『偽大学生』 増村保造 1960

狂おうとして狂えていない作品の例。
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「ゴールデンウィーク」という名称はもともと映画興業の宣伝文句だった、というのはかなり有名な豆知識でありましょう。ではどこの会社の人がつくった言葉なのか、といえばこれは大映専務の松山英夫さんという方が考案されたものらしく、つまり「ゴールデンウィーク」の過ごし方として大映映画を観るというのはなかなか正統な行為なんじゃないかと思い、新文芸座。大映は潰れたけど。

 新文芸座はさすがであって、この黄金週間にかの大映看板監督、増村保造特集を組んできました。毎日出かけなくちゃいけなくなりました。この連休中は毎日新文芸座に行くので、見つけたら声を掛けてください。ぼくは深紅のイヴニングドレスを着てちょびひげを生やし、左手には釘バット、右手にはカーキ色のずた袋を抱えているので、捜してくれればわかるはずです。

さて、併映は『からっ風野郎』だったのですが、タイミングを逸して見過ごしました。これではなりません。明日以後は気をつけなさい。はい。

さて、『偽大学生』です。これは大江健三郎原作作品なのですが、 彼は本作のソフト化、テレビ放映を許可していないらしく、見逃すわけにはいかじと勇んで出かけました。

東都大学(この名称は「東京大学」の模倣品として最もメジャーな名前ですね)の受験に失敗した大学生大津彦一(ジェリー藤尾)が、身分を大学生と偽って学生運動グループに入ってしまい、そこで物語が駆動していきます。

 本作はモノクロですが、増村保造作品の大きな魅力は色彩にあるので、この点は他のものより味わいが減じます。構図的な面白さも他の傑作に比べると弱いのです。増村のミューズ、若尾文子が今回の特集上映の目玉なのですが、本作の彼女はどうにも下ぶくれで美しさは感じられません。その点は他の作品に期待です。大学生の設定なのに、瑞々しさは皆無であり、野蛮さも薄く、平たく言うとけだるそうなばばあっぽいのです。時折30後半のばばあなのかと思う場面もあり、結構残念に思いました。

『卍』のときに書いたのですが、増村保造の大きな魅力はその濃度です。逆に濃度のない増村はあらが目立つ結果になります。今回はどちらかというと、濃度がなかった作品かのように感じられました。

ジェリー藤尾扮する大津は合格してないので大学生でありはせず、学生運動グループ内でスパイ嫌疑をかけられます。そして部室の中に監禁されるのですが、ここなども場の熱量が弱いのです。限定された空間は映画においてとても大事な要素で、自ずとその場に力が発生していくものですが、ことこの映画に関して言えば、それがあまりにも希薄であるように感じられました。さてそれはなぜかと考えるに、あの監禁の場面がだらだらしていたからです。時間的なだらだらではなく、人々の動きがだらだらしていたのです。スパイでも何でもないのに理不尽な拘禁を受ける。その理不尽さに耐える姿は熱に繋がるのであり、哀しみを生むはずなのに、周りの連中がどうにもぶつぶつぶうたれているだけだから、主人公の悲しさや辛さが伝わってこないのです。いや、むろん映画製作には何にせよ制約がつきものです。予算、人員、あるいは表現の「許可幅」。でも、だからこそ、ここは若尾文子に頑張ってもらわねばならなかったんです。

 若尾文子が多少なりともはっちゃけてくれていれば、この映画はもっとずっと熱いものになり、ひいては終盤の狂気も炸裂に至ったはずなのです。ところが若尾文子はずっとだるそうにしているのです。彼女がぜんぜん面白くありません。頭が痛いのか知らないけど、何かというと頭を抱えています。彼女は「自分たちのやっていることはこれでいいのか」と悩む立場の人なので、普通の人物像としてはリアルかも知れません。だけど、だけど、だけどさ! いかんせんそのせいで面白くならないんだよ!

 この監禁のくだりは映画全体に影響します。というのも、この監禁部室こそが、狂気の苗床として扱われているからです。終盤、ジェリー藤尾は狂っていくのですが、それなら狂気の苗床を痛烈に描かない限り、爆発の熱量がこもらないはずなのです。ラストシーンを観るまでの間、映画のクライマックスにおいても、ぼくはあのジェリー藤尾が本当に狂ったのかどうかわかりませんでしたよ。狂ったふりをしているんじゃないか、と疑っていました。狂気の苗床が不十分だったので、その実りが得られない描かれ方でした。だから母親の登場も唐突に映る。あれね、彼が狂っていれば唐突でいいんです。狂気とは往々にして唐突に発露するものです。でも、狂気が醸成されていないから、母親の登場も悪い意味で唐突。正義云々の話もから回る。

 とはいえ、映画で語られることそれ自体は好きです。保守をやっつけろ正義は我々だとほざく学生運動を、実際てめえらも駄目な連中じゃねえか、と揶揄しています。早い映画監督、速い映画監督として、きちんと1960年の段階で釘を刺しているのは好きです。ただ映画としては、狂気の熱量がもっともっとほしいものなのでした。おわり。
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by karasmoker | 2010-04-29 22:05 | 邦画 | Comments(0)
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