『ぐるりのこと』 橋口亮輔 2008

ある種の人格を問うてくる映画です。 
d0151584_6311485.jpg

 豪華キャストの共演、というのは映画に話題性を持たせるための常套手段。最近の邦画では「前世紀ボーイ」がその代表でしたけれど、この『ぐるりのこと』は話題性ではなく、その実力においてなんとも豪華なキャストでした。映画好きからすると、これが豪華キャストってものだと言いたくなります。ちょい役やほとんどカメオ出演のような形で、贅沢な役者陣が揃っていました。地味な映画をもり立てる上で、嬉しいキャスティングでした。

 木村多江とリリー・フランキー扮する夫婦が主役で、脇を固めるのは超豪華。倍賞美津子、寺島進を筆頭に、寺田農、柄本明、八嶋智人、安藤玉恵、温水洋一などが出ており、カメオ的な出演でも斉藤洋介、光石研、加瀬亮、田中要次、佐藤二朗、新井浩文、田辺誠一ほか、横山めぐみや木村祐一など、今の日本映画を支えている役者陣が名を連ねています。中でもぼくは安藤玉恵という人が好きなんです。この人が出てくるとちょっとウキウキする。別に取り立てて美人ではないんです。でも、この人の存在感の濃淡加減が好きで、『紀子の食卓』で「廃人五号さん」として出てきたとき以来惚れております。「下層社会のやさぐれ女」をやらせたら今、おそらく右に出る人はいないでしょう。ぼくが仮に映画監督をやるとしたら、何にせよ出てもらいたいと夢見ております。他にも一人一人言及したいところですが、きりがないのでやめておきます。

 さて、『ぐるりのこと』。すこぶる評判がよい様子で、宇多丸は昨年の邦画ベストワンだと言っておりました。一組の夫婦の十年を映した映画で、木村多江にはかなりはまり役だったと思います。木村多江は「ザ・薄幸顔美人」です。この役柄を演ずるにはいちばんの女優だったでしょう。中身に言及していくと、まず序盤で見せられる長回しが特徴的です。映画にせよ何にせよ、「つかみ」というものがありますが、この映画のつかみはあの長回しでした。主人公の夫婦の夜中の語らいなのですが、定点で押さえたあのやりとりだけで、夫婦それぞれの人物性を描き出していました。この映画の核となる部分を説明的でなく描き出している点は非常に素晴らしかった。園子温の密室芸がハンディカムを用いた生々しさに依っていくのに対し、この映画は定点カメラで捉えており、小津由来の伝統的な方法を用いて映し出します。つかみに限らず、この映画では密室を定点で捉えるシーンが数多く出てきます。三脚をセットし、一点から状況を捉えるという最も原初的な撮影法は、密室の長回しにおいてその強さを発揮するのだとあらためて感じました。この辺のことを掘り下げて話したい気もしますが、進めなくなるのでやめておきます。

 木村多江扮する妻は、(おそらく)身ごもった我が子の死をきっかけとして精神を疲弊させていきます(おそらくと書いたのは、あくまでも暗示的なものに留まるからです)。数年のスパンをとって映画は進みますが、時間が経るにつれてどんどん鬱症状がひどくなります。そしてあるとき、ある出来事をきっかけに爆発してしまうのですが、夫リリーはそれを優しく包み込むわけです。

 今まで結構べた褒めトーンで来たのですが、実を言うとこの映画、ぼくは入り込めませんでした。いい映画だと思いますし、これでぐっと来る気持ちはわかるし、状況が違えばぼくももっと入り込めると思いますが、今のぼくではまだ無理のようです。映画をけなしているのではまったくありません。良質だと思うし、あくまでもぼくの感受性の問題です。

 ぼくはあの木村多江、妻にねえ、入り込めなかったんですねえ。もっと言うと、リリーにも今ひとつ感情移入できず、結局のところこの夫妻のことがそれほど好きになれなかったんです。それが決定的だったのは先ほど述べた妻の感情爆発シーンです。これを言うと、ただでさえ好感度ゼロのぼくがいよいよ人格を疑われそうで、いささかためらいもないではないではないではないのですが、ええいままよ、書いてやる。妻が「どうしていいかわからないの!」と叫び、子供のように泣きじゃくって地団駄を踏み、感情を爆発させます。リリーは彼女を抱きかかえてなだめるのであり、映画としても盛り上がりの部分です。でも、ぼくはそれを観て、「鬱陶しい」と思ったんです。自分の感情を制御できずに泣きじゃくる奴は、鬱陶しいんです。端的に面倒くさい。ああ、ここだよ、なんていうか俺という人間の本質が見えてくるよ。俺には、鬱陶しいんだよ、ああいうのが。

 映画では、夫リリーが法廷画家の仕事に就いています。法廷画家というのはこの映画においてすごくいい職業設定、他のどんな職業よりもいい設定じゃないかと思います。法廷ではその年その年の大事件を連想させる裁判が行われています(過去の時代を見せているけど、これ見よがしになっていない点が大変好ましい)。遺族よりはずっと冷静に、ただの傍聴人よりも真摯に、記者たちよりもじっくりと裁判の様子を見つめる法廷画家というのは、この映画にとってばっちりでした。あの設定をつくることで、自分たちの平穏な日常との対比がわかりやすく伝えられます。悲劇的な人生を目の当たりにすることで、自分たちの何でもない日々は幸福なのだなということを感じさせるわけです。この対比は大正解でした。いろいろあるけれど、支えてくれる相手がいるというのは幸せだよな、ということを観客に伝えているのであり、だからこそリリーと木村多江の夫婦の何気ない日々を尊く感じさせるわけです。

 だからね、ぼくがね、それこそ結婚して、静かな生活を送り、そしてこれからも送り行くであろう人間なら、きっとこの映画はすごく胸に響くと思うんです。でも、いかんせんそういうものとぼくはあまりにもかけ離れているんです。結婚うんぬんはぼくにはもう半ばSFの世界です。同級生が結婚した、子供を作ったと聞くと「うぎゃー」と思います。この「うぎゃー」は、「うぎゃ~、まずいよ~、アケミも結婚しちゃったの~、リサコも今の彼と婚約するとか言ってるしさ~、マジ焦っちゃうんですけど~」的な「うぎゃー」ではありません(なぜアラサー女子っぽいのか)。ぼくの「うぎゃー」は単純に、「うぎゃー、また一人、知っている人間が別世界に旅立ってしまった。ああ、君も愛なんてものを信じるのか」という寂しさなのです。人格疑われついでにはっきりと言うなら、結婚などぼくにはほとんど理解不能な世界です。「婚カツ」なんてものが世間では流行しているようですが、ぼくにはもう訳がわからず、「トンカツ」のほうがずっと好きです(まさかの親父ギャグ)。トンカツのほうがサクサクしているし。肉汁がじわりとして旨いし。

 映画自体はきわめて中立的です。たとえば子供の扱いひとつとっても、決して可愛らしくは描いていない。むしろ鬱陶しさを感じさせるくらいです。ぼくは子供が鬱陶しいので、ただ単に鬱陶しく感じただけなのですが、感受性があればああした子供たちにも優しい眼差しを注げるのかもわかりません。報道の事務所みたいな場所で、「カレーの会」をやっているのもいいですねえ。ああいう地味な感じが適度。倍賞美津子の家の感じ、息子夫婦とのやりとりとかもよくて、日常風景の活写においてはもう何も言いたくありません。

 だからこの映画、ちゃんと世間を渡り歩くちゃんとしている人にとっては、ちゃんと響くと思います。逆に、ぼくのような人間はなんだか「美しいものを美しいと捉えられないのだおまえは!」と言われているようでちょいと複雑です。あなたの人格を映す鏡となる作品でしょう。鏡よ鏡よ鏡さん、あたしは心が醜いのかしら?
[PR]
by karasmoker | 2009-11-17 00:27 | 邦画 | Comments(0)
←menu