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『ロボコップ』 ポール・ヴァーホーヴェン 1987

80年代的快楽に満ちている。ぼくはこういうものを愛でる。
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 80年代のアメリカ映画はポップアイコンに満ちています。1979年の『エイリアン』が成功し、2がさらなる大ヒットを収め、当初はB級映画扱いだった『ターミネーター』もまたヒットしている(キャメロンは寡作ながら80年代、90年代、ゼロ年代でそれぞれ超弩級の大ヒットをつくる監督で、多作のスピルバーグとともに現在までの娯楽映画を支え続けています)。スピルバーグと言えば80年代は『E.T』『インディ・ジョーンズ』を作り出している。他にも作品はありますが、この二作はたとえ映画好きじゃなくても知っているポップアイコンです。スピルバーグの盟友ジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』シリーズも二作目、三作目が80年代につくられており、SFものは大ヒットを連続しました。1982年の『ブレードランナー』はいまやSFカルト映画の金字塔になっていますし、かたや一般向けの大ヒット作なら1985年の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を忘れてはいけません。あ、ジョン・カーペンター監督が最も勢いづいていたのもこの時代です。
 ポップアイコンが生まれたのはSFやファンタジーに限りません。ホラー映画もそうです。ゾンビ映画の製作数は80年代が最も多く、『13日の金曜日』や『エルム街の悪夢』がつくられたのもこの時代です。『チャイルドプレイ』のチャッキーや『グレムリン』、『ザ・フライ』も80年代生まれです。
 他にもたとえばあのティム・バートンの『バットマン』がつくられたのもこの時代ですし、『プレデター』が生まれたのもこの頃。とにかくポップアイコンの充実度で言えば80年代を置いて他にないと言ってよいでしょう。『ダイ・ハード』の公開が1988年。現代のいわゆる「ハリウッド映画」のイメージは、80年代製の映画で造形されているのです。

『ロボコップ』もまたその一翼を担います。どんなアホでもわかる単純明快な主人公、ロボコップはその単純さゆえに、人気を集めたわけです。ですが、はっきり言ってロボコップ自体は何も新しくないんです。日本でも『宇宙刑事ギャバン』から続く一連のシリーズがあったし、造形は何一つ目新しくない。サイボーグという設定だって『仮面ライダー』でとうに観ているし、同系統のアンドロイドものだって昔からある。ロボコップのロボット的設定はアシモフの三原則を引き継いでいるだけだし、そういう部分での斬新さは何もないのです。

 ではなぜこの映画がヒットしたのか、ひとつの傑作として認知されているのかと言えば、そこがやはり監督の手腕というもので、ポール・ヴァーホーヴェンの悪趣味さが、単なる子供向けのアイディアに堕さなかったからでしょう。一見馬鹿馬鹿しい発想でもしっかりつくればきっちりした一本の作品となる、その好例です。

 CG技術なんかでいえば、そりゃぎくしゃくもしているし、最近のような本物っぽさはないですよ。でも、あの二足歩行マシーンが社員を銃殺するシーンは、大笑いしてしまいました。ぼかあね、こう見えても一応倫理は持っていて、人死にの場面で大笑いするなんてことはあまりないんです。でも、そのシーンのベタベタ展開がとてもよく収まっていて、とても面白かったんです。こういうところでその監督が信頼できるとわかります。信頼できない監督あるいは脚本の場合、あそこで社員を殺さないんです。別に殺さなくてもいいし、なんやかんやの配慮で、うまく切り抜けちゃうんです。そこを何の躊躇もない手つきで、蜂の巣にするところで、ああ、凶暴な監督だぞこれは、と思わされる。アホやな、と思える。中途半端な監督、もしくは映画制作者なら、あそこで殺さないですよ、今なら余計にそうじゃないですかね。「子供も観に来るのだし、あまり直接的な表現はいかがなものかなあ」「子供も観に来るのだし、殺人の描写はできるだけ抑えたほうがいいんじゃないかなあ」みたいに及び腰になるでしょう。そこを「うるせえ! ここで殺すから面白いんだ馬鹿野郎!」って通している感じがする。
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 ここはこの映画にとってきわめて重要な場面です。というのも、このシーン自体が企業の上層部、エグゼクティブたちの会議を描いているのであって、彼らの一人を撃ち殺すことは、ヴァーホーヴェン監督の、「あんたたちのいいなりにはならないんでそこんとこよろしく」という意思表明でもあるのです。同じような映画があったとして、あそこで殺すか殺さないかは、その監督の態度それ自体を暗示していると言っても過言ではありますまい。映画では殺人の場面が出てきますが、「誰を殺して誰を殺していないか」は非常に重要です。監督の意思や思想がそこに反映されるのです。
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 企業が生み出した新型兵器が駄目だこりゃというわけで、瀕死の警官がロボコップになります。思考や記憶を奪われ、完全な警備ロボットとしてうろつきます。オードリーの春日はそのロボコップの歩き方を参考にしたと思われます。設定の穴を言うなら、どうしてあのロボコップを単独行動させるのか、とは思います。新型機だし、一応誰かが随行するか、もしくは常々詳細な位置情報を把握できるとかしておけばいいのに、そういうのは何にもないです。でもそういうのはぜんぜん気になりません。アホさを抱えている映画というのは、この辺で強いです。まじめっぽくさも細かい設定を施しましたぜという映画だと、細かい部分が気になるんです。『サマーウォーズ』はその系統で、OZなんていう、さも今の技術より進んでいまっせ的な話にしてその空間の描写も緻密にやっているのに、人々の動きがあまりにもずさんだから腹が立ってくるんです。あのばあちゃんになんかいいことっぽいことをくだくだ言わせるから腹が立つんです。『ロボコップ』はいいことなんて一個も言いません。アホが突き進むのです。
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 やっぱり映画っていうのは、「ええこと言うたろ」「きれい事言うたろ」にすると駄目ですね。『サマーウォーズ』のばあちゃんはそこが何も面白くないんです。『オトナ帝国』は真逆で、「俺の人生はつまらなくなんかないぞ!」「お姉さんみたいな綺麗な人とお付き合いしたい! だから大人になりたい!」という格好良くもなんともないメッセージを腹の底から放つからいいんです。
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『ロボコップ』に話を戻すと、ロボコップは悪者を逮捕しますが、警察内部の権力争いみたいな話のあおりを受けてむしろ悪者にされ、今度は一転追われる身になります。それで敵とのクライマックスがあるわけですが、この種のクライマックスではカットの切り替えの速さが大事ですね。その最高峰が『ワイルドバンチ』で、ほとんど視認できないくらいの素早いカット割りによって、観客を酔わせてしまう。そこで描かれていることの規模の大きさとか金のかかり方ではなく、常に何かを動かして観客をくらくらさせること。最近の映画でそれが最もうまくいっているのが『第9地区』でしょう。

 CGがすごい映画の多くは、どうしても見せびらかしに走るんです。ほら、観よ! このすごい映像を! こんなに巨大な、ほら、この圧巻の大迫力を観よ! って方向に、たぶん作り手の誘惑が働くんです。でも観客が本当に興奮するのはそんなものじゃない。チープでもいい。チープでも陳腐でもいいから、見せ方によって酔わせてほしいんです。映画の醍醐味について話すことがありますが、突き詰めればいかにその映画に酔えるかが大事なんです。もちろん酔いの形は様々にある。見終えてからじっくり酔い始めるものもあるし、見ている間ほろ酔いにさせてくれる映画もある。「見ている間は楽しいけれど見終えたら何も残らない」という映画の貶し方がありますが、ぼくはその種の発言が嫌いです。

 観ている間にとことん酔わせてくれるなら、それでいいんです。もちろんそれ以上のものがあるとさらにいいんでしょうけど、『ブルーノ』のとき言いましたが、面白いってことは、確かに残る。知識は忘れ、思想は廃れよう。でも「あの映画、面白かったよな」ということは、確かに残るだろう。『ロボコップ』は面白い映画です。ぼくは全面的に擁護したいと思います。
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by karasmoker | 2010-08-19 19:06 | 洋画 | Comments(1)
Commented by おっちゃん at 2017-02-18 00:42 x
ロボコップってCG使ってたんだー、へぇー。。。w
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