『口裂け女』 白石晃士 2007

「お仕事」をしたのが白石監督だったのが救い。
 
d0151584_7344491.jpg

 夏と言えば怪談の季節であります。というわけで「口裂け女」を紹介します。
 口裂け女といえば1970年代後半に世を席巻したと言われる都市伝説、噂のキャラクターです。実在不在はさておくとして、あるいは噂の広がり方うんぬんの社会心理学的考察は知らぬとして、「口裂け女」というのはなかなか「ええとこついとるな」と思います。なんというか、いい意味で地味です。別に大げさな能力を発揮するわけではなく、刃物という現実的な凶器を所持し、完全なクリーチャーでもなく、「口が裂けている」という身体的異常のみをフィーチャーした地味な存在です。「現実にいてもおかしくないぞ」と思わせるちょうどいいレベルなのです。これが「ろくろ首」だったらそれほどニュースにはならなかったはずで、なぜなら「首がびよよんと伸びる」のはやりすぎだからです。もし「ぬらりひょん」だったら「結局何なんだそいつは」と言われて終わりでしょう。「口裂け女」というキャラクターには絶妙なリアリティがあったのです。

 ところで、当時の子供が講じた解決策、逃避策というのはなかなか愉快です。ぼくも子供の頃に聞いた覚えがありますが、もし万が一出会ってしまっても、「ポマード、ポマード」と唱えると逃げ出せるというものです。まったく意味がわかりません。これはもしかするとポマードの会社が流した噂の可能性があります。特に子供はポマードの有用性と機能について無知ですから、子供目線では魔法の薬に思えるのであり、おそらく当時のポマードの売り上げは結構なものだったでしょう。ウィキペディアによると、「千葉県我孫子市では、べっこう飴5個なら喜んで、金平糖5個なら逃げ出すともいう」そうです。「喜んで」のあたりが面白いです。「恐怖の口裂け女にも喜びという感情があるのだ」ということにしたほうが子供心に安堵を得られたのでしょう。街の子供が捻出できる財産は多くないので、「べっこう飴」「金平糖」というのは経済的にも大助かりの武器です。

 ウィキペディアは他にも愉快な情報を提供してくれています。
「愛知県西春日井郡豊山町では、『カシマ様114号線にさようなら』と言う呪文を唱えると『突然、口裂け女に瞬間移動が起こり消えるので助かる』という説があった。」
 こうなるともうぜんぜん意味がわかりません。まず、ものすごく狭い地域の情報なのが面白いです。春日井群までならまだしも、豊山町まで限定しているのが笑えます。呪文を唱えると瞬間移動が起こるそうですが、もはやホラーとSFとファンタジーが混融しています。味わい深いのは、これが「瞬間移動」である点です。「消滅」とかではないのです。「瞬間移動」というのはどこか別の場所に飛んでこそ成立するものですが、どうして別の場所に行ったことがわかるのでしょう。なおかつ、「カシマ様114号線にさようなら」という文句自体、かなりぶっ飛んでいます。「口裂け女に出会ったらこれを唱えよう」と最初に思った人間のほうがある意味怖いです。たとえば街の看板とか建物の壁にこの文句が書いてあるのを見かけたらとてつもなく怖いです。ウィキペディアはこういうボケをさらっとかましてくれるのでやはり面白いのです。

 いい加減にして、映画の話をします。
 白石晃士という監督は現代の邦画における旗手の一人です。昨年は『グロテスク』『オカルト』という傑作を連発し、今後一層の活躍が期待されます。なのでそれなりに何かしらあるかなと思って観てみたのですが、いやはや、これは白石監督が「お仕事」として取り組んだ感じがします。後の傑作にはとうてい及ばず、きわめて商業的な、「お仕事」としての作品であると断言しましょう。

 まず、主要キャストがおしゃれすぎます。口裂け女役は水野美紀です。この役は絶対に無名の役者のほうがいいし、白石監督も絶対わかっている。でも、「お仕事」ですから仕方なかったわけです。「この役は水野美紀がいいな」と白石監督が考えたわけがない。本作における監督の配役権はなかったのでしょう。口裂け女に水野美紀を使った時点でこの作品は終わり。どうやってもいいものにはならない。別に水野美紀が悪いわけじゃない。彼女が有名であるということが問題です。断言しますが、当時はきっと、彼女が映画のPRで出まくっていたはずです。ワイドショーで「今回は今までにない怖い役」うんぬんと話題作りをしていたはずで、その時点で作品は失敗。これはプロデューサーが銭を欲しがっただけ。銭欲しさに「口裂け女」という魅力的なキャラクターを消費するなよな。
d0151584_735385.jpg

あとは佐藤江梨子と加藤晴彦です。二人を並べてはいけません。画が安くなります。この作品自体の志の低さが露呈します。佐藤江梨子は『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で名演が光りました。でもあれは「自分は特別だと思っている女優志望の女」という設定にしたからこそであって、普通に芝居させてはいけません(『腑抜けども』のあの役を彼女にしたキャスティングは偉い。とても偉い)。
d0151584_7351973.jpg

 筋立てとしては別になんということもなく、台詞も無駄に説明的であり、口裂け女の過去設定は過剰と言わざるを得ず、はっきりと映画的にアウトな手法を用いた点があり、強いて言えば『腑抜けども』に通ずる闇づかい、色温度の調節具合が褒められる程度です。

 ただ、ひとつだけこの映画には美点があります。子供を殺す描写をしっかり入れているところです。ここは白石晃士が頑張ってくれました。雇われ監督からはみ出ようとした姿勢を尊敬します。あの規制度外視映画『片腕マシンガール』においても、「子供を殺すのはアウト」と出資者に釘を刺されたそうですが、本作は子供を殺す場面がある。ここで逃げなかったのは正しい。さすがに直接的な描写は駄目だったようですが、それでもハリウッド的コレクトに毒されていないのは正しい。
d0151584_7353631.jpg

 子供を殺しているから偉いなどと書くと、もう反社会的人格そのものですが、もちろん映画の中のお話です。映画の中でなら、臆さず殺すべきです。文脈上必要な表現なら、そこを逃げるべきではない。スピルバーグの『ミュンヘン』はその点、嫌いなんです。あの電話の場面は、意図的に子供の死を避けている。あの映画においてやってはならない欺瞞でした。理不尽な死や不条理な殺人はこの世界に溢れている。ならば映画でそれを描かないのは欺瞞です。現実はぼろぼろなのに美しい世界だけに自閉した、60年代中盤までのハリウッドへの退行です。イラク戦争の只中で、「テロは殺しても子供は殺さない」などという欺瞞的表現を放ったスピルバーグ(あるいは彼でさえそうせざるを得ないように仕向けたハリウッド)に比べれば、この映画はまだ勝っていると言える。

 もしかしたらこんな映画のプロデューサーのことですから、子供を殺す場面をカットしろと要請したかもしれない。でも、監督はきちんと入れました(彼にしては、それでも遠慮がちに)。それをしなければ、口裂け女というキャラクターがまったく機能しなくなることを知っているからです。それはこの映画の完全な死を意味し、口裂け女の魅力を完全に否定することになるのです。そこを避けた点だけは、この映画の偉いところです。

 日本は昔から怪談、都市伝説を数多く抱えながら、アメリカ映画に比べ魅力的な殺人鬼を生み出せていません。向こうの国がレザーフェイス、ブギーマン、ジェイソン、フレディなどを抱えている一方、日本にはあまりそういうのがいない。その点、口裂け女は「有望な人材」なのです。あまり易々と消費すべきではありません。美点はありつつも、おそらくは諸処の事情で、優れたものになり得なかった一作でございます。
[PR]
by karasmoker | 2010-07-18 07:37 | 邦画 | Comments(0)
←menu