『SR サイタマノラッパー』 入江悠 2009

同じく「夢に呪われている」者として、悲哀が足りないと感じました。
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 宇多丸絶賛の本作を十二月、新文芸坐。
 埼玉県の冴えないラッパーたちを描いた映画で、80分と短く、我らがおねマスのみっひーも出演とあって、観てきました。埼玉という微妙な場所、そして米国発祥のラップ、ヒップホップを日本語でやる「イタさ」を描いている作品ということで、ラップ全開の映画ではまったくありません。その点にも興味を惹かれました。

 ヒップホップ、というものには興味がありません。いわゆるB-BOY、その種のファッションも好きではありません。一言で言うと、「ガラが悪い」感じがします。どうしても不良っぽい感じがあります。ロックの不良とも違うんですよね。たとえばロックの不良チームとヒップホップの不良チームがあって、「どちらかに入って活動せよ」と言われれば、ぼくは言葉を駆使し韻を踏んでいくヒップホップに入ると思うんですが、周りと仲良しになれるかどうかはすごく疑問です。すっごい偏見を持って言うと、チーマーっぽいんです。ロックはチーマーっぽくないんですが、ヒップホップはチーマーっぽいです。ロッカーはカツアゲをしそうにないのですが、ラッパーはしそうで嫌です。はい、偏見です。

 この種の偏見はこの映画では解けません。出てくる登場人物はやっぱりどうもガラが悪そうです。主要人物は情けない面が結構出てきますが、そこを描かれない脇役はどう見ても悪そうですからね。主人公はラップグループ「SHO-GUN」でライブをしたいと願いながら、ぜんぜんうまく行かず、夢と実際の生活に苛立つ若者です。これは個人的に惹かれる、というか重なる部分も大きい設定です。その点も映画館に足を運んだ大きな理由です。

 宇多丸もいとうせいこうも泣いたというのですが、やはりそれは彼らがラッパーだからでしょうか。ぼくには引っかかりませんでした。いちばん大きな理由は、「この主人公は本当にラップが好きなのだな」という部分がないからです。なんとかしてやろう、という部分もあまりないんです。それで働くこともせずニート暮らし。こうなると応援できないし、わかるぞー、と共感する部分もないんです。ラップが本当に好きそうに見える、なんとかしたいと悩んでいる、特にしたくもない仕事で日々を過ごしている、このうちのどれかひとつでもあれば、ぼくはすごく共感できたんです。「ラップ」の部分以外は、ぼくと同じですから。ああ、そうだよな、こういう局面ではこういう風になるよな、というのがないんです。もしくは、ああ、こいつは意外といいやつだなあ、というのもない。たとえば『レスラー』ではラムが眠いのに子供と遊ぶじゃないですか。『キングオブコメディ』ではやけにパプキンが人なつっこかったりするじゃないですか。好きな作品ではないですけど『竜二』でも竜二を好きになれるところは多いんですよ。この映画の主人公は、好きになれるところがない。ただ怠けている人、に見えてしまう。

 いや、わかりますよ。ただ怠けているだけ、に見えて、そうじゃない部分ってあるんです。どうしたらいいのかわからない、という風になることって、もういっくらでもあります。どうしたらいいかわからなくて結局何もできずに終わる夜、を何度過ごしたことか(そしてこれからもそういう日はきっと来る)。でも、映画ではその部分が見えてこない。なぜなら、先ほど述べたラップへの愛情、なんとかしたいという悩みの部分が引き立っていないから。これはすごく残念です。

 我らがみっひーが出てきます。AV女優として出てきます。しかも普通、映画で出てくるAVシーン(エスワンのものかマキシングのものかわかりませんでしたが)が、妙に長い。普通より十秒くらい長い。みっひーはおねマス屈指の演技派で、いい演技を見せてくれましたが、この映画に出てくる必要があったのか疑問です。役割に乏しいからです。映画的な色づけにはなっていますが、もっと出すか出さないかした方が、物語の風合いとしてはよくなったと思います。主人公との関係もよくわからない。もちろん、上京して都会で頑張る彼女と主人公の対比があるのはわかりますが、ここではそれならみっひーじゃないほうがいいと思います。だって、どの程度のメジャーな存在なのかわからないですもん。ああ、でもこれはみっひーが大好きだからこう感じるのでしょうか。ぼくとしてはぜんぜん知らない企画女優みたいな人が出てくるほうが、非メジャー感があってよかったと思う。しかもすごく細かいことを言いますが、このみっひーが単体なのかキカタンなのかわからない(意味は調べましょう)。企画女優ではなさそうなのですが、単体とキカタンでぜんぜん違います。ビデオのパッケージはワンカット放り込むべきでした。そうするとみっひーの活躍レベルがはっきりしたんです。AV女優について話し出すときりがなくなるのでやめておきますが、ここでは現実世界で既にアイドル的女優のみっひーを出すべきではなかった。役柄上の女優として出ていても、みっひーとして見てしまいます。わかりやすく言うと、そうですね、たとえば南明奈がアイドルとして出てくるようなものです。しかもどの程度のアイドルかわからない存在として出てくる。こうなると観客は戸惑うはずです。みっひーはAV界において、南明奈どころではありません(あ、いまさらですが、みっひーとはもちろんみひろのことです。みひろを知らないなんて、まさかまさか。無知にもほどがあります)。主人公にとってどういう存在なのか、あらゆる意味で見えづらい。

ラストシーンがすごい、という人もいるんですが、ぼくはそこまでの部分でこの主人公を応援できなかったので、どうもなあ、という感じ。あの場面も、実はあの部分までがかなり記号的なんです。『レスラー』でもありましたね、ラムがスーパーの総菜部門で働くところ。あれは延々と長回しした後、もう嫌だ! となるじゃないですか。ああいうタメがないんです。すっごい空いている焼肉屋ですからね。あれはせっかく長回しにするなら、ある程度の混雑があったほうがいいはずです。そこで仕事の失敗をするくだりをつくって、やっと先輩店員に怒られるところが利いてくるんです。定点でもかまいませんから、絶対そうするべきでした。やりたくない仕事に対するうんざり感プラス、という形になったはずなんです。店員もあの場面の間、ずっと脇で立っているだけだし、もっとあそこは演出できたでしょう。

 うん、総じて言うと、夢を追っているはずのこの映画では、夢を追っている感じがないんです。あるいは、夢に呪われている(宇多丸より借用)感じがない。夢とは呪いである、と宇多丸はラップで言っていました。その通りなんです。夢は呪い、この呪いが解けない。そしてその呪いが解けることなど考えられず、であるがゆえに深い呪いとなる。夢追い、あるいは夢の呪縛。そのどちらかが、もっともっとほしかった。

 最後に。ライムスターの「ONCE AGAIN」より、宇多丸ヴァースを引用。

 午前0時 日付の変わる瞬間 雨上がりの冷気 
 感じながら誓うまたリベンジ 気がつけば人生も後半のページ
 なのにいまだ半端なステージ 時には手痛く食らっちまうダメージ
 まるでいつか使う予定のマイレージ みたいにひたすらため込むでかいイメージ
 誰のせいにもできねえ したくねえ 夢別名呪いで目が痛くて
 目ぇ覚ませって正論 耳が痛くて いい年こいて先行きは未確定
 きっと映画や漫画の見過ぎ 甘い言葉聞き過ぎで時間のみ過ぎ
 ガキの好きそうなことばっか病みつき この男 誇大妄想家につき
 挫けなさは異常 ほとんど病気 ゼロからのスタートは一緒 荷物は放棄
 失うもの最小 得るほうが大きい 財産は唯一最初に抱いた動機
 気分はやけにとうがたったルーキーズ 
 午前0時 新しい日の空気 俺は古着 だが洗い立てのブルージーンズ
 そのドアを叩いて振り絞る勇気
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by karasmoker | 2009-12-15 04:37 | 邦画 | Comments(0)
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