『悪魔のいけにえ』 トビー・フーパー1974 / 『テキサス・チェーンソー』 マーカス・ニスペル 2003

こういう映画は要素が素朴なほうがいい。 
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 新しいパソコンを買いました。一代目の購入から六年くらい経っているので、まあよしとします。デスクトップを購入したのですが、今までより画面がでかく、映画鑑賞には実に適しております。

『悪魔のいけにえ』(原題・『Texas Chainsaw Massacre』)はなんともすさまじい映画でした。実にぞくぞくしました。やはりこういう映画をきちんと観ていかねばなりません。大の大人が『悪魔のいけにえ』を愛でるなど、このポストモダン社会において阿呆と思われそうな所業ですが、ぼくはこういう映画をちゃんと愛でられる大の大人になりたいと思います。ドトールでヤンエグとクリエイターが打ち合わせをしているその横で、「『悪魔のいけにえ』は最高だぜ、ぐへへ」と笑う大の大人になりたいと思います。

若者たちがとある場所を訪れ惨劇に見舞われる、というのは、とうに使い古された設定ではありますが、使い古されたということはつまり、最もわかりやすく、余計な要素抜きに効果を生み出せるということでもあります。この手の話には余計なあれこれは不要。殺人鬼に追われる恐怖が存分に描かれていれば、他の要素はないほうがいいのです。

 殺人鬼レザーフェイスが初めて出てくる場面は、度肝を抜かれました。今では韓国に息づく「鈍器の恐怖」があり、低予算であるがゆえの生々しさがありました。レザーフェイスは怖いです。見た目、攻撃力におけるキャラクター性としては、後発の『13日の金曜日』、ジェイソンに似てはいますが、あの映画とは見せ方がぜんぜん違っていて怖いんです。ジェイソンは正直、あまり怖くないんですが、これは見せ方の問題が大きい。あとは物語や人物の動きの問題もあるんですが、今回のレザーフェイスはジェイソンよりはるかに上の恐怖を与えてくれます。何がいいって、間合いが素晴らしいんです。若者たちを追い立てるときの間合いが絶妙で、いちばん怖い距離です。いちばんハラハラドキドキの高まる距離をつくっている。一歩遅れれば捕まる、というのがいちばんいいわけです。多くの映画において、登場人物たちが追走劇を繰り広げる場面がありますが、この映画の間合いはひとつのお手本です。チェーンソーを持って大男が追いかけてくるんですよ、しかも絶妙な間合いで。記憶の限り、ジェイソンにはこの絶妙な間合いがなかったと思います。

 正直前半はだるいんです。もうとんでもなくだるい。いや、あの醜悪な男がいたから掴みにはなるけど、盛り上がりに至るまでがすっごくだるい。でも、その分あのレザーフェイスのファーストカットはあっぱれ、目が覚めます。時間も短いし、深夜にビデオ屋にふらりと行って借りてくる分には、大変お薦めです。ところであのミイラじじいは何なのでしょうか。あれは笑ってしまいますが、ああいうのを入れてくるところがよくわからないですね。いや、ぜんぜん悪く言ってはいません。何考えとんねん、とつっこみたくなる場面があります。じじいのハンマーのくだりはもう笑っていいのか何なのか、あれはねえ、実はすごい勇気の要る表現なんです。あるいはアホにしかできない表現なのです。怖い怖いと思ってずっと観てきた観客は、絶対にあそこで戸惑います。許容力のない人は、あの場面は要らないよね、などと言うかもしれませんが、ああいうまったく意味不明の場面はあっていいのです。だって、あまりにアホですから。あまりにアホなものは必要なのです。『バタリアン』におけるババアの首や首無しのあいつみたいなものです。でも、『サンゲリア』のサメ対ゾンビは好きではありません。

 この傑作に気をよくし、続けて『テキサス・チェーンソー』を観ました。リメイク版です。こちらはこちらで白熱した逃亡劇、スプラッター劇なのですが、もともとのほうがぼくは好きだし、この先覚えているのは間違いなくもとの作品のほうです。リメイク版を観て感じた比較点は沢山あるのですが、いちばん大きな部分で、画面が綺麗になることの辛さ、というのはあります。『悪魔のいけにえ』は古い低予算映画ですから、画質が荒いです。でも、その分の味わいって、やっぱりあるんです。これはサム・ライミの『死霊のはらわた』でも感じたことですね。醜悪なものが本当に醜悪に見えてくる。『悪魔のいけにえ』でほんの一瞬映る、蜘蛛か何かの群れはもう本当に気持ち悪い。こういうのは画質の悪さが大きいんです。白黒映画特有の味わいがあるように、別に何でもかんでも鮮明なものがいいわけじゃない。これは実に幅広く、また奥深い話になりますので、回避します。

 『テキサス・チェーンソー』は決して悪くないです。ドキドキさせます。でも、良くも悪くも綺麗に収まっていて、『悪魔のいけにえ』が持つ強烈さがありません。たとえばそれはラストシーンの違いに象徴的です。『悪魔の』のラストはずっとずっと覚えていることでしょう。逃げ延びた女の狂った哄笑、そしてあの朝焼けに踊るレザーフェイス。一方、『テキサス』はといえば、「赤ちゃんを救ったわ」というなんとも意味のない着地(誤解の無いように言いそえると、本当のエンディングの部分は別ものなのですが、やはりあれでももとの作品にはとても勝てない)。

『テキサス』は要らない要素が多い。先ほど述べたとおり、この手の映画に余計なものは要らないのです。怖さに興奮させてくれればもうそれでいいのです。あるいはとんでもなくアホであればそれでいいのです。それをねえ、ちょいちょい変に要素を足すんです。あの赤ちゃんとか子供とか、何の意味も無いじゃないですか。出してきたわりに別に活きてくるわけでもなく、どうして赤ちゃんとか子供とか入れたかなあ。あと、仲間にとどめを刺すあのくだりも要らない。いや、あれを入れるならば、最後にあの女は狂わないと。狂わせる上でなら意味があるけど、結局とんちを利かせて逃げ延びましたって話ですよ(あの車のくだりにはまんまと騙されましたが)。工場のくだりもなあ、確かにそりゃあ見た目は怖いし、映画的な味付けにもなっていますよ。でも、映画の難しいところで、味付けをしたからっていい味わいが出るとは限らないんです。むしろ、「余計な味付けしやがって感」のほうが引き立つ場合もあるのです。「この塩辛い磯臭さがいいってのに、なんでマヨネーズなんか掛けるんだ、このとんまめ」と思う羽目になります。

 レザーフェイスの恐怖、この点がもう決定的です。もとの作品よりさらにレザーフェイスは暴れますよ。でも、画質問題もあって、生々しくないんですよ。ゲーム的な敵に見えてくるんです。もともとあった哀しさというか、もう本当にどうしようもない存在、というのもない。『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスはどうしようもないですよ。ちょっと痛々しいんです。最高にアホな場面があると書いたけれど、あのアホな場面があると、レザーフェイスの哀しさも生まれてくるんです。ああ、こいつはもう、本当にもう、どうしようもねえんだな、というね。

『テキサス』を悪く言っているようですが、『悪魔のいけにえ』が大変すばらしかったのでこれは仕方ありません。一本の映画としては楽しめると思います。だから別に作品を貶しているわけではありませんし、貶そうとも思いません。要は『悪魔のいけにえ』がすごくよかった、ということです。おわり。
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by karasmoker | 2009-12-18 01:24 | 洋画 | Comments(0)
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