『SRサイタマノラッパー2 女子ラッパー★傷だらけのライム』 入江悠 2010

もっとよくなった、という点がいろいろ。
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バルト9で6月からやっていたのですが、深夜0時40分からの上映というなんともどうしようもない時間で、やっと池袋に来てシネマロサ。シネマロサは『第9地区』もやっていたし『グラントリノ』もやっていたし『ハートロッカー』もやっていたし、わりと足を運んでいる場所です。東口のシネコンより映画好きに訴えるセレクションです。

 しかしどうも上映環境がよくないのか、聞き取れない会話なんかも結構ありました。何より画がちょっと滲んでいた。あれはカメラのせいじゃないと思うんです。1を新文芸坐で観たのですが、1に比べて画質が荒くなっていて、それはシネマロササイドの問題だと思うんです。ネットのプロモーション映像のほうが鮮明なくらいですから。一体どうしたことでしょう。

さて、内容のレビウに移りますが、これは自主製作映画『サイタマノラッパー』の続編で、一作目が埼玉を舞台にしていたのに対して群馬が舞台。タイトルにあるとおり、ラッパー志望の女性が主人公です。年齢的には20代後半なので、女子というより女性です。ところで、ここ数年、大人の女性を「女子」と呼ぶ風潮があるようですが、この呼称はどの程度にギャグなのかわかりません。ぼくが知るところだと以前、眞鍋かをりが「女子」という言葉をよく使っていました。他のタレントは「女の子は~」などと言っているのに対し、眞鍋は「女子は~」と言っていて、それがちょっとギャグっぽいニュアンスを帯びていたものでした。まあ、「女ラッパー」というのだとちょっととがりすぎているし、「女性ラッパー」だとしっかりしすぎだから、「女子ラッパー」に落ち着いたのでしょう。

 序盤はとても好感が持てました。ああ、この映画は一作目以上に好きになれそうだぞ、とうきうきしながら観始めました。主人公のアユムを演ずる山田真歩の存在感やだささもいいし、グループのキャラクターも立っていた。かつて高校時代に組んでいたグループを再結成しよう、という話になるのですが、そのために集まる倉庫のシーンは絶品だった。長回しが非常に多用されている、いや長回しが基調となっている本作は橋口良亮的リアリティとは反対で、演劇感が強いです。倉庫のシーンは演劇的。でもその分、個々の登場人物が前に出る芝居をするため、キャラクターの描きわけが早々となされます。

B-hackという主人公のグループは五人組ですが、それぞれがいいんです。ああ、こいつらの話は観てみたいわあと思わせる、魅力的な五人組だった。なんていうか、いい感じで被っていて、いい感じで被っていない。ああ、こいつらが仲良くなっていった過去がなんかわかるよ、という素敵な五人で、初めて観るはずなのに、なぜかグループが再結成した感動みたいなのが伝わってくる。1作目でも倉庫シーンがありましたが、あれよりも好感が持てた。だからねえ、だからちょっと、残念なんです。

 基本線は1と一緒です。ライブをしたい、でもうまく行かない、グループはばらばら、そしてクライマックスの感じも似たような感じ。ラップをやらされる状況を痛々しく描くのも同じ。すっごく似ています。だからちょっと、拍子抜けしました。違う形が見いだされるのかと思いきや、ほとんど同じなんで。

 プールでライブをやらされるシーンがあって、これは1の会議室に相当します。話運びも同じなんですよ。ライブの依頼があったと言って喜んで行ってみると、想像と全然違ってすごく情けない状況に置かれるというね。はりきっておめかしして出かけたのに、水着を着せられて見せ物みたいにされて、誰もまともに観ていない、あるいは冷やかされている、みたいな状況です。ここがひとつの分岐点になって、もう嫌だみたいな感じになって二人が脱退してしまいます。

 実はぼくも過去に舞台に上がり、痛い目に遭ったことがあります。大学一年、入学二ヶ月くらいのときに大学生のイベントで漫才をやり、調子乗りの若者に冷やかされながら漫才をするという経験をしたんです。うわあ、辛いなあというのは味わったことがあります。だから思うのかもしれませんが、どうもあの場面は、そこまで痛々しくないんです。うわあ、こいつらは今、痛い目に遭っているなあというのが出てこない。あれはね、ぼくが思うには、後ろから撮るべきなんです。正面から彼女たちの歌い踊る様を見せるんですが、そうじゃなくて背後から撮ったほうが絶対哀しくなる。そのほうが観客は彼女たちの目線を共感できると思うんですよ。無関心なプールの客の様子とか、彼女たちが見てしまっている寒々しい風景が見えたと思う。1では会議室ライブの後、補足があったんです。真面目な大人との質疑応答みたいなやりとりが哀しさを増したんです。そういうのがないのであのシーンの痛々しさが強くならない。笑いの場合はね、もっときついんですよ。受けなかったということが完璧にわかるから。あの場面は正面から主題歌を聴ける初めての場面でしょ。観客としてはそこに「待ってました!」を感じるので、痛々しさのほうに意識が行ききらないんです。あのシーンは絶対もっとよくなったんです。

 それでいうと、これは『レスラー』方式になるけれど、タイトルを出すときに過去の栄光をがっつり流したほうがよかったんじゃないですかね、せっかくそのシーンを撮ったんだし。高校時代の美しい思い出が数カット入るんですが、あの形で主題歌を聴かせてから本編の話をスタートさせたほうが、思い出と現実の落差が強まったし、五人の来し方もさらに色濃く見えたはずです。過去と今の対比、はもっと使えた。1のIKKUたちはそれを持っていない、いわば『キングオブコメディ』のパプキンだけれど、今回の彼女たちにはほんの一瞬でも『レスラー』のランディのごとくに輝ける時代があった。そこはもっともっと使えたと思うんです。

プールシーン以後、話は沈む方向に行きます。仲間もさらなる不遇に見舞われ、ラップどころではなくなり、主人公アユムもつまらない日常に逆戻りとなります。ここがちょっと単調でした。いや、単調なら単調でかまわない。つまらない日常なりうまくいかない煩悶なりをテンポ良く描く必要はないし、等身大の生活の退屈さを描くには単調でもいい。でも、それならたとえば実家のこんにゃく屋はもっと生々しくないと。ラッパーに憧れながら実家のこんにゃく屋を手伝っている独身女性の悲哀、をもっと出さないと。その方法としては、こんにゃく精製の描写をもっと丁寧にやるべきです。たとえばアユムのこんにゃくをつくる手つきがやたらとよかったり、こんにゃくの出来具合を気にしていたりすれば、「ああ、望んでやっていることでなくても、いつの間にかうまくなっているのだな」となって、彼女の来し方もより生々しく見えてくる。今回のこんにゃく屋という設定はかなり記号的でした。いや、わかるんです。こんにゃく屋という設定にしたことで、あのソープランドに持って行くくだりがあったわけだし、それでこそ「あたし、何してるんだろう」が強くはなった。でも、もっと強くできた。

 先ほどから「もっと」を多用していますが、見終えると改善できる点がいろいろ浮かぶのです。クライマックスにしても、IKKUたちが出しゃばるのが唐突です。彼らはそこまで物語を担っていなかった。なのにクライマックスで出てきても、そんなに感動はないです。前にも書きましたが、この手の話はどれくらいそのモチーフに呪われているか、がとても大事なんです。夢を持ったり何かに没頭したりすることは、呪われることです。呪われる、というのは、縛られる、とはちょっと違う。縛られるというのは思考や行動を抑制されるという意味ですが、呪われるというのは、ある思考や行動に快楽を見いだし、さまようことです。その意味で夢も愛も希望も呪いです。このアユムには呪いがないんです。ラップならラップで、ラップに呪われているなあ、とどうしても思えない。劇中、ライブをしたい、でも金がない、というくだりがあります。アユムたちはある思い出の場所でライブをしようとしていたのですが、そのステージの設営費が調達できず、どうしようかと途方に暮れます。この時点で呪われていないんですよ、縛られているんですよ。本当にライブがしたい、今後も活動していきたいと思うなら、助言通りにライブハウスでやればいいんです。でもそういうことをせず、まるで自分たちの思い出を再現しようとしているだけに思える。ははーん、さては本当にラップがしたいわけじゃねえな、と思わされる。

 サイタマノラッパーには期待するものがあるんです。だから次作もきっと観ます。でもどうも前作同様、いや前作に比べても、呪い濃度が薄まっている気がします。登場人物も魅力的だったのに、もったいなく感じることが多々ありました。次は栃木に行くらしいですが、次も同じ調子というわけにも行かぬでしょう。どう出てくるのか、楽しみであります。
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by karasmoker | 2010-08-14 02:44 | 邦画 | Comments(0)
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