『告白』 中島哲也 2010

いかにも博報堂がかかわっているなあっていう。
d0151584_1424393.jpg

 大ヒット作だしテアトルダイヤも徒歩五分だしとりあえず今日は休みだし観てきたのは『告白』。原作も読んだけれど、同じタイトルの小説なら町田康の作品を断然お薦めします。今後、一般的に、『告白』といえばこの映画と原作を指すことになるのは、いささかもの悲しいのであります。

 さて、考えてみるに中島監督というのは、今現在の邦画界において最も著名な監督の一人に数えられるようになりました。『下妻物語』『嫌われ松子の一生』『パコと魔法の絵本』によってゼロ年代邦画に新風を吹かせた功労者であることは、疑いようもありません。海外はさておくとしても、邦画界にこのタイプの作品を撮る人はいなかった。テレビ局ドラマ原作ではなく、若者を呼び込める監督。そして今回の『告白』のヒットによって、今後彼は邦画界のトップの一人になっていくことでしょう。

 彼が際だっているのは、CF的な映像手法を、完全に全面に押し出している点です。バーのマスターが「ナイキのCMみたいな映画」と言っていましたが、ぼくも同意見。CF的な映像とはどういうことか。一言で言えば、「画になる」ということ。短い時間で視聴者に訴えかけねばならないし、CFであるからにはスタイリッシュであらねばならない。CFの第一人者である監督は、短時間のうちにどう効果的に伝えるか、ということに非常に長けていると思いました。CFを撮りたい、「映像クリエイター」になりたい人は、この映画を必ず観なくてはなりません。

 ただ、冷めた目線で観てみれば、「格好つけとるな」という感じも受けます。「画になる」ということは、特にCF的である場合、「ばっちり決めようとしてるな」というあざとさも伝わるのです。『下妻物語』の優秀は、そのあざとささえもひとつの武器にしたところです。ゴスロリ、ヤンキー、どちらも「ばっちり決めようとしている」存在であって、下妻という田舎を舞台に、格好つけることの空しさ、馬鹿らしさまで描き出していた。作品のモチーフそのものが、CMやそのイメージと、現実との落差に言及できていた。CMは華やかな世界を見せるけれど、現実は地味なものだ、でもその現実だって決して悪くはない、ということを、深田恭子が一身に体現していた。一方、今回はと言うと、今回はと言うと・・・。

 さて、一応ここまでは枕です。
『告白』は実にCF的に、記号的な表象が詰まり詰まった映画でありました(原作にも言及するととても長くなるので、あくまで映画からの印象に絞ります)。物語の発端は、松たか子演ずる教師の娘が殺されたことに始まります。この娘の描き方は、とても記号的です。記号的とはどういうことか。つまり、「実在する人間としての娘」ではなく、「己が愛するか弱き者」として位置づけられている、ということです。むむむ、堅苦しい。わかりづらい。

 簡単に言うとですね、この松たか子の娘がどんな子なのか、ちっともよくわからないのです。たとえば韓国映画の名作『シークレット・サンシャイン』の男の子を思い出しましょう。彼も映画序盤で殺されるんですが、それまでの間に、その子がどういう子なのか伝わってくる。ああ、この母親は息子を確かに愛しているな、というのがわかる。子供が実在的なものとして示されるし、親子の確かな関係もそこに付随する。この映画では松たか子親子のつながりが見えないんです。この母親は娘を愛しているな、娘は確かにここにいるな、というのがまったく見えず、むしろ物語的テンポを優先してか積極的に個性を奪っている。「子供を殺された母親」「哀れにも殺された子供」という記号。記号というのは言ってみれば抽象されたもの。一方、実在感とは抽象以前の具体感。

 具体無き映画に人間は存在しない。それを突き詰めたのがキューブリックの『2001年宇宙の旅』。と、やっぱやめた。その話までしていると終われない。

 この松たか子親子は物語の軸であったはずなのですが、おざなりでした。そうなるとそれ以外の登場人物に実在感が宿ることは、どうしても難しくなります。そのため、少年と母親の関係性も当然希薄です。熱血教師も記号です。全部が記号的と言えます。ですがそれは中島監督は当然わかっていて、でなければあのような編集、テンポを取るはずはない。だとするとこの映画で彼がやろうとしたことは、映画を通じて何かを描く、ということではあり得ず、彼の持つCF的手法を現実的な物語にどこまで落とし込めるか、どこまでそのドライブで運べるか、という実験なのではないかと思うのです。この作品を「映画ではない」という人がいます。そう思わせるのは、監督がこの映画で、何事をも語ろうとしていないように見えるからじゃないでしょうか。復讐うんぬん、というのは物語を進める口実に過ぎないように見えます。『パコ』にしても、彼が何かを物語ろうとすると映画が死にます。彼が遊んでいる間はいいのですが、真面目に何か言おうとすると駄目なのです。

いあーしかし、あの生徒どもはなんとも胸くその悪い連中です。基本的にぼくはいちびっているガキ、ちょけている若者が全面的に嫌いですから、あいつらが全員ぶち殺されてしまえばよい、と思って見ていました(だからこそ『バトル・ロワイアル』は痛快であり、名画座は『告白』と二本立てで興行するとよいでしょう)。ぼくはあの手の連中を何の罪悪感もなく殺す自信があります(言うな言うなそんなこと)。でも、こう思わせるというのは監督の思うつぼです。一人一人の実在感を剥奪し、冷たい他者の集合として描かれているのですから、監督のやりたいことは成功しているわけです。

 結構賛否両論あるようです。話題の作品はそういうもんです。宮台真司先生は褒め称えています。以下、ツイッターより引用。

 圧縮されたエピソードの連接が、没入を妨げるだけでなく、「あれも1コマ、これも1コマ」という具合に、何か不可視な怒濤の如き抗い難い全体の流れの中の、一部なのではないかと感じさせます。この全体は、家庭環境や教室環境といった小さな何かではない。「もっと得体の知れない何か」です。

CFに頻見されるジェットコースター的=圧縮表現的な手法を使うものの、日常的な幸福感覚や善悪感覚をかっこでくくったところに現れてくる「もっと得体の知れない何か」に感覚を研ぎ澄ませる中島監督の構えには、かつてのテレビドラマにも満ちていた日本的映像表現の伝統を強く感じます。

なんだかわかったようなわからないような言い方です。要するに宮台先生は、中島監督は世間一般の人々に対して、日常よりももっと大きな「何か」の存在を示そうとしているのだというわけです。

 一方、『映画秘宝』アートディレクターの高橋ヨシキさんは『告白』をぼろくそにけなしています。

Lucifer Rising
要するに、「格好つけているだけじゃん」と喝破しているのです。

 どちらがうんぬん言い出すのはもう面倒くさい。今日はこの辺で。
 ところで、やっぱり世間の連中は映画館で後ろに座りたがるやつが多いです。あの劇場で後ろに座ったらぜんぜん映画館のスクリーンの醍醐味を味わえないと思うんですけどね。ぼくは三列目に座りましたが、二列目でもよかった。前五列は完全に空いていて、後ろばかりにたまっていやがる。馬鹿だね。
[PR]
by karasmoker | 2010-07-20 01:46 | 邦画 | Comments(8)
Commented at 2010-07-22 09:02 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by karasmoker at 2010-07-22 20:07
コメントありがとうございます。構成も何も意識せずしとどに漏れるままだらだらと書いているだけですが、「おまえの文章を読んでいるぞ」というリアクションがいただけるのはとても嬉しいのであります。映画を観ることだけでも面白いのですが、映画についてどう感じたかを反芻し味わうことでより愉しさは増すのであります。今後も手前の駄文にお付き合いいだければ幸いです。ぜひ『ハッシュ!』を観たいと思います。『チョコ』と『マッド2』は間違いないです。映画観(えいがみ)である以上、園子温は絶対に観ねばなりませぬ。『街のあかり』はかなり個人的な愛好なので、たぶん面白くないと思いますが、そういうごく私的な映画に出会うことも醍醐味なのでございます。
Commented by tanajoo at 2010-07-22 23:38 x
お返事ありがとうございます!
>映画についてどう感じたかを反芻し味わうことでより愉しさは増すのであります
まさにそう思います。百人観たら百通りの観かただから面白いのかな、と思ってます。今後も楽しく拝見させて頂きます。アキ・カウリスマキ監督は『過去のない男』をだいぶ前に観て、そんなに悪い印象じゃなかったので、『街の』も楽しみです。『ハッシュ!』はぜひ色んな意見を聞いてみたいですね。『ぐるりのこと。』もいずれ観たいと思ってます。それでは失礼します。
Commented by karasmoker at 2010-07-24 21:41
コメントありがとうございます。ツイッターを拝見したのであります。『チョコレートファイター』、『マッドマックス2』がお気に召しましたら、ぜひ『片腕マシンガール』、『アポカリプト』、『ホットファズ』、『第9地区』、『マッハ!!!!』、『狂い咲きサンダーロード』などもご覧になっていただきたいと思います。どれも脳から変な汁が出る類の作品であります。
Commented by tanajoo at 2010-07-25 04:40 x
本文と無関係なコメントが連なってしまい申し訳ありません…ツイッター見て頂いてありがとうございます!めっちゃうれしいです。オススメまで紹介して頂いて、ありがたいです。ゆっくりですが、全部観たいと思います(ヒマなので)。今一番観たい映画が『第9地区』だったりします(見逃したので)。『片腕~』は実は大好きでして、『ロボゲイシャ』については、あんなにワクワク要素てんこ盛りなのに、なんでいまいちノれないのかな?と不思議に思ってたのですが、karasmokerさんのを読んで「なるほど」と思ったのです。あれはどこかの雑誌で、井口監督が、”『片腕』と同じ方向のもので、残酷描写のないものを”という注文があってやった、と読みました。作り手にとって、同じようなものを、と言われるのって、しんどい部分もあるのかな、とは思います。自分は、あんまり残酷描写を好んで観たいとは思わないのですが(『グロテスク』なんて、まず無理です)、『ロボゲイシャ』に関しては、あんなに血(など)が出ないことを物足りなく思う自分に驚きました。まあ、でも、あれ(片腕)は残酷というかギャグでしたけどね(笑)天ぷらでしたからね。
Commented by karasmoker at 2010-07-25 19:39
>『ロボゲイシャ』に関しては、あんなに血(など)が出ないことを物足りなく思う自分に驚きました。

残酷描写に開眼すると映画はもっと楽しくなることでせう。そうすれば韓国ノワールがもっともっと楽しくなることでせう。アメリカが映画的に美化するものを、韓国はむきだしにして示してきます。『復讐者に憐れみを』がおすすめです。
Commented by tanajoo at 2010-07-26 05:54 x
>『復讐者に憐れみを』がおすすめです。
へぇ。ソン・ガンホとぺ・ドゥナが出てるんですね。頭では分かってるんです(つもりでいるんです)、文体として、そうした残酷な描写が生きてくる場合があることが。でもやっぱり「痛そう」なのが駄目なんですよねー。あとで思い出しちゃったりして。例えばチェーンソーでざっくざっくと体を、なんてのは、わりに平気なんですけど、この釘を、ああそんな柔らかそうな部位に!みたいな、地味なやつが嫌です。でも中途半端に美化されるのもそれはそれで嫌なんですけどね。とりあえず、ソフトそうなものから、観てみます!
Commented by karasmoker at 2010-07-27 23:54
嫌な描写を「嫌だ」と感じられるのは健全の証であります。ぼくのように、「うけけ、いい仕事をしよる。うけけけけ」とにやにやしているほうが狂っているのです。しかしエイガミの醍醐味はその狂いにこそあると踏んでおり、いやはや世間一般の健全からずんずん外れ続けるのであります。
←menu