『呪怨 白い老女』 三宅隆太 『呪怨 黒い少女』 安里真里 2009

雰囲気づくりができていない。それに尽きる。
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 宇多丸さんのラジオにたびたび出演している三宅隆太監督。ホラー映画の作り方や脚本の書き方についての話がためになり、それなら作品も観ておかねばと期待して呪怨。

 昨年公開の呪怨シリーズ最新作ですが、ぼくはこれと劇場版一作目しか観ていない不届きものです。ビデオ版がいいという話も聞きますが、劇場版一作目を観て、他も観てみようとは思えなかった。個人的に、ホラー映画、恐怖演出をしくじりまくっていると思ったからです。

 そこへ来て今回の三宅隆太監督はホラー映画についていろいろ理論をきちんともっているらしいので、これはひと味違うんじゃないかと思ったのですが・・・。

 正直に言ってぜんぜん怖くない。言うは易し、行うは難しということでしょうか。
劇場版一作目と同じ過ちを繰り返しているだけ(たぶん二作目もそうなんでしょう)。ここでは一作目について述べましたが、あのとき指摘したことを繰り返せば事足りる結果でした。悪いけど何にも進化していない。三宅監督の他作品はまだ観ていないんですが、これではちょっと期待が持てない感じがします。

 彼がラジオでホラー映画の作り方について語った際、登場人物と幽霊の映し方について、こんなことを言っていました。
「登場人物と幽霊が対峙したとき、人物はバストショットで、幽霊は遠巻きに映す。こうすることで観客は、登場人物を近しい存在、幽霊を対話不能な存在として印象づけられる」

 なるほど、その方法論は一見正しく思える。では、実際に観てみるとどうか。

 これがねえ、登場人物をバストショット、アップショットで映す際の配慮に欠けているんです。『白い老女』『黒い少女』両者ともに指摘できる欠点として、あまりに登場人物の顔を映しすぎる。綺麗に、まるでテレビドラマみたいに。

 このタイプの映画はテンポがゆっくりです。それもそのはず、幽霊のアタックまでをじわじわと盛り上げていく必要があるので、アップテンポにはできず、わりとじっくり間を置いて撮る。そうなるとどうなるか。人物は不穏な影、不安な気配を前に立ち尽くすことが多くなる。そうなるとどうなるか。当然、役者はただじっと立って目線を向けているだけになる。その人物が確かにそこにいる、という微妙な仕草や目線の動き、息づかいが演出できず、ただ怪しんでいるだけの人間として位置づけられる。これをいくら接写したって、雰囲気が醸成できるわけがない。登場人物の不安そうな顔、虚心の顔を映せば怖い雰囲気ができると思ったら、観客が感情移入してくれると思ったら大間違い。むしろ逆です。アッキーナかわいいな。みひろかわいいよ。加護ちゃんかわいいじゃん。そういうことばっかりに目がいく。

 二作に共通して言えることは、登場人物の顔なんかをあまり映さないほうがいいということです。むしろ引きの画で撮るべき。そのほうが、誰もいない空間に一人置かれた人物、周りに誰もいないうら寂しい場所にいる人間という感じが絶対出るはず。

 そうでないなら白石晃士の『ノロイ』や『オカルト』を見習うべき。あの人はハンディカムを多用するからこの映画に負けず劣らず顔が大写しになるけど、むしろ非ドラマ的な近さで接写したりするし、他の場面ではちゃんと登場人物を動かしているからその人間にも存在感が宿る。登場人物に存在感が無いままアップにしたって、ただ可愛らしいだけです。

 今回の二作はどうしてこうも雰囲気作りがへたくそなのでしょうか。前にも書きましたが、ホラー映画は雰囲気が勝負なんだって。幽霊が出てきてびっくり、って『呪怨』はなんかそれが好きだけど、それはびっくりで恐怖じゃないの! ああ、怖いなあ、不気味だなあ、という雰囲気、その状態。それこそが恐怖映画の醍醐味だよ。それを醸成しないまま、幽霊がドーン! 怖かった? 怖かった? 怖くねえよ。びっくりしたよ。でも、怖くはねえんだよ。

どうして雰囲気作りができないかと言うと、いろいろ理由はありますが、登場人物の芝居、演出がドラマドラマしすぎているんです。幽霊が出てこない場面の演出が下手すぎる。いかにもお芝居。『黒い少女』の演出なんて、再現ドラマレベルで吹き出してしまいました。二作とも、これがもしテレビドラマならば、「おお、最近のドラマはダメだと思っていたけど一応はちゃんとしとるやんけ」と思えるけど、ぜんぜん映画になっていない。

 映画とドラマの違いについてはたくさんあるのでしょうけれど、ここではそのもともとの性質の違いからひとつ、指摘します。ドラマというのは、特に民放について述べますが、CMが入ることが前提です。十分、十五分おきにCMが入ります。するとどうなるか。いくら雰囲気をつくってみたところで、一度CMで区切る必要に迫られるんです。どんなにもり立てていっても、一度どうしてもリセットされることになる。CMの間に視聴者はトイレに行くし、別の無駄話を再開してしまう。だから、ドラマは映画のようにじっくりとした雰囲気作りができません。ではどうするかというと、それこそテンポを高めて短い時間で集中させる必要が出てくるし、あるいは次々に出来事を起こす必要に迫られます。雰囲気ではなく、実際の出来事の連続で埋めていくことになります。あるいは、有名俳優同士の掛け合いかなんかで。

 映画は二時間なら二時間、一時間なら一時間。ずっと雰囲気を持続できるメディアです。だったら高めていけばいいのに、なぜだか『呪怨』というのはいちいち断章を繰り返す。そのたびに人物が入れ替わるから感情移入に必要な尺も不十分なままに幽霊アタックを食らう。だからこれはテレビドラマ向きなんです、明らかに。テレビでやればいい。たくさんの登場人物を出して、微妙に繋がる形にしているから、一応構成の妙を狙っているんでしょうけど、機能していない。何度も言うけど、雰囲気ができていないから。

 これは言い切っていいと思います。ホラー映画で雰囲気を作れなければ、何をしたって駄目です。そもそもの話、幽霊なんて雰囲気のたまものなんです。それこそ現実の世界で、夜の墓地でも廃墟でも学校でも何でもいいけど、そこに実際に行ってみて、「怖い雰囲気だ」と思ったら、何でも怖く見えるじゃないですか。普段なら何でもない絵画が怖く見えたり、ちょっとした物音でびくっとしたりするわけですよ。幽霊もそうで、雰囲気があるから怖いんです。もしくは幽霊ってもの自体、怖い雰囲気が見せる錯覚だとも思うんです。それが幽霊に関するいちばんの基本でしょうに、さっぱりそこに気遣っていない。

 ホラー映画は雰囲気が勝負。『オカルト』を観ましょう。
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by karasmoker | 2010-06-07 00:10 | 邦画 | Comments(0)
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