『続・激突! カージャック』 スティーブン・スピルバーグ 1974

ゴールディちゃんの大変な勇み足ぶり。
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原題『Sugarland Express』
 スピルバーグの長編劇場用作品デビュー作は実は『激突!』ではなく、こちらのようです。ぼくは『激突!』がデビュー作だと思っていました。世間の映画好きにもそういう人は多いのではないでしょうか。『激突!』はもともとテレビ用だったのであり、純粋な劇場用映画はこちらがデビューなのです。ちょっとしたうんちくにしましょう。

さて、「続」がついていますが、ぜんぜん関係ないです。原題もまるで違うし。これならば単に『カージャック!』とかいう邦題にしてもよかったんじゃないでしょうか。公開当時の客入れのために、間違ったようなタイトルが何十年も引きずられています。

 物語はと言うと、二人の若い夫婦が自分の子供を連れ戻すために警官を人質にし、パトカーで子供のいる土地へ突き進んでいく話です。この夫婦は刑務所に入っていたため、子供が里親に引き取られてしまったのでした。妻は釈放されていたのですが、夫はまだ収監中で、もう待ちきれないわよ! ということで彼を脱走させ、逃避行をするのです。

 1969年の実話をベースにしているらしく、若夫婦の感じもあからさまにボニーアンドクライドに似ていて、アメリカン・ニューシネマの中に位置づけてよい作品だと思います。スピルバーグという人は言うまでもない世界トップの映画監督ですが、この時点で映画の申し子としての才覚を露わにしています。なぜなら彼は本作でそれまで大流行していたアメリカン・ニューシネマ作品を作り上げ、次作『JAWS』でその流れを断ち切りにかかるのです。

アメリカ映画の大きな転換を象徴する映画は、70年代半ば、一年ごとに公開されています。75年の『JAWS』、76年の『ロッキー』、そして77年の『スターウォーズ』。反抗の美学、敗北の美学に依っていたアメリカン・ニューシネマの流れは、この三作によってはっきりと断ち切られました。

 閑話休題。『続・激突! カージャック』。ボニーアンドクライドのボニーに当たるのがルー・ジーン・ポプキン、演じたのはゴールディ・ホーンという人です。この人がグンバツにかわゆい、というのはきわめて重要な要素でした。この人がかわゆいので許せてしまうのです。追跡していた警部もめろめろになるのです。ヒロインは美女が演じてなんぼ、というのが映画の常道ですが、この手の作品は特にそうです。この役ははっきり言ってブスでは成立しないのです。この役がブスであったら、もう最悪の調子乗りの大迷惑勘違い女です。『マーダーライドショー2』もこれに同じです。ゴールディさんは安達祐実に似ています(ぜんぜん関係ないけど、安達祐実は園子温映画に出たらかなりはまると思います)。このゴールディ・ホーンの魅力でこの映画の株はかなり上がっています。なおかつ面白いのは、商品を買うともらえるサービスポイントの券みたいなのを大量に抱えているところです。警察に追われてえらい状況、銃乱射の現場にいるときでさえ、彼女は大量のサービス券を抱えているのです。とてもキュートです。

 1969年という時勢柄でしょうか、彼らは一種のヒーローとして注目されます。街の人は逃亡犯の彼らを応援しているのです。ボニーアンドクライドの時代から30年以上が経過したこのとき、再び同じような構造が生まれたのは興味深いところです。もうひとつ連想するのはサム・ペキンパーの『コンボイ』(1978)。あのテイストにかなり似ています。車が大行進するのも、支援者が大量に出てくるのも同じです。どうもアメリカの人たちは、みんなで応援するぞ! みたいなモードになりやすいたちのようですね。こういうのは日本映画で見かけることがありません。日本映画との違いで言うと、アメリカはやっぱり、国土がでかいのが強みですねえ。『カージャック』は夕焼けや朝焼けが非常に印象的なんですが、荒野に夕焼け、というのは古く西部劇時代からの映画的背景。日本はせいぜい海の朝焼け、夕焼けくらいしかないですからねえ。

 映画の話からそれるいつものパターン。
 最終的に、夫婦は子供のところにたどり着くのですが、まあうまくは行かないわけです。 ただ、観ながら思うのは、彼らが取り戻そうとしていた子供が結局取り戻されなくて、それはそれでよかったんじゃないか、ということです。はっきり言ってこのゴールディ・ホーンは母親として相当未熟だろうということが予想されるのであり、あの品の良い老夫婦と一緒に暮らしたほうが、一応は幸せに暮らせるだろうな、と思わされます。ゴールディ・ホーンとウィリアム・アザートンの夫婦は、仮に子供を取り戻しても、かなりの高確率で馬鹿親になる可能性が高かったように思います。なおかつ取り戻したところで結局は刑務所に戻されてしまうだろうし、そう考えると彼らが失敗してひとまずはよかったんじゃないか、と思ってしまうところもある。ぼくの中の、「良識」。

 全体としては、この映画を一言で言うと、「ゴールディちゃんの勇み足」なのです。刑期があと数ヶ月で終わっていたのだから、それからじっくり取り戻せばいいのだし、そうしないと結局は何もかもうまくいかないことは最初から明白だったはずなのです。よくよく考えてみればこのゴールディちゃんは最悪な女なのですが、そういう最悪なやつにも熱いものを観るのが映画なのです。「良識」というのは往々にして、無関係な人間が安全な場所で知ったような口を聞くことなのであり、当の本人にしてみれば、「そう言われたって黙っちゃいられないのよ!」という気持ちがあるわけです。「狂う」というのはある意味で、「客観の放棄」です。でも、客観を捨てた主観まっしぐらの人間にのみ宿る熱さがあるのであって、それはぼくの大好物でもあるのです。 
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by karasmoker | 2010-05-07 05:50 | 洋画 | Comments(0)
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