『アニマルハウス』 ジョン・ランディス 1978

気づけば映画の話をせずに、悪魔のことばかり。

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成人式の時期ですな。ぼくは成人式には行きませんでした。その夜の同窓会には参加しましたが、成人式には行こうとも思わなかった。なんか照れくさいというのが大きかったんでしょうね。成人式みたいなものは、個人個人で捉えればいいのです。この日が大人になった日だな、というのを個人で決めればいいのです。成人式というと、毎年狼藉者の悪逆な振る舞いがニウスになります。これはまずい風潮です。これ、というのはつまり、それをニウスとして毎年取り上げること、です。こうなるとむしろ荒れるのが普通、みたいな時代まで来てしまいそうで、マスコミは一斉無視を決め込むべきでしょう。

 個人的な意見としては、ああいう「荒れる成人式」を最初にやったやつはまだマシなんです。最初にやったやつには、強い意志を感じます。その矛先、方向性に問題はあるわけですが、それでも初めてやったやつはまだ弁護したい。くそったれな大人になるなんていやだ! という幼い咆哮であっても、それを自らの意志で発したところについては好感すら覚えます。駄目なんですよ、でも、まだいいところもあるんです。問題はそのニウスを見て真似だしたやつらです。こいつらは救いようがありません。これはもう間違いなくそうなんですが、今年の成人式も荒れる場所が出てきて、そいつらはきっと、「先輩がやったからうちらも」みたいなことを考えているんです、百パー。その程度の低さは万死に値します。もうそいつらは何を言っても救えないんです。もう何の意志もないです。だから警察に「なんでこんなことをするんだ」と言われても、何もないんです。「うるせーよー」「てめえこのやろう」しか言えない。会話ができない。どれほどに育ちが悪かったのか、憐れみを感じてやみません。

 さて、『アニマルハウス』です。これは言ってみれば荒れる成人式の連中が主役みたいな映画です。ですが、内容的には痛快なものが感じられるのであり、これは劇中でも語られるジョン・ミルトン『失楽園』にすら通じる映画なのです。

 SF作品に見られる完璧な管理社会、あるいは現代にもある社会主義、そうしたものに対する不快感はひとえに、逸脱が許されないことからくる強い窮屈さです。たとえ絶対に正しい管理が行われていても、あるいは絶対的に正しい指導者が世を統治しているとしても、その枠組みから脱せないと思うことは、たとえ想像のレベルであってもひどく窮屈に思える。それはすなわち、人間が持つ意志というものそれ自体が、原理的に「逸脱的なもの」だからです(ああ、また堅い話)。何かをしたい、と主体的に思う。そう思うのはつまり、現状への不満足が根本にあるからです。流れるままに進むことについて、抵抗感を覚える。だからこそ人は意志を持つわけです。

 意志とは今ここにある秩序をかき乱すものなのです。これはそのまま、『失楽園』の神とサタンの対立に符合しています。サタンはかつて天使でしたが、神に対して反抗し、地獄に落とされます。なぜ彼は神に反抗したのか。彼には意志があったからです。天国にいれば神の庇護を受け、幸せに暮らせる。たとえそうであっても、それは神の秩序にただ唯々諾々と従うだけの奴隷なのだ。天国で奴隷でいるよりも、たとえ地の底にあっても己の意志を持ちたい。そう考えたからこそ、サタンは反旗を翻したのです。

 反抗期、という言葉があります。あれはまさに、明確な意志を持つ年頃を指します。意志とは反抗的なものなのです。こうせよ、と言われる。でもそれに従いたくない。子供にとっての大人が神であるとするなら、その神に対してサタン的な意志を持つのが反抗期なのです。意志とは多分に悪魔的なものなのです。このことを明確に描いている旧約聖書はやはりすごい書物なのです。

 人間に知恵の実を食べよとそそのかしたのは蛇、『失楽園』ではサタンの宿ったものとして描かれます。それを食べたがゆえにアダムとイヴは追放された。その伝で言えば、悪魔なしには我々に意志は発生し得なかったわけです。いつまでもエデンの園にいられたのです。その理屈で行くと、神は意志を嫌っているように思えます。実際、旧約聖書ではただひたすら神の意志に従うことがよきこととされます。意志を持つのは神だけでよい、というわけです。神は善きもの、悪魔は悪しきものとされますが、旧約聖書にはそれを覆すような倒錯的な描き方がなされているように思えます。知恵の実を食べると死ぬぞ、と神は言いました。ですが、それは嘘でした。神は嘘をついていたのです。食べても死なないよと本当のことを言ったのは、誰あろう蛇だったのです。神は嘘をつきました。蛇は本当のことを言いました。
 

 個人的には、神よりも悪魔に惹かれます。悪魔こそが意志の発端にいたのです。神の言うとおりに生きよと言われても、実際それで生きていける人などほとんどいません。人が生きていくには自ずから生まれる意志が必須であり、それは神ではなく悪魔の導きによるものとさえ言っても、過言ではないのです。

 だんだんトーンが危険になってきた。
ぜんぜん『アニマルハウス』の話をしていません。『アニマルハウス』は大学生の劣等生集団が優等生チームに弾圧され、退学にまでされ、なにくそと言って暴れ回る話です。こいつらはもうどうしようもない集団ですが、願わくばもっともっとどうしようもない集団として描いて欲しかったですね。それなりに女の子といい思いをしたりもしますから。そうじゃなくて、もう女にもモテないし勉強もできないし、それでも意地はあるんだぞ! という映画にして欲しかったなあとも思います。ぼんくらは揃っているんですが、ちょいちょい優等生チームにいてもおかしくないような面のやつもいるので、これはちょいと邪魔です。『サボテンブラザーズ』の監督ですが、笑いはやはりいい線ついてきます。小ネタがいいです。あの映画よりも十年前に撮られているので、アホ路線のターボはそこまでないので、ファニーな快楽はちょっと期待値より下でした。

 ただ、この映画で好ましいのは、こいつらが徹底して人を傷つけないところです。いわゆる不良とは違うんです。こいつらはきちんとしているアホなんです。反社会的ではなく、脱社会的なやつらです。その点、どうせ今年も先輩のマネしかできない不良たちとは違います(考えてみればやつらは先輩という神様に従っているだけです。なんら悪魔の誇りがありません)。個人的には、映画の中で、あんな風にパレードをぐちゃぐちゃにしたりするのは好きではありません。ただ、こいつらには明確な意志があるというその一点において、『アニマルハウス』のぼんくらどもを、擁護したいと思います。
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by karasmoker | 2010-01-09 04:14 | 洋画 | Comments(0)
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