『SAW6』 ケヴィン・グルタート 2009

ソウシリーズ大ファンのぼくですが、今回だけは擁護できません。
d0151584_634213.jpg

 シネマサンシャイン池袋にて。新文芸座に慣れていると、どうも新作公開のシネコン系というのはアウェイな感じがします。とどのつまり、客層の問題ですね。新文芸座は、一人でやってくるおっさん、兄ちゃんが多く、熟年のお行儀のよいご夫婦がおられたりなどして、とても居心地がよいです。ところがシネコン系はカップルが多くおり、若い婦女子連などもおり、なんだか一人で映画を観に来ているぼくが寂しいやつみたいじゃないか!けっ! どうせあれでしょ、その映画鑑賞もまた前戯の一部なんでしょ? どうせその後酒でも飲んで、映画の的外れな感想なんか語り合ってから、ホテルでちゅぱるってな算段なんでしょ? けっ、この野郎、なんでいなんでい。

「嫉妬による妄言ですね」「はい、そうです」「『そうです』というのはこの『ソウ』という映画に掛けたダジャレですね」「ああ、いや、決してそんなつもりはありません」

 ところで、シネマサンシャインというのはどうも、映画の音響、スクリーンサイズにおいて、どうもいまひとつな感じがあります。劇場によって違うのでしょうか。文芸坐に慣れているので、どうも小さい感じがします。にもかかわらずカップルの連中などはこぞって後ろのほうの席に陣取ります。どうして後ろの席が好きなのでしょうか。ぼくは前のほうが好きです。スクリーンで視界をいっぱいにするほうが幸せではないでしょうか。どうせあれでしょ、映画なんてそんなに真剣に観るつもりはなくて、むしろ映画を観ている間にお互いの股間に手をやるなどして、暗闇の密戯を楽しもうって腹なんでしょ? けっ、なんでいなんでい、俺も混ぜてくれバカ野郎。

 いい加減映画の話をしないとわずかな愛想も尽かされそうです。映画の話をします。
 どうして前置きの妄言が長引いたかというと、ある重要な理由があるからです。それは、今回の作品はついにぼくを満足させてくれなかった、ということです。今までなんとか頑張ってきたソウシリーズですが、今回に関しては褒めどころが非常に少ないです。もう限界かも知れません。次作を作るなら7だし、7で切るというのはそう悪くないはずですから、次あたりを完結にしてもいいのかもしれません。あるいは公開のテンポを落としたほうがいいかもしれない。ちょっとよくなかったです。

 監督はこれまでシリーズの編集を務めてきたケヴィン・グルタートという人です。ソウシリーズのよさは編集に依るところが大きく、その点期待してはみたのですが、いかんせんストーリーや演出がいただけません。前作、5の監督、デヴィット・ハックルは、残虐描写をある程度抑えめにしていました。美術監督だったハックルがあえて残虐さを抑え、最後の手のシーンにインパクトを集中させたのに対し、今回は変なゲーム性と残虐さを押し出す格好となり、2でいい仕事をしたのに3、4で調子に乗ってしまったダーレン・リン・バウズマンの愚を繰り返しています。

 予告トレーラーの時点でもう馬鹿馬鹿しい感じだったのですが、実際に本編を観ても案の定でした。もう馬鹿馬鹿しい領域に入ってしまっています。その馬鹿馬鹿しさを埋めるために残虐表現に頼り、数コマ単位のカットの連続でごまかす。殺人に何の説得力もなく、重みもなくなっているため、ひたすら視覚的なインパクトをインフレ化するしかない。緊張感なんてちっとも生まれません。

 ストーリーの部分についても、死んでしまっているんですねえ。アマンダが再登場したのは旧来のファンには嬉しく、数少ない褒めどころなのですが、もうなんというか、過去の出来事を再利用しているだけ、ちょっとした謎をなんとかほじくり出しているだけという印象でした。これは4、5の時点でももう始まっていたことなんですが、要するにジグソウの過去なり人となりを頼る構造になっているんです。既に死んだ彼を頼ってしてしまうと、どうしても登場人物たち自身の逼迫度とか厚みが生まれてこない。つまり、魅力的になってこないんです。新たにゲームに参加させられた人々も、もう本当にゲームのコマでしかなくなっています。あのー、これは深刻なルール違反だと思うんですけど、ただ殺されるだけの人が沢山出てきているんです。ジグソウは人々の「生きる意志」を試したくてああいうことを始めたはずなのに、もう「生きる意志」も糞も、ただ不可抗力的に殺されるだけの人が沢山出てくるんです。でも、一応殺される理由をつけなくちゃいけない、と考えたのでしょう。これがまた雑なんです。恐るべきことに、ただ煙草を吸っていただけの人まで殺される始末です。上司に従っただけの人が殺される始末です。

許せないのはその不可抗力さです。ちょっとネタバレするんですが、今回のゲームの狂言回しになった人が、拘束された二人の人間のどちらかを殺さねばならない、という状況に陥ります。片方は独り身で家族もいない若い男、もう一人は家族のいる中年のおばさん。で、この狂言回しの男は、若い男を殺す選択をするんです。ここでもう、なんというか、監督の底が知れる。ああ、普通の考え方の人だな、と思わされてしまう。何にも面白くないですよ。あれでは独身者の観客が不快な思いをするだけですよ、それ以外に何の感興もないんですよ。もうあの設定をした時点で間違っているし、そのうえこの出来事は結局あとに何も活かされないし、最悪です。3のジェフも4のリグも、同じような状況に置かれたけれど、そのときはもっと何かしらあったよ! 今回は何もないんだよ、ただ殺してしまっただけ、殺されてしまっただけ。最悪です。

 いや、「上司に従って仕事をしただけの人がひどい目にあう」というのは、深いテーマたり得るんです。まだ未見なのでなんとも言えませんが、サム・ライミの新作はその辺に深く切り込んでいるようです。でも、この辺のことは何にも触れられない。非常に雑なんですよ。ジグソウの意思を十全に受け継げなかったホフマン、なわけですが、 映画自体もその意思を継いでいないじゃないですか。

 ただ殺されるだけの人、というのでいうと、3でも同じことは起こっています。だから2に比べると3は断然劣ってしまうんですが、それでもジグソウとアマンダはいたし、オチも驚きを保つものだった。今回はもう、オチがないに等しいです。一応オチらしきものはあるんですが、従来に比べると持って行き方が大変下手くそで、何の驚きももたらされない。オチの弱さで言うと、5はすごく弱かった。でも5に関しては、手のシーンがあります。あれだけでもぼくは5を擁護したいと思えます。今回はオチも弱いし演出的にも褒めどころがなく、いよいよ駄目になってきています。

 逆に、ぼくが驚いたのは、ソウシリーズともあろうのに、なんとも雑な出来事が起こったからです。公開間もないので未見の方に配慮しますが、ホフマンの音声のシーンです。あれをやったらソウシリーズでもなんでもなくなっちゃうよ! そしてあの段階で、結末はもうわかりきっているようなものなんだよ! 

 一度、じっくりと脚本を練り上げる時間が必要だと思います。続編をつくるでしょうが、そのために来年は一回お休みでもいいと思います。毎年つくろうという意気込みはもう本当に素晴らしいんですが、出来がこれでは本末転倒です。そろそろ休憩を入れて、今一度1や2のクオリティに戻してほしいと願うばかりです。
[PR]
by karasmoker | 2009-11-10 22:28 | 洋画 | Comments(0)
←menu