクザの世界と家庭の部分、ここでの対比が弱いと感じられたんです。

 ヤクザの世界に戻ってしまうのであれば、ああ、こいつは根っこがヤクザものだなあというところがもっとなくちゃいけないし、あるいは、ああ、こいつは根っこの部分で、ヤクザの世界に魅了されてしまっているんだなあというのがなくちゃいけない。前半はヤクザとしての生き様が描かれるんですが、その部分に今述べたような「ヤクザたらざるを得ない竜二」のテイストがあまりないんです。確かに山口百恵の『プレイバックパート2』が流れるところには活き活きした様子があるし、ヤクザとしての働きぶりがいいことも描かれている。しかし、じゃあそこでの生き様が家庭での幸福以上に彼を魅了しているようかと言われれば、決してそうは見えない。町田康が『告白』で描いた城戸熊太郎は、根がヤクザものなんですよ。せっかく大金を得ても博打ですってしまうし、博打に没頭する場面では、ああ、こいつは本物のバカだなあと思うんですが、そのどうしようもなくバカになってしまうところにこそ、熊太郎の真にヤクザものなところが出ている。そういうのが、乏しい気がするんです、この映画は。

 それにくわえて第二点目。家庭での幸福が一応はしっかりしているんですよ。子供がいるじゃないですか。あの子供と一緒にいるときの笑顔があるせいで、ああ、この竜二は今幸せそうだなあと思えてしまう。ヤクザのときにはなかった笑顔なんです。子供をちゃんと愛しているし、ささやかでも確かに幸せを掴んでいる。その幸せがあるのに、どうしてヤクザの世界に戻るのか。ここがぜんぜんわからない。いや、わかりますよ、小さくて穏やかな幸せに安住できない竜二の気持ちはわかりますよ。「この窓から、何にも見えねえなあ」というのもわかりますよ。でもさあ、じゃあ前半のヤクザの世界で何か見えていたかっていえば、そうは見えないんですよ。ルーレットの賭博所もせせこましいちゃっちい感じでしかないし、ごく狭い範囲で金を取り立ててうろうろしていただけだし、裏通りの飲み屋に殴り込んだりするだけだし。ヤクザの世界に何があるのかがぜんぜんわからないんです。だから、たとえ小さくても確かな幸せを掴んだはずの竜二が、何をしたくて戻るのかがわからないんです。

 あのー、ぼくは変なところでまじめだなと我ながら思うんですけれども、子供をほっぽり出して勝手に生きようとしているところが厭なんです。その部分でこの竜二を好きになれないんです。生まれる瞬間を心待ちにしたり、一緒に飯を食って楽しそうにしたり遊んだり、あんなにも愛していたはずの我が子を結果的に捨てるのに、何の葛藤もないじゃないですか。え? 子供は? あんなに愛していた子供を捨てる上での葛藤も何もないの?と思ってしまう。『レスラー』のランディが哀しいのは、そのしっぺ返しを見事に食らっているところですよ。かつて自分が捨てた我が子が、人生における最後の頼みの綱だと知る。でも当然ながら我が子にはすっかり嫌われていて、なんて馬鹿なことをしたのだと途方に暮れる。そこを描いたからいいんです。子供を捨てるところを描いたに等しいこの映画で、竜二の生き様がうんぬんと言われても、何を言っているのだと怒りたいくらいです。

 だからね、この竜二に関しては、この映画で描かれた物語のあとをこそ観たいんです。あれでは結局、貧しくてわびしいカタギの生活が厭だからというなんとも勝手な理由で、自分をずっと待ち続け支え続けた妻と愛するわが子を捨てました、あとはどうなったかよくわかりません、終わり、ショーケン、みたいな話ですよ。

さあ、大ファンが多そうなこの映画をばっさり斬ってしまったので、逆に斬られそうな気がしてウキウキしているのですが、もうちょっとだけ続けます。この手の映画だと、やっぱり主人公に感情移入したり、その主人公が好きになれたりするとものすごく大好きになれるんです。子供うんぬんと書きましたが、別に倫理的な部分が悪いから悪いということでもないんです。『俺たちに明日はない』なんて、それこそボニーアンドクライドは最悪なやつらだけれど、でもどうしようもなく馬鹿だから、こいつらのことはなんかわかるなあと思うし、『キングオブコメディ』のパプキンにしたって、もうどうしようもないんだけど、一貫してどうしようもないから、むしろ真摯な生き様にさえ見えてくる。この竜二は、兄貴肌で、頼りがいもあって、笑顔も素敵で、ちゃんとしている感じなんです。なのに肝心なところで子供を捨てるし、何をしたいのかわからないままヤクザの世界に戻るから、どういうつもりなの? って感じてしまうんです。

 うん、ヤクザ部分の愉しさと家庭部分の幸福のバランス次第では、もっともっとよくなると思うんです。ヤクザ部分の享楽性とか愚かさをもっと色濃く描けば、「馬鹿さ」がもっと引き立って、「ああ、馬鹿だなあ、戻っちゃうのかよ」と思えるはずなんです。あるいはダニエル・プレインビューのように、「家庭や他者というものを信じる回路すらない男」「家族をただ幻想の中でしか愛せない男」にすれば、家庭部分の幸福にもっと豊かなかげりがあったはずなんです。と、ぼくのような者は思ったんですけれども、『竜二』のお好きな方にぜひご反論をいただきたい。負け犬映画好きだからこそ、どうも辛口の回になってしまいました。
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by karasmoker | 2009-11-06 00:23 | 邦画 | Comments(9)
Commented by at 2010-12-21 17:44 x
二度目のコメントです(笑)。
大昔に一度観て、再度最近レンタルで観ていたので「竜二」を検索したのですが…、実は私自身も同じ物足りなさを感じていました。
正直に言って、金子正次さんの遺作になってしまったからっていう迫力は否めないですが、作品自体の出来で言えば同感してしまいます(笑)。
少し補足すれば、そのB級っぽさが変なリアリティを湧かせるような(笑)…、構成の甘さが時代を反映してる気がしました。しかし、これは「竜二forever」を観た直後に観たからだとも思います(笑)。
金子さんは、私の曖昧な記憶では本物ヤクザから俳優に職替えした人だと最近まで思ってたくらいで、役者魂は感じましたよ(笑)。
Commented by karasmoker at 2010-12-21 20:32
韓国映画の『息もできない』がわりと似た要素を持っています。両方とも自主制作の監督主演映画で、両方ともやくざ者が堅気になろうとする話。『息もできない』はぼくの個人的2010ベストで、めちゃくちゃ惹かれますが、『竜二』にはちいとも魅せられない。両者の違いは哀しさの差。『竜二』は、ぜんぜん哀しくないんです。
Commented by cinema_syndrome at 2011-08-20 00:01 x
結局この映画は「堅気になろうとした元ヤクザが家族の姿を見て泣きべそをかいてヤクザの世界に戻ってしまう」というラストシーン
ただ一点に集約されている映画だと思うんです。
特に「泣きべそをかいてヤクザに戻ってしまう」という部分に。
karasmokerさんはそこに至るまでのプロットや演出の描写が甘いとしている。
でもこの映画を評価している人は、そのラストシーンから、映画で描かれたストーリー以上の物語を頭で思い描いているんだと思うんです。

映画自体の完成度を測る基準はともかく、演出家の技量というのは「どれだけ客に思い起こさせることができるか」ということに尽きると思うんです。
具体的に言えば「ああ・・・こんな奴いたなあ」「こんな奴会ったことないけど、こんな奴いそうだな」とか「こういう状況になったらああいう奴もああなってしまうだろうな。」と客に思わせることができるかどうかということです。

映画の評価が何故各人によって違うのか。
それは各人によって「何かが思い起こされるポイント」と「何を思い起こすか」が異なるから。
これに尽きると思います。
Commented by cinema_syndrome at 2011-08-20 00:27 x
あと見方を変えればこの映画史上最大級のヘタレ映画なんです。
家族や子どもを支える責任を背負いきれずに、ひたすら毎日単調な仕事を積み重ねることからも逃げて
結局流されるまま馴染めないまま泣きべそかいて浮き草稼業に戻ってしまうという。
積極的にヤクザの世界に戻ったんじゃなくて逃避的に戻った。
はっきり言ってエヴァのシンジ君よりもヘタレかもしれない。
Commented by karasmoker at 2011-08-20 00:37
コメントありがとうございます。
>映画の評価が何故各人によって違うのか。
それは各人によって「何かが思い起こされるポイント」と「何を思い起こすか」が異なるから。
というのは、まさにその通りだと思いますね。映画に限らず、いや表現という枠に限らず、当てはまることだと思います。どんな風景、どんな音、どんなにおいかというものまで。

 竜二という登場人物については、彼が家族、家庭という場所について「ここじゃねえんだよな」と強く感じたのはわかる。でも、記事にも挙げた多くの映画の人物たちに比して、「そうならざるを得ない」という風に見えてこなかった。「こういう状況になったらああいう奴もああなってしまうだろうな」というのはぼくもよく考えるところですが、その「こういう状況」がぼくには見えてこなかったんです。
Commented by karasmoker at 2011-08-20 00:47
「ヘタレ映画」と言われると、確かにそのように思います。でも褒めている言葉の多くが、「竜二の生き様に男泣きだ」的な感じに思われて、違和感がぬぐえなかったんです。でもそうなると、「やってきました渡り鳥」みたいに格好つける言葉に、「何言っちゃってんの?」とも感じられ、やっぱり愛せない。妻子ある大人、それもヤクザの話となればなおさらなのです。これが若造の話ならわかるのですけれどもね。 

すみません。もう眠るので、以後コメントいただけた場合は明日以降の返信となります。あしからず。
Commented by SUSUMU at 2012-03-03 01:06 x
karasmokerさん。何年生まれですか?多分あなた達にはこの映画の良さは一生わからないと思います。返信するだけ無駄かもしれないけど、とりあえず言いたいことを言っておきます。俺はこれが昭和の日本人なんだと思う。たぶんヤクザの世界に生きたいから戻って行くわけじゃない。普通の世界の幸せも分かっているけど「普通の幸せ」の世界で生きていく勇気も無い。確かに「ヘタれ」の映画かもしれんけど、そこにこの映画の意味がある。ヤクザだろうがサラリーマンであろうが多くの人がそういう葛藤の中で生きているということ。「結局自分はうまく生きられない」という気持ちで、あの肉屋の前で戻って行くシーンがあると思う。そういう葛藤の中で人は生きている。多分ハリウッド風な「負け犬映画」とかそういう分類だけで話してる奴にはこういう気持ちはわからないんだろうなぁ
Commented by SUSUMU at 2012-03-03 01:20 x
追伸: cinema_syndrome さんの意見には100%同感です。
Commented by karasmoker at 2012-03-03 14:53
コメントありがとうございます。
なぜ「あなた達」と呼ばれたのかわかりませんが、年齢はご想像にお任せするところであります。
ただ、「一生わからない」「返信するだけ無駄かも」「~奴にはわからないんだろうなあ」という言い方は相手を不快にさせるし、そうした形でのコミュニケーションからは実りが期待できない、ということくらいはわかる年齢です。
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