『エレファントマン』 デヴィット・リンチ 1980

過去にびりびり触れる。でも、ぼくにわかろうはずもない。
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19世紀のロンドン。生まれつき奇形で醜悪な外見により「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた青年、ジョン・メリック(ジョン・ハート)。肥大した頭蓋骨は額から突き出、体の至るところに腫瘍があり、歪んだ唇からは明瞭な発音はされず、歩行も杖が無ければ困難という悲惨な状態だった。

ある日彼を見世物小屋で見かけた外科医、フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)は興味を覚え、研究したいという理由で持ち主のバイツ(フレディ・ジョーンズ)から引き取り、病院の屋根裏部屋で彼の様子を見ることに。

はじめは白痴だと思われていたジョンだったが、やがてトリーブスはジョンが聖書を熱心に読み、芸術を愛する美しい心の持ち主だということに気付く。当初は他人に対し怯えたような素振りを見せるジョンだったが、トリーブスや舞台女優のケンドール婦人(アン・バンクロフト)と接するうちに心を開いていく。

 これまでに観たことのあるリンチ作品は観た順に言うと、『マルホランド・ドライブ』『インランド・エンパイア』『ブルーベルベット』『イレイザーヘッド』。正直、どれも好きではないんです。どれも監督の代表作と言われるものでありますから、ああ、ぼくにはリンチは合わないなこれは、と決めていたんですけれど、本作『エレファント・マン』に関しては別です。これはとても素晴らしかったです。

 実在した男性、ジョゼフ・メリックの伝記映画なのですが、彼は大変な奇形なのです。それゆえまともな職に就くこともできず、見せ物小屋に出されてひどい生活をしていたわけです。そんな彼が医師と出会い、人生を踏み出していくことになるのです。

 白黒映画であり、音楽演出、カット割り、舞台設定などもかなり古風に仕上がっています。1980年の映画ですが、50年代の映画だと言われても違和感がありません。とても素朴に物語っているのであり、妙なてらいはなく、ジョゼフ・メリックという人をきちんと描こうとした点、とても好感が持てます。

 今でこそ障害者という人々への理解なり何なりが広まっているし、人種差別なども昔に比べれば弱まっているのでしょう。しかし19世紀となると、今ほどの寛容さはなかったと思われ、このメリック(そして同様の奇形者たち)の人生がいかほどのものであったか、想像すらできません。黒人差別がひどいとか、人種差別がひどいとかっていう問題はあるし、それも確かに大変な刻苦なんですけれど、そういう場合はそれでもまだ、その中で共同体を築けるというか、傍に同じ境遇の人間を置くことはできる。思うことはできる。でも、彼のような人間は、そうじゃないですからね。街を歩くだけで奇異の目を向けられるし、それどころかまともに動くこともままならない。そうした人々への気持ちというのはちょっと、うまく言葉にできないです。

 ぼくが小学校の頃、通学路で、奇形の人とたまにすれ違うことがありました。その人はおそらく中年の女性で、いつも自転車に乗っていたのですが、顔の半分が腫れて爛れていたのです。ぼくは彼女を恐れました。彼女の顔を見て、いつも目をそらし、その顔の残像に怖気だっていたのです。あるときぼくが自転車に乗っていると、その人の自転車とぶつかってしまいました。大した衝突ではなかったのですが、ぼくは相手が彼女だということに気づいており、顔も見られず謝りもできず、そのまま逃げ出してしまいました。

 彼女が何をしたわけでもないのに、ぼくは彼女を恐れていたのです。奇形であるという、ただそれだけの理由で。

 顔、という対人関係におけるきわめて重要なファクター。
 ぼくには悲しい記憶があります。
中学二年の頃に鼻の頭に大きなできものができました。それは小豆大に赤く腫れ上がり、半分爛れたような状態でした。思春期ににきびができるのは誰しも経験することですが、それはにきびとも別種の、まるで原因不明の爛れでした。これは高校に上がってもなかなか治ることはなく、それどころか他の部分にもにきびが増えたりして、もうぼくは誰とも話したくありませんでした。高校生の男子、多感な年頃、好きな女の子にそんな顔を見られるのは、望ましいわけがないじゃありませんか。だからぼくは好きな女の子が優しく話しかけてくれても、まともに返事もせずに、相手を傷つけてしまったりしたのです。ぼくはそのときのことを謝るまで、ずっと後悔し続けるだろうと思います、たとえ相手が完全に忘れていたとしても。今思い返すに、あの頃ぼくのお肌がつるつるであったなら、きっと違う性格になっていただろうと思います。

 だからぼくはイケメン野郎が「人間関係とは~」などと言うのを聞くと、虫酸が走るのです。おまえね、ちょっと廊下を歩くだけでね、キモイキモイと囁かれてきた人間の気持ちがわかるか? 教室の自分の机にいるだけなのに、女子数名がなんか後ろでごちょごちょやっていて、何かなと思えば、ぼくのほうに向かって一人が友達の体を押し、押された友達がそれを嫌がって身をよじる。その様を見たことがあるか? 廊下を歩けば「彼ってば格好いいよねー」的な目線を向けられて生きてきた野郎は、そういう経験を素通りして生きているんです。奇形の人々をあくまで客観しかできない。主観的な被差別体験がない。それですくすく育つのはてめえの勝手だよ。だけどてめえみてえな野郎が、人間関係だのコンプレックスだの生き方だのについて語ってんじゃねえよ。

 映画から遠く離れた。いや、でも、『エレファント・マン』については、ぼくの場合は、結構引きつけて見てしまうところがあります。

 恥さらしついでにもうひとつ披瀝すると、ぼくの弟は重度の知的障害者で、言語を解することができません。身体はぼくより健康なくらいですが、時折かんしゃくを起こして泣きわめくことがあります。そうなるとしばらく手が付けられなくなるのです。小中学校の頃、家族旅行に行った先で、泣きわめくことがありました。あるレストランに入ったとき、どうにも手が付けられず、両親が彼を連れ立ってトイレに入りました。ぼくは食堂に留まっていたのですが、ウエイトレスのバイトの女子高生は「何なのあれ」「こわーい」みたいなことを言っていました。そこには蔑みの口調があったのでした。断じて、「障害者の人だから仕方がない」というような声色は、なかったのでした。

 ぼくにとってはたくさんの記憶を巡らせる映画でした。差別は良くないとか、蔑まれたほうの気持ちになれとかは言いません。ぼくだって奇形の人を恐れた記憶があるのです。ただ、彼がそれでも生きていようとしたのだ、ということについて、なんとも表しようのない気持ちになるのです。劇中、彼が医者の奥さんに話しかけられたとき、「こんな綺麗な人に優しくしてもらったのは初めてだ」と泣く場面があります。ただそれだけのことが、彼にとっては大変な感動だったのです。興味本位で人々にもてあそばれ、追い詰められ、「ぼくは人間だ!」と叫ぶ場面。それを、大声で言わないと生きていけない人生。やっぱり、ぼくには想像さえもできないのです。

 かなりがつんと来る映画でした。多言すればかなりナイーブな領域に踏みいりそうなので、今日はこの辺にするよ。
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by karasmoker | 2010-05-08 23:31 | 洋画 | Comments(2)
Commented by 軍平 at 2012-04-17 01:23 x
表現が適切でなく、もしくは失礼かもしれませんが、良い文章でした。
踏み込みが深いというか、なまくらではなく、真剣。
ブログ続けてください。
勝手な希望にはなりますが。
Commented by karasmoker at 2012-04-17 22:45
コメントありがとうございます。
 そうしたコメントをいただけると、続けようという気持ちになるのであります。
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