『フローズン・リバー』 コートニー・ハント 2008

「女性監督作を観るとき用」の目線が必要なのかも、と思い始める。
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 新文芸坐で『ハート・ロッカー』と二本立てでした。二作とも女性監督作で、二作とも当年の受賞レースを総なめにした作品です。『ハート・ロッカー』が灼熱のイラクを舞台にしているのに対し、『フローズン・リバー』は冬のニューヨーク北部。やっぱり新文芸坐はなかなか粋なことをしよるなあと思います。

 さて、『フローズン・リバー』ですが、ほぼまったく予備知識のない状態で観まして、観る前は同じような「寒い場所としてのアメリカ」映画の傑作、『ファーゴ』のようなものを予想、あるいは期待していましたが、ずいぶんと違いました。

 貧困層の家族、母親が主人公で、彼女があるときモヒーク族という先住民の女性に出会います。その女性は密入国の手伝いをしていて、主人公は犯罪だと知りつつも、逼迫した経済状態を回避すべくその手助けをし始めます。

 結論からいうと、ぼくはうまく感応できなかった。すごくたくさんの賞を取ったりノミネートされたりしているわけですから、きっとぼくが感じた以上にすごい作品なのでしょうけれど、ぼくは退屈に感じました。このタイプの作品は、もっと知識なり問題意識なりを持っていないと十全に楽しめないように思うのです。

 たとえば『グラン・トリノ』でも、モン族やアメリカ社会の実情みたいなもんを知っていないと、どうしても入っていけないところが大きいんです。今回の場合でいうと、モヒーク族というのをまずぼくはよく知らない。アメリカ先住民やな、いわゆるネイティブアメリカンなのやな、というのはわかったんですが、モヒーク族について詳しいことを何も知らなかった。映画内ではその辺の説明はほとんど行われないし、あの密入国がどれほどにリスキーなことなのかももうひとつよくわからない。警察がどれくらい取り締まりに力を入れているのかいないのか、ぼくにはよくわからない。密入国者のバックボーンもよくわからない。逆に聞きたいです。この映画をよかったと言っている日本人は、その辺の事情をどれくらい知識として持っているのか。

 いやもちろん、映画の楽しみは必ずしも知識の有無によって決まるものではありません。そんなことを知らなくても、あの主人公レイを演じたメリッサ・レオと、完璧なおすぎヘアーのあの女性との心の交流うんぬんに感動することはできましょう。でもその場合は、状況的などうしようもなさとか、くぐり抜けた修羅場の苛烈さとか、そういうものがもっと描かれないといけないと思うんです。

 主人公は二人の子持ちですが夫が蒸発してしまい、トレーラーハウス生活で食費にも困る始末。年上の子供は貧困ゆえに犯罪にまで手を出そうとする状況。主人公は貧乏である、生活に逼迫している、ということは一応、くどいほどに描かれるんです。でも、ここは本作に限らずアメリカ映画が全般的に苦手な部分だと思うんですけど、貧困の描写がどうも生々しくないんです。ニューヨーク北部の極寒の地方なんですから、その寒々しさはもっと生活感に反映できたんじゃないですかね。それこそ、「ああ、寒いなあ、寒くて寒くて仕方がないよ」という描写を活かせる舞台だったんです。全編通してね、「ああ、これは寒いわ、これはきついわ」というのがないんですよ。むしろ印象深いのは凍河の風景の美しさとかそっちのほうで、「こいつら無様だなあ、きついなあ」というのが非常に乏しい。
 
 アキ・カウリスマキはそこが異常なくらい上手いんです。フィンランドを舞台にした日本映画『かもめ食堂』を観れば一目瞭然ですが、同じ国を描いてもこんなに違うかというくらいに寒々しい。その寒さがあるから、人々の交流だの家族の豊かさだの絆だのが生きてくるんじゃねえの? この地味な話で活かせる強みは、そこなんじゃねえの?

 話運びについても、重要な部分でちょっと首をかしげるところがあります。主人公があるパキスタン人の密入国者を車のトランクに隠し、斡旋業者のもとに運んでいくのですが、その途中でその密入国者の荷物を捨ててしまうんです、極寒の凍河に。相手がアラブ系だから「テロリストかもしれないわ、爆弾かも」みたいな偏見を持って捨ててしまうのであり、あとあとそれがとんでもない事態を招いたとわかるんですが、このくだりが大いに引っかかる。密入国者の荷物を勝手に捨てるという行為がよくわからない。後で絶対もめるやん。「あの荷物どうしたの?」ってなるやん。しかも相手がテロリストだと想定してそんなことをしたのなら、後々捨てたことが大問題になっておまえが殺されるかもしれないわけやん。ほいでこの行動がかなり唐突な感じなんです。それまでそんな早とちりをするキャラクターとして主人公は描かれていないんです。ネタをばらすと、その荷物の中身は密入国者の赤ん坊だったんです。これでさあ大変、となるんですけど、密入国者が赤ん坊を荷物に入れておくのもよくわからん。大事な赤ん坊なんだから抱いておけよということじゃないですか。万一の事態で離ればなれになったら大変だし、実際そうなってるし。あの状況で赤ん坊をあの荷物に入れておかなきゃならない必然性がぜんぜん見えない。ばれないようにしていると言っても泣き出せば一発でばれるし、泣き声でばれるのは怖いはずだからそれならなおのこと抱いておけるようにせえよ。結構大事なシーンなんですよ。それでたぶん、このシーンで描きたいこともたくさんあるんでしょう。でも、そういう現実的な土台の部分がゆるゆるなんですよ、だから母性がどうの人を思う心がどうの言われても、ぴんと来るわけがないんです。

 すごく地味で、小さな話なんですよ。そういう話って、人物の実在感とか生活の生々しさとか細部の描き込みとかそういうのが勝負なんです、絶対。細かい部分への意識はかなり希薄だという印象を受けました。でも、最近思うのですけど、ぼくがこれまで女性監督の作品でいいと思ったものって、ほとんどないんです。だけど世間的にも高評価だったりするわけで、そうなるとぼくのほうに問題があるのではないかとも思うんです。少年漫画と少女漫画の描写がまるで異なるように、女性監督の場合はかなり目線を変えて観る必要があるのかもしれません。ぼろくそに書きましたが、もっと積極的な学びの視座を得る必要はあるんです、ぼくの側にね。なんて、いたずらな前向きさを漂わせて、今日はこれまで。
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by karasmoker | 2010-08-15 00:58 | 洋画 | Comments(2)
Commented by 通りすがり at 2011-09-05 16:01 x
赤ん坊を鞄に入れていたのは、手数料を浮かすためでは?
Commented by karasmoker at 2011-09-05 18:38
なるほど! お教えいただきありがとうございます。
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