『少林少女』 本広克行 2008

いちばん許せないこと
d0151584_2535520.jpg

                     ↑屁で飛んでいる人
 去年、クソだクソだと悪名をとどろかせた作品です。でも、そこまでクソなら観てやろうという気にもなるわけで、もうこの時点でぼくの負けなんですけど。

 内容に突っ込みをいれるなんてまねはもうする必要がないでしょう。もうどうしようもない作品なのは火を見るより明らかなのであって、作り手だって重々わかっているはずなんです。問題は、どうして明らかにクソである作品をつくったのか、そしてそれを恥ずかしげもなく昨年、大々的に公開したのかという点です。

 ただ、そのことは重くなるのでひとまず置いておきましょう。
 こういう作品(?)はあまりにもクソなので、何の期待もしなければ楽しめる部分もあるのです。「わあ、なんてくさいクソなのでしょう」と楽しめるのです。だから映画は失笑に充ち満ちているのです。こんなにも失笑させる映画は珍しいのです。この前年にはあの『恋空』が公開されていますが、日本のテレビ局は今、世界一の失笑映画制作力を持っています。その意味で日本は大変裕福な国です。なにしろ人々の失笑を買うために、何億ものお金を使えるわけですから。日本はおそらく世界に類をみない映画文化を有しています。歴史上類をみないともいえましょう。いまだかつて、失笑を買うことにこれほど大きなお金が動いた国があったでしょうか。

 突っ込みを入れる必要はないと書きましたが、内容には一応触れましょう。要するに、よくわからない人がよくわからないことをしてよくわからない結末を迎える話です。人間がたくさん出てきます。人間が二足で歩き、方々に移動します。言葉を用いて会話を行います。何もしていないのに人々との交友関係を回復します。最終的には言葉さえも使わずに「悪」と会話し、「善」にします。

 作り手も意味がわかっていないはずです。どうしてこういうものをつくるのでしょうか。だってテレビ局の人たち、つまりはいい大学を出て一流企業で働いている人たちなのです。彼らがなぜこういうクソをわざわざつくるのでしょうか。結局のところ、彼らはきわめて短いスパンの収益だけを考えているとしか、ぼくには思えないのです。すごくよくできているけど客入りは少ない作品、ぜんぜん駄目だけど客が入るクソ、彼らは後者を選ぶ人たちなんです。だから作品の評価とかどうでもいい。そんなものは金にならないと考えている。だから、映画館に行った時点で、DVDを借りた時点で彼らの目的は達せられます。観客の満足感なんて金にならないのだから、彼らには意味がないんです。そう考えるのがいちばん合点がいくんです。タレントを吹き替えに使う風潮とまったく同じです。

どうしてそんなにも金目当てでいられるのでしょうか。金目当てこそ不況の一番の原因だとぼくは思うんです。金が大事だといえばいうほど、人々は金を大事にするわけです。だから金が回っていかず、不況になるわけです。不況だ、金が大事だ、というダブルアナウンスでますます金を使わなくなる。不況を打開する方法の一つは、不況だという情報をアナウンスしないことではないでしょうか。

 閑話休題。金目当て丸出し、ということはもう明白に、映画を、ひいてはものをつくるってことに何の愛情も執着も欲望も野望もないんですよ。いや、もともとはあったのかもしれない。それがなぜかいつの間にかなくなったのかもしれない。だったらもう死ねとしかいいようがない。そいつらを殺せば悪になるけど、大局的に見れば善ですよ。という危険な発言まで吐かせる始末です。

 あのー、つまらない映画というのは、別に腹が立たないんです。おもしろいつまらないは個人の感覚だし。『少林少女』は別につまらない映画じゃないです。もっとつまらない映画、時間がたつのが遅く感じられる映画、眠くなる映画はあります。『少林少女』は失笑できるぶん、まだ引っかかりはある。でも、この映画には決定的に、絶対的に駄目な部分があります。それはつまり、「ものをつくることを明らかに放棄している」ことです。その結果、クソのできあがりです。がんばって作ったけど駄目、なんてものはぜんぜん問題ないわけです。ぼくだってそういうものを過去にいくらでも作ってしまったし、ぼくなどがどうのこうのいえた立場ではありません。でも、そのときそのときでこれが自分のベストなんだと思ってやってきたつもりではあります。この映画が最低なのは、ちゃんとできるはずのことをしていないからです。それも大きな予算を使って、プロといわれる人たちがお金を取って大々的に宣伝して。幼稚園児だって一生懸命お遊戯会の練習をします。この人たちはそれさえしようとしていない。だからこそきわめて有害なんです。ちゃんとつくってもいないものが、マスメディアでがんがん宣伝され、垂れ流されるわけですから。そしてそれをつくっているのが、ザ・マスメディアのテレビ局自身なんですから。今思えば、『恋空』はまだ弁護できます。あれはちゃんと駄作を作ろうとしていたんです。その時点で駄目なんですよ、でも、駄作を駄作としてつくることにまじめだったから、まだ情状酌量の余地がある。『少林少女』はそうしたものですらない。誰もが言うことですが、癒しやら友情やらという記号をただ並べているに過ぎない。

 いっちゃ悪いけど、映画館詐欺みたいなものです。不良品だとわかっている作品、それもちゃんとつくろうとさえしていない作品で金を取るわけですから。でも、きっと彼らはどうでもいいんでしょう。どうでもいいニュースに大騒ぎしては忘れていく、そんなテレビを作っている人たちなんですから、きっとこの映画が駄目だったことも忘れているはずです。観客もどうせ忘れるだろうと思って、これからもクソをクソと知れたままつくるのでしょう。公開されたときに金が集まればいい、あとはどうなろうと知らない。金を出した人々がどう思おうとまったく関係ない。それはもう完全に、犯罪者の発想なんですけどね。
[PR]
by karasmoker | 2009-12-22 02:55 | 邦画 | Comments(0)
←menu