『ホステル2』 イーライ・ロス 2007

まあ、適度に残虐な映画ってことで。
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『グロテスク』に震えた者としては、もう今後、残虐系の映画に恐怖を感じることはないのではないかと思います。あの映画はとても真面目に正当に、残虐描写が効果的に映るような演出、筋立てを行っています。その辺の妙味を感知できないやつが四の五のディスをかましているのは腹立たしい限りです。

 『ホステル』を観たのは三年前くらいでしょうか。それほどいい印象はなかったので2を観るまで時間がかかってしまいました(『グロテスク』を観て『ホステル』のぱくりだとか言っているやつがいましたが、ぜんぜん違うよ馬鹿。なんて表層的な見方なんだ)。 
 『ホステル2』も一作目と同様、旅行に来た若者が拉致されて殺されてしまう話です。ただ殺されるだけではなくて、逃げなくちゃ駄目だうんだかんだという物語的な要素も多分に入っております。

 冒頭でかましを入れた後は、しばらく女子大生三人組の旅が続きます。別に何の変哲もない、しかし危険な香りがぷんぷんと漂う外国への旅で、この後何かが起こるぞ、という気配を全面に押し出しています。残虐描写がこの映画における売りだとするなら、ここはそのフリとして大事です。ここでフリをしっかりしておくことで、残虐表現の効果は変わってくるのです。雰囲気を醸成する、という意味では十二分だったと思います。冒頭のかまし含め、続編であること含め、この後に何が起こるかをどんな馬鹿でもわかるように仕向けている。
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 雰囲気はオーケー。しかしこの映画が弱いのは、肉体そのものへの言及度合いです。ここはいかにもアメリカ人のセンスだという気がします。残虐表現は肉体感が重要です。一人の人間の肉体が確かに壊されている、という感覚がその表現の成否を分ける。『テキサス・チェーンソー』に比べて『テキサス・チェーンソー・ビギニング』が上回っているのはそこで、あの映画ではレザーフェイスにひたすら肉を切らせていた。閉鎖決定の工場で、レザーフェイスは黙々と包丁で肉を切り分けている。あの肉の感じが、肉体的、生理的な嫌悪感を醸成したからこそ、いいものになったのです。

『ホステル2』は肉体を重んじていない。たとえば絵画を描くシーンでも、肉体感を出さない。電車の中のビュッフェや祭りのシーンがあるのに、食べ物はろくに映さない。食べ物っていう要素は活かせるんですよ、映画的に。食べ物をしっかり映すと、実在感が宿るんです。スプラッターに限らず、どんな種類の映画にもそれは通じる。誰かが何かを食べている(あるいはつくっている)、その咀嚼音なり身の所作なりを丁寧に映すと、そこに人間が生きているという感じが間違いなく強まる。これね、飲み物だとぜんぜん駄目なんです。飲み物では効果が上がらない。肉体への言及として、重要な要素を見過ごし続けているんです。パゾリーニの『ソドムの市』はそこが偉いんですよ。あれは排泄や食事をしっかり映す。肉体の無様さを映す。だから嫌なものが余計嫌なものとして見えてくる。

 いかにもアメリカ人のセンスだ、と書いたのはそこです。そういう配慮を抜きにして視覚的インフレに走る。女子大生の一人が逆さづりにされてえげつない殺され方をするんですが、変に綺麗に、画になるような撮り方をするんです。見た目で押そうとするから、痛みがない。他の残虐シーンにしても同じです。そりゃ見た目のインパクトは否定しません。よくできています。でも、本当に大事なのはそこじゃないんです。見た目のインパクトで充分な時代はたぶんもう終わっている。
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 それと残虐系に重要な要素は、狂気です。ああ、こいつは狂っている、という狂人の描き方が肉体への言及と同じくらい大事です。残虐系映画の場合、肉体への言及と狂気、そのどちらかがきちんと描かれていればおそらく大丈夫なのです。では、『ホステル2』における狂気はどうかというと、これもなあ。

 設定自体はいいんですよ。ハイソな、もしくは普通の生活を送っている社会的にはまともな人間が、殺人に走る。狂気の振れ幅自体は用意している。でも、不気味な雰囲気を醸成するために悪いやつはただの悪いやつになっているし、あの二人組の男にしても、狂いが見えない。あのー、痛めつけられている相手を前にけらけら笑っていれば狂っているように見えるかっていうと、違うんですね。それは狂いとしてすごく浅いですよ。『グロテスク』のあの男を思い出すとわかるけど、狂っているやつって、基本的に真面目なんです。真面目だから狂うのであって、手がつけられない感じがする。

 麻薬とかでいえば、それを吸ってけらけら笑っているやつはマシなんです。もう表情が無くなるくらいに浸かっているやつがやばいんです。狂気にはそういう性質があるのであって、画的に綺麗にしてみたり怖がるやつを前に笑ってみたりしても、大した狂気にはならないんです。

 結構悪く言っているように見えましょうが、いや、別に悪い映画だとは思いません。サービス精神はあるし、映画的なカタルシスも用意しているし、チェイス要素も含んでいるし、ひとつの物語としてはぜんぜん悪くないと思います。個人的には退屈を感じることもなく楽しめました。『テキチェン』を観た後と同じ感じです。確かに面白かった、と言える。だから別に悪くない。こういう映画の流れはこの先も絶対に必要なものだと思います。「適度に残虐」なものは存在する意味がある。ただ、もっとこうだったら、ここはこうすれば、というのがたくさん浮かんできて、それを書いたというわけです。あとは『グロテスク』が不当に低い評価を受けている気がして悔しくて、そっちとの比較が前景化してしまった、ということなのです。今日はこの辺で。
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by karasmoker | 2010-09-16 20:58 | 洋画 | Comments(0)
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