『誰も守ってくれない』 君塚良一 2009

これをベスト級に入れるって、馬鹿じゃないのか。

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 宇多丸が昨年のワースト4にしており、別に観なくてもよい映画だと判断していたのですが、キネマ旬報ではベスト9になっており、あらら、何かしらあるのかしらと思い、ディスカス。

 結論から言うと、宇多丸のポッドキャストですべて言い尽くされているなあという感じです。あれで全部言われているので、ぼくがここでいちいち指摘する必要はありません。これをベスト9に入れたキネマ旬報の選者たちを心底疑う。選考方法はというと、これは映画ベストテンを選ぶときに広く行われるポピュラーなやり方で、10本を選び、1位に10点、2位に9点、3位に8点という具合に与えていくものです。順不同の場合は1本につき、5,5点が与えられます。キネ旬といえば昔からの権威ある映画情報誌ですから、多くの映画観(えいがみ)たちが携わっているわけでしょ。評論文みたいなのを書いてお金もらってるわけでしょ。それでこれに点をあげた人が複数いるわけでしょ。どういうやつらなんだよ! 

 映画はと言うと、簡単に言えば「フジテレビ失笑シリーズ」のひとつです。ただ失笑を漏らすばかりなのです。少年犯罪の加害者家族、志田未来演ずる女の子と、彼女をマスコミの過熱報道から守る刑事、佐藤浩市が主人公です。犯罪における加害者家族の葛藤なり実情なりを描く、というところが本作の売りなのでしょう。

 つまり物語内容としては、徹底してリアリティに比重のかかるものです。リアリティなんてものは本質的にはどうでもいいのですが、この手の話だといちばん大事な要素になります。一般の人が知らない社会のありようをモチーフにしているのですから、「こんな風にはならないよ」と思わせては駄目なのです。この手の映画はそう思わせた時点で、もうアウトなんです。

 だからもうかなり序盤でアウトでした。こんな風にはならないだろ、の連続です。いちいち突っ込むのも面倒なほど低レベルなものです。やっぱりこの手の話なら、一般人、観客の実感が大事になるわけですよ。我々が日頃ニュースなり何なりに触れているときの実感がくすぐられなきゃ駄目なんですよ。中学生の女の子の写真なりインタビューをマスコミがあんなに欲しがるわけないじゃないですか。写真撮ったところでどこで使うんだよ!使えねえだろ! どのデスクが「加害者の妹である中学生の写真を撮ってこい」と指示するのでしょうか。カーチェイスまでして。実際凶悪事件のニュースに触れても、そんな加害者家族の写真、見たことないじゃないですか。これね、実際ニュースでそういう写真が多く報道されていれば、実感とそぐうんですよ。でも、日頃見ているニュースとはぜんぜん違うから、もう架空の話もいいところなんです。

加害者家族のどうたらを描きたいのでしょうが、それを悲劇的に描くために他のすべてを歪曲して厭わない。2ちゃんねる的なものの描かれ方はその極みです。あれもね、一度だってああいう暴走が現実に起こっていれば受け止め方も違いますよ。でも、あんな風にまで暴走したこと、一度でもありますか? いやいや、これから起こることがあるかも知れないのだ、警鐘なのだ、というんですか? あのねえ、ネットをやる人の人格を疑いすぎ。宇多丸は的確に指摘していました。この監督はネット嫌悪がひどすぎる。どうしてこの監督がネットをそこまで嫌悪するのかという推理も含めて、溜飲の下がる指摘でした。しかもわかりやすく、ネットで暴走するやつはアニメオタク的だということにしている。パソコンにアニメのシール貼らせてね。あのさあ・・・・・・いや、なんか、もう、いいや。

 かようにこの映画では看過できないレベルの誇張が行われています。テーマを描きたいがために、他の「いやな要素」を誇張しすぎている。マスコミの過熱報道とか、ネットの炎上とかを批判したいのかもしれないけれど、この映画自体がまったく同じ愚を犯しているんです。報道なり何なりに文句をつけているおまえが、いちばん事実をねじ曲げているんだよ! ということです。人に向かって「ちんこが出ているよ」と言っているおまえが、なんで全裸なんだよ! しかもてめえのちんこは勃起までしているよ!

 この映画は罪が重いですよ。
 中にはね、これを観てね、「報道とかネットとかの問題を考えさせられました」みたいに受け取っている人もいるみたいなの。ってことはその人たちは、この作り手によって思い切りねじ曲げられた世界を信用してしまっているんですよ。間違った世界認識を植え付けるんですよ。まさにさっきのちんこの比喩通りで、批判しているこの監督がいちばんの悪なんです。

宇多丸が触れていなかった細かい点を指摘しておきましょうか。
 まず、あのケータイのくだりです。ケータイを覗かれるのが嫌だ、持ってきてくれというんですが、あのケータイに関してはネットの恐怖は描かれないんですよね。ぼくはてっきり、あのケータイのアドレスもばれて、誹謗中傷のメールがばんばん入ってくるとかされると思ったんですよ。ねじ曲げた世界ならいっそのこと、ちゃんとねじ曲げるべきです。駄目映画でも駄目映画なりに脇を固めるべきで、そういう演出一つで彼女の孤独感なり危機感なりを高められるじゃないですか。住所までネットにあがるほどのねじ曲げ方なんだから、いっそのこと徹底してねじ曲げて、そのねじ曲げを物語的に有効に使え! と、言っても、監督本人は悪いねじ曲げだと思っていないわけですけど。

 母親の自殺が記号的に過ぎます。悲劇性を高めたいのでしょうけど、あれはあまりにも記号的。自殺させるならその種、つまり母親の人格をたとえわずかでもあれ描く必要がある。別にエピソードに時間を割く必要はないんです。細かい演出でできるんです。たとえば役所の人間が来たとき(あれも嘘らしいんですけど。本当にひどい)、事務的に婚姻の処理をするんですが、そのときも母親は手が震えてペンが持てないであるとか、異常に部屋の汚れを気にしてみせることで、精神的に危ういのだと観客に知らせるとか、あるいは逮捕された息子を気遣って差し入れを頼む、でもその差し入れが訳のわからないものになっていて精神錯乱を思わせるとか、なんでもいいんです。いくらでも思いつく。数秒のカットでできる。そういう気遣いがないから、記号的な自殺という最悪の方法に堕す。そして、父親はどこに行ったのだ! おっさんと少女の取り合わせって映画的に好きなんです。『チェイサー』とか『レオン』とかね。あれをしたかったのかもしれませんが、そのためにも父親をもうちょっとしっかり扱え!

 あと、これは本当に重箱の隅の隅、気づく人も少ない場面でしょうが、冒頭の場面、佐藤浩市らが買い物をする場面、あれ、池袋東口なんですよ。ぼくの家の近所です。でね、佐藤浩市は娘へのプレゼントを買っているんですね。まあ平穏な場面のわけです。でもね、彼が抱えている過去の事件のトラウマというのがあって、その事件の起こった現場がなんとまったく同じ場所なんです。本当なら近寄りたくもないんじゃないのか!? 回想場面はほとんど映らないからいいと思ったのでしょうし、まあ重箱の隅の隅ですから見逃していいんですけど、いかんせん池袋東口の風景をぼくは知っている。こういうところでも印象が悪くなってしまった。

 芝居に関しても、はっきりとテレビドラマの芝居。映画じゃない。監督がテレビドラマで成功した人ですから癖が出るのは仕方ないけれど、だとするならこれは映画じゃなくて、テレビドラマとしてやるべきだった。内容的にも、テレビドラマの仕様です。

 この映画をベスト9に入れたキネマ旬報はやらかした感じです。これをベスト級に入れた映画観(えいがみ)を、今後ぼくは一切信用しません。去年は『グロテスク』も『オカルト』もあったのに!
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by karasmoker | 2010-01-20 01:46 | 邦画 | Comments(0)
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