『狼の死刑宣告』 ジェームズ・ワン 2007

復讐者の哀しい熱さ。
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原題『Death Sentence』
チャールズ・ブロンソン主演、マイケル・ウィナー監督の『狼よさらば』(原題『Death Wish』 1974)のリメイクと聞いていたのですが、内容はまるで違いました。原作小説を同じくしていても、まったく違うテイストの映画でありました。
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 ケヴィン・ベーコンが息子を殺され、復讐に乗り出す話です。復讐を果たすと相手のギャングに恨まれ、それからさらなる大騒動に発展していくことになります。きわめてまっとうな「復讐もの」です。『狼よさらば』は「妻を殺された」→「犯人はごろつきらしい」→「とりあえず街のごろつきを殺しまくってやる」という実に凶暴な映画ですが、『狼の死刑宣告』はあくまでも特定の相手に的を絞る一途な復讐劇です。

「復讐もの」はここでもいくつも取り上げていますし、物語のとっかかりとして用いやすい題材です。「復讐もの」の分析をしたいところですが、長くなりそうなのでひとまず回避。『狼の死刑宣告』は前回取り上げたカーペンターの傑作に続き、非常によくできた作品でした。これはとてもよかった。

 やっぱりね、復讐ってのは、燃えるんです。昔、『金田一少年の事件簿』『名探偵コナン』が好きで読んでいたのですが、事件が解決して犯人が動機を語ると、金田一少年やコナンは往々にして「復讐はよくない」みたいなことで説教するんです。「復讐したって殺された家族は喜ばない」だの何だの言うんです。小中学生の頃のぼくは「そうかな?」と思っていて、今でも「そうかな?」と思い続けています。

 もちろん、復讐、仇討ちを禁ずる近代的な考え方には合理性があります。国家が代行しているからこそ、ぼくたちの社会が今の形で守られているわけです。でもそれは、国家による代行が充分になされていることが前提であって、充分でないと思われるなら、復讐したくもなるでしょうよ。『忠臣蔵』が長年にわたって人気なのは、「浪士たちの忠心」によるのではなく、「美談としての復讐」ゆえではないでしょうか。近代国家が押さえ込んできた生身の感情を赤穂浪士たちに見るから、人気なんだと思うんです。

 さて、映画の話をしましょう。ケヴィン・ベーコン演ずる主人公は仕事もきっちりこなすマイホームパパですが、まったく同情の余地のないような形で息子を殺されます。法廷の裁きは充分なものにならないと見込んだベーコンはあえて犯人を訴えず、自らの手で復讐を遂げます。しかし殺した相手はギャングのボスの弟。ボスは怒り出し、ベーコンは次の悲劇に巻き込まれていくのです。
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 こういうギャングみたいなやつらが世間をおかしくするのです。というとすんごくまじめっこちゃんな文になりますが、ぼくが特に嫌なのは、このギャングどもが明らかに逆恨みをしているからなんです。ベーコンはハムラビ法典的に「目には目を」の原則を守った、いわば「正しい復讐」なのであって、そこで腹を立ててくるギャングが理不尽なのです。私的復讐が駄目だということになったのは、この「逆恨み」という考えのせいなんです、たぶん。ぼくの考える、「この世界を駄目にしているもの」トップ1は「逆恨み」です。「うるさい若者を注意したら殺された」というような事件があったじゃないですか。そういうのはめちゃめちゃ腹立たしいのです。逆恨みですもん。ぼくは終始、このベーコンに頑張ってもらいたいと思いながら映画を観続けていました。「群れてちょけて迷惑をかけているやつらは基本的に殺してよい」と思っている狼マインドのぼくにはびびびと来ました。ちょけているやつらに立ち向かうただ一人の普通の人間、というのは格好いい。そして、この映画はきちんとその後、ただ格好いいだけで終わらせないところもまたいいのです。

 監督は『SAW』シリーズの生みの親、ジェームズ・ワンで、使われる音楽も『SAW』に酷似していたりします。『SAW』大好きのぼくですから、肌に合います。圧巻なのはギャングから逃げ回る立体駐車場とそこまでの追走劇。『トゥモロー・ワールド』を彷彿とさせる長回しの美しさ。規模としては決して大きくないのに、いや数あるアクション映画の中で言えばかなり小さなサイズの出来事なのに、あのシーンは見せる。ガンアクションでもカンフーアクションでもない地味なものだけれど、場面としてとても強い。
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 ケヴィン・ベーコンがこれまたいいんです。『狼よさらば』のチャールズ・ブロンソンもいいんですが、彼よりも弱さが引き立っていて、それでいていざ暴れたら強そうな感じもある。変わりゆく表情の豊かさ。
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『新宿インシデント』におけるジャッキー、そして『わらの犬』のダスティン・ホフマンを思い出しましたし、あの変貌は『タクシー・ドライバー』のロバート・デ・ニーロ、つまりは我らがトラヴィス・ビックル。ジェームズ・ワン、ケヴィン・ベーコンの新しい代表作として異論はないでしょう。監督はこれを20代で撮っているのです。恐いです。

本作が映画として強いのは、単なる格好いい、気持ちいい復讐劇じゃないところです。悪者を倒して万事解決、じゃないんです。復讐を果たして満足、じゃないんです。「復讐を試みなければ失わなかったもの」を失っている哀しさが、全面に出ているんです。それはつまり、「復讐心という呪いに縛られた者」の哀しさでもある。冷静に考えればベーコンは、復讐しないほうがよかったわけです、絶対。だから冷静に考えれば復讐は割に合わない行為なんです。わかっている。それはわかっている。でも、それでも行かなきゃならねえ、ぶち殺さずにゃいられねえんだよ! というこの哀しさ。怒りと悲しみってのは表裏一体で、ある不幸な状況を受け入れることが「悲しみ」で、その不幸を受け入れられずにいるのが「怒り」だと思う。愛する者を殺された場合の復讐って、どのみち「悲しみ」にしか至らないんです。いや、余計に深い悲しみを呼び込むかもしれない。だから復讐はやめろ、というのは簡単ですが、人によっては、その「怒り」が自分を支える最後の希望だったりするんです。怒らないと、砕けそうだ。その生き様が、哀しいのです。映画の最後、敵のボスが「おまえも俺たちと同じだ」と呟く。不倶戴天の仇と同じ存在に堕する生き方、それを選ばざるをえなかった主人公、哀しさ全開です。
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 いい映画です。『狼よさらば』は復讐の哀しさがなかったんです。ラストでチャールズ・ブロンソンはにかっと笑っていたし、悪魔化して終わっただけに思えた。そういった部分でもぼくは、『狼の死刑宣告』のほうがずっと好きなのです。こちらをお勧めします。
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by karasmoker | 2010-08-09 22:09 | 洋画 | Comments(0)
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