『女囚さそり 第41雑居房』 伊藤俊也 1972

表現トハ是レ狂ウ事ト見ツケタリ。
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最近ここで取り上げる映画の傾向が特にそうなのですけれども、優れている映画、面白い映画の多くは、すっごく濃いんです。濃度、密度、熱量、迫力、どういう言い方でもいいんですが、やっぱりぶっちぎっている映画ってのはそれだけで人々を引きつけるんですよ。このブログの検索ワードでいちばん多いのは『愛のむきだし』なんですが、あの映画は最近の日本映画の中でも本当にぶっちぎりに熱いんです。そしてその熱ささえあれば、細かい設定や演出なんてものはどうだってよくなるんです。もちろんその「熱さ」の表現法はひとつじゃなくて、映画のベースラインに底流するものとして表される場合もある。ぼくにとっての『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』はそれに当たります。

 濃い映画って、大体がいびつなんです。どこか壊れている。でも、そこさえも魅力に転ずるものが、確かにあるのです。ここが傑作と駄作、カルト的熱狂を生む作品と昨今のテレビ局映画の最大の違いです。どちらにしたって突っ込みどころはあるんです。なんやそれ、という展開があったりするし、変な表現がたくさんある。その点で両者は通じているとも言える。でもね、明らかに違うんです。いい映画は爆笑できるけど、悪い映画は失笑になる。その差異は何によってもたらされるか、について、明確な言葉で語ることがぼくにはできません。夜通し語り明かす必要があります。でも、キーワードがひとつだけあるとしたら、「狂っているかどうか」じゃないかと思う。

狂気の歴史によって近代が封じ込めた「狂い」。その枠から逸脱するものは、そりゃ熱狂を生むって。まさに「熱狂」ですよ。枠の外に行っちゃっているもの、枠からはみ出すもの、そこに熱を見いだすんです。『ごっつええ感じ』のコントは主に松本人志によって演じられたキャラクターが、狂っていたんです。その後のバラエティのコントは狂っていない。狂っていないコントでは、「おかしな言動を取る変なキャラ」に留まる。「こんな変なやつがいたら面白いよねー」みたいなテンションなんです。狂っているやつって、自分の面白さを制御できないんです。その制御し得ない面白さによって枠の外に開かれるのであり、いい映画にはその制御できない狂いがあるわけです。駄目な映画には、制御しようとさえしていない怠慢さがあるのです。あるいは、制御しうるものだけをしようとする器の小ささが。

 人間についても同じようなことを感じるし、あるいは他の表現全般についてもほとんど意見は変わらない。やっぱり狂わなきゃ! 狂うっていうのは放送でも引っかかるくらい危ない言葉とされているけれど、笑いの本質は、狂いなんだよ。

 こういう話って、通じにくいんだろうなあ。

 まあいいや。それで今回の『女囚さそり 第41雑居房』です。さそりシリーズ第二弾です。監督の伊藤俊也は東大文学部出身で、大先輩です。ちなみに増村保造も東大文学部。学部が同じでも学科が違えば先輩意識はないし、そもそもあまりぼくのほうに帰属意識がないのですが、そんなことより、伊藤俊也や増村保造という狂った映画を撮る人たちが東大文学部出身というのは、なんだか嬉しいです。インテリ風味のアート映画なんて撮らないんです。狂っている、熱いものを持っていたのです。

 一作目に比べてさらにぶっ飛んでいました。もう暴風雨警報発令どころか、警報発令装置まで吹き飛んでいます。一作目と違うのは、梶芽衣子演ずる松島ナミが他の囚人たちとともに脱獄するところです。一作目は主に刑務所内の話でしたが、今回は早々に脱獄し、逃げ回るというわけです。もうほとんど全編にわたって演出が変です。んなアホなの連続です。でも、アホでありながら格好いいんです。饒舌な面々を配置しつつ、梶芽衣子には全編中、たった二言しか喋らせません。この方針を一貫させているため、彼女にはいっそうの迫力が宿るのです。

 役者っていうのは、その人を知らないほうがやっぱり観ていて気持ちいいのです。今は俳優がテレビに出ておしゃべりしたり、CMでちゃらちゃらしたりしすぎです。それでいい映画ができるなんて、まさかまさかって話ですよ。だからもうね、たぶんね、観る側も真剣に観ようとしていないんですね。片手間で観ればいいくらいの感じでしょ。どうしてくれるんだよ。

話がずれずれですけれど、バラエティなんかもそうでね、たとえば今は出演者の言葉をいちいちテロップで出すじゃないですか。あれはね、よくないんです。あれをするとじいっと没入して観られなくなりますよ。ラジオは音しかないから、その分聴き入るわけですけど、テレビは音と文字の両方で言葉を伝えようとする。聞こえている台詞にもいちいち字幕を付けてね。聴覚障害者にとってはいいでしょうが、他の大多数の視聴者に悪影響です。ああいうのを「悪影響」っていうんだよ! 松本人志はさすが慧眼、著書『松本』の中で十数年前、テロップの過剰導入に反対していました(その彼が出ている番組がテロップの嵐になっている。ああ、周りのスタッフは何を信じているのだ?)。

 気づけばぜんぜん映画の話をしていないのですが、ぶっ飛んでいる映画については言葉で追随することがなかなか難しいんです、実際。あれだけぶっ飛ばれたらもう、いちいち言う必要がないんです。くだらない評言を吹き飛ばすような、圧倒的な表現に、これからもたくさん出会いたいと願います。
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by karasmoker | 2010-04-19 23:58 | 邦画 | Comments(2)
Commented by 白川 at 2010-07-02 01:54 x
僕もさそりシリーズの中で一番好きなのはこれです。
Commented by karasmoker at 2010-07-02 02:41
「2こそが最強の映画」は数ありますが、なるほどこれもそのひとつとして異論ございません。
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