『サバイバル・オブ・ザ・デッド』 ジョージ・A・ロメロ 2009

ロメロ先生は、もう・・・。
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池袋シネサンでレイト。『サバイバル・オブ・ザ・デッド』ですがぼくは前半で十分くらい眠ってしまいまして、今日は内容について確信を持った話があまりできませぬ。別につまらなかったわけではなくて、単純に生理的に眠くなったのでございまする。しかも結構人間関係のうんちゃらが大事なところだったりするので、誰が誰やら、どうしてそういう展開になったのかもうひとつわからなかったりしたのです。しかしご安心、なんとパンフレットにはシナリオがまるまる載っていたのです。これで大丈夫、内容はばっちり、と思いきや、それでもなんだかよくわからないところもあるのです。これは困りました。

 前々回に書きましたが、ロメロはもうまともに語るべき監督ではないと思うのです。
彼の作品は時間も短いのでわりと気軽に観に行けるのですが、この感じで二時間くらいあったらたぶんぼくは観に行っていない。「でも一応、ロメロ先生のものですし・・・」という要素がかなり入っています。その意味でぼくは不純です。「はるばる遠いところゾンビ界から行商に来なはったんや、要らんもんでも熊手の一個くらい買ったらなあくかえ」という気持ちもあるのであり、つまりは「それでも一つの映画ジャンルを支えた人への敬意」みたいなもんがかなり作用しているわけです(いまさら思うがもっと簡潔に書けないのか俺は)。

 メッセージを発しようという姿勢が物語を壊し、物語を進ませようという姿勢がメッセージをぼやかし、ゾンビ描写もいまさら感が強い。ネタとして現在のロメロを愛でるのはいい。それを解さぬぼくは言ってみりゃ野暮だ。でも、ベタに今のロメロを愛でるのは既に信仰、もしくはおじいさまの繰り言にひたすら頷く善意の同調に過ぎない(いや、おそらくなべて映画愛などというものは万事信仰でしかあり得ないのだろうけども・・・)。

 まずはモチーフのゾンビですけれども、なんとかロメロじいさんが若者向けの表現を頑張ろうとしてそれが逆に痛々しい感じを受けました。ゾンビの顔を火で燃やすシーンがあって、その炎で煙草に火を付ける描写があります。ああいうのはだっさいなあと思う。「こういうのは斬新で面白いだろう? あの火を利用して煙草を吸う仕草がスタイリッシュだろう?」と思っているなら結構きついです。今の映画として観るには辛いです。あとは、まあこれは今までのロメロゾンビにはなかったところですが、女ゾンビが馬に乗っています。ここは面白いと思ったんです。何か今までの彼のゾンビにはないものがあるのか、と思ったんです。結果から言えば、今までの彼のゾンビ像が多少更新されはしたんですが、結局馬に乗っているイメージがぜんぜん活かされないんです。馬に乗っていると言うより、あれは単に結果的に、「馬に運ばれていた」状態なんです。そう考えると笑いになるんですが、いかんせん鑑賞中には、そのボケには気づけないよ。

『ダイアリー~』の頃よりゾンビ的にマシになったのは、ゾンビが生前の行動を反復しているところです。これぞまさしくSIREN的な、ただの死者ではないゾンビであって、少しだけ「おっ」と思ったんですが、それもしょぼしょぼーんでした。悪いですが、『死霊のえじき』の頃から何も進展していない。その保守性にロメロの美学を見いだすなら信者だろうけど、公平に言ってそれじゃ駄目でしょう。『死霊のえじき』の知恵がつくゾンビも、なんだかなあと思ったんです。生きていた頃の意識や、そいつの人間性を見いだせなくて、ゾンビを一から教育可能なものみたいにしてしまった。平たく言えばゾンビを子供扱いしていた。今回も同じです。生前の生き方うんぬんと言いながらそこの工夫は全然無く、ゾンビを新生した生き物として扱うから、かつて人間だったもの、としての業が何もこもらない。

 物語のテーマの部分もなあ、ロメロって人は、『ゾンビ』で消費社会をうんぬんとか、『ランド・オブ・ザ・デッド』でイラク戦争をうんぬんと言われまして、今回なんかもラストでテーマっぽいことをはっきりと明言するんですけど、それを実際の物語の中で感じさせてくれよ、痛みを与えてくれよと思うんです。今回の映画、二人のじいさんが対立するんですけど、対立の核心がまったく活かされていないんです。序盤で対立の理由が語られはする。でも、それが物語の中で活かされてこない。なんか単純に嫌い合っている風にしか、見えてこないんです。

 そもそも『ゾンビ』でショッピングモールに集うゾンビたちを指して、無目的にモールに集う人々を戯画化し、大量消費社会を皮肉っているとか言うけど、そもそもロメロの描くゾンビ像自体に、彼自身が自覚的なのかが大いに疑問(なにさま発言大発動)。ゾンビそのものが「自分でもよくわからないまま欲望に任せてうごめく存在」であり、人を襲撃するのは「よくわからないままに他者を傷つける行為」に重なり、つまりは「ゾンビ=人間」として語りうるはずなのに、『死霊のえじき』とか『ダイアリー』とか今回の作品とかを観るに、その部分はまったく意識されていないかのように思える。

 そろそろ飽きてきましたのでまとめ。「意外に社会派」などと言われるロメロの作品がなぜ社会派として見えてこないのか、あるいは響いてこないのか。それは「ゾンビ=人間」としての掘り下げがどう好意的に捉えても甘く、また彼自身の社会へのメッセージなるものに、「なぜ」という視点が足りないからです。それと、作品があまり面白くないからです。ロメロ先生の信奉者は、この辺をどうお考えなのでしょうか。
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by karasmoker | 2010-07-07 01:04 | 洋画 | Comments(2)
Commented by 通りすがり at 2011-04-16 07:13 x
サーフィンしていて辿りつきました。ゾンビ公開時、中学1年の私ですが、ロメロ御大の作品に関して思う事は「やっぱり回帰してしまう」と言うほかはないです。ドーン(リメイク)は「ゾンビ」以外の作品では一番好きかもしれませんが、ハッキリ言える事はやはり「ゾンビ作品」ではないと言う事。ザックS(監督)含め、ゾンビ作品(と言われるもの)を撮っている人達は皆、分かってるんじゃないかと思いますが・・・どうでしょう?貴殿がこれから十~二十年人生経験して(こめんなさいプロプがないので年齢が分かりませんが、お若い方だと推測しますので)この作品を見てどう思うか、「こんなコメント」あったなぁと思い出してくれたら幸いです。補足 石井聰互は「狂い咲き」名目は確かに卒業制作ですけど、その前に「高校大パニック」で共同監督(助監)ですでにプロとして作品撮っていますよ。「狂い咲き」では東映から300万(たったそれだけかよ!)貰ってますし、事実上「プロ作品」です。ゾンビの製作費は確か2億ちょっと。まぁ映画は「お金掛ければ」良いだけじゃない事がよく分かりますね・・・石井監督は「撮れない」ではなく『撮りたいものがない』んじゃないかと思います
Commented by karasmoker at 2011-04-17 00:01
コメントありがとうございます。『ゾンビ』に関してはぼくの行きつけの映画バーのマスターもベストワンとしており、はてさてぼくにはよくわからぬというのが本音である一方、年を経ればわかるのかなあと保留的な立場です。小津映画なども今のぼくにはわからず、年をとったらわかるのかも、という映画は結構あるのです。
 ただ、映画には世代的記憶、経験も大いに関与することでしょうね。「30年代ハリウッドが最高だ」「現代のアクション映画は西部劇の焼き直しだ」と言われたところで、ぼくの世代にとってしてみるとぴんと来ない。80年代以降の映画にどうしても面白みを感ずる。その意味で言えば、ロメロより下の世代が描くゾンビ像こそ、ぼくにとってのゾンビでもあるのです。ロメロ様を崇拝するための原体験がないのです。
 石井聰互は近年名前も改めており、秘宝のインタビューなど読むとまだまだやるぞ的な言葉もあるのですが、快音が聞かれず寂しいところがありますね。と思ったら、今年の秋に新作を発表するようで、これはちょいとどきどきします。
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