『学校の怪談』 平山秀幸 1995

子供の頃の思い出映画。
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小学校の頃、徒歩数分の近所に映画館がありました。ボーリング場やカラオケの入った娯楽ビルの中にあって、ドラえもんの映画やゴジラシリーズ、東映スーパーヒーローフェアの映画を観たものでした。今思えば設備は安いものでしたし、座席数もきっとすごく少なかったし、ばねの飛び出ている椅子なんかもあったけれども、子供の頃の原風景としてのそういう場所は、ずっと忘れないものであります。その一帯にはそこしか映画館がなかったものだから、春休みにやるドラえもんの映画なんかは大盛況で、立ち見でも入れぬくらいでした。妹と連れだって出かけたら混雑ぶりがひどくて観られませんでした。係員の人に「お金を払ってしまったのですが別の日に出直すことはできませんか」とお願いしたら、応じてくれて、無事に別の日に鑑賞できたのでした。ドラえもんの何の映画だったか忘れたけれど、そういうことは忘れないものなのです。中学校くらいの時には潰れてしまいました。それ以後、映画というものが少し遠くなってしまったのでした。

 さて、その映画館で観た思い出の映画、『学校の怪談』です。夏休みに観て、見終えた後とても興奮していたのを覚えています。怪談というのは子供の心を引きつけてやまないもので、「思いっきりテレビ」の「あなたの知らない世界」にも釘付けでした。

 今となれば幽霊とかなんとかいうものには大して恐怖を感じない、というか、その存在を信じる気持ちすらとうに薄れております。科学やら脳機能やらを聞きかじっていくにつれ、宗教のメカニズムを見いだすにつれ、あるいは世間のスピリチュアルなんちゃらにあほらしさを見つけるにつれ、そういう類のものには真実味を感じなくなりました。しかし子供の頃は無邪気に信じておったのです。やはりなんというか、学校における怪談とはひとつに、宮台真司いうところの「社会」と「世界」的なあれなのでしょう。学校という徹底して「社会」である場所、「社会」の一部としての振る舞いを強要される場所において、「世界」を見いださんとする欲求の表れなのでしょう。

 と、この話は長くなる。映画の話をするんだ。
 かつての記憶をめぐらしながら鑑賞しました。学校が本館と旧館に分かれていて、閉ざされた旧館に入り込んでしまった子供たちが怪異に出会うお話です。本館と旧館という設定がうまいところです。木造建築の旧館は舞台設定として正しいし、綺麗な本館を配置したことで現代の子供たちに身近さを感じさせるわけです。木造校舎だけだと、自分たちの学校と違うと言って子供たちが入り込めないわけです。それにしても、やっぱり木造校舎ってのは素敵です。
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 序盤はそれなりにだるいです。不気味な雰囲気もそんなにないし、ホラー映画的ではありません。というか、実際子供向けの映画ですから、そういうことをぶうすか言うのが間違いなのです。小学生のぼくが興奮して楽しんでいたのだから、細かいことはいいのです。ホラー映画的ではない、と書きましたが、手順はちゃんと踏んでいます。まがまがしげなアイテムをいくつも見せて、この後何かが起こるぞ、というのを真っ当に示しています。 
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 旧館に入って出られなくなった子供たちがやがて夜を迎えます。夜が来たのを高みから映して示し、「よっ、待ってました」という気分にさせます。とても真面目な演出で、好ましい限りです。こうなるとなんでもござれの本番であります。何の脈絡もなく次から次へと学校の怪談的モンスターズが登場し、愉快痛快なのです。子供向けだと高をくくっていたら、意外とグロテスク演出がしっかりしていたりします。ここは再発見でした。やはり子供心に、あの人体模型の内臓の気持ち悪さなんかは感知していたのです。この映画が偉いのは、子供の妄想をちゃんとビジュアル化しているところです。「人体模型が襲ってくる」みたいな怪談を具体化して見せてくれており、なおかつその臓物をぐちょぐちょなものとして見せてくれる。映画などろくに知らない子供のぼくの目にはとても新鮮に映ったわけです。
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佐藤正宏演ずる用務員のおじさんがいちばんの思い出です。この人がモンスター化して襲いかかってくるのです(そういえば一時期、「用務員」が差別的呼称だとして「校務員」と呼ぼうみたいな話題がありました。今もあるのでしょうか。まったくお話にならない。シニフィエとシニフィアンに関する考えが何一つない)。この描写も結構力が入っていました。子供向けの映画にしてはクリーチャー表現がそれなりにきちんとしているのです。ハリウッドからちゃんと学んで頑張ろうとしている感じで好ましかった。ただ、あらためて観るとこれはホラーでは全くなく、モンスター映画だったのだなあとわかりました。
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 おそらく幽霊なのだから自由自在に跳梁跋扈すればよいものを、この映画ではあくまでモンスターとしてあの敵を扱います。エイリアンとかそういうのと一緒です。このおじさん(「くまひげさん」と呼ばれる)が完全にモンスターになって襲いかかってくるのですが、子供たちは消火器を浴びせてみたり金網でバリケードをつくったり、かなり物理的な手段によって逃げ回ります。だから最終的にはあまり怪談っぽくはなくて、おどろおどろしい物静かなホラーを期待した人は「なんじゃこら」と思うことでしょう。

 でも、ぼくは子供の頃の思い出とともに擁護します。最終的には怪談ではなくてハリウッド調モンスターパニックになった本作ですが、そういうことを頑張る日本映画というのは実はあまり多くないはずです。日本では元来モンスターに対してゴジラなりウルトラマンなりライダーなりが戦ってきた歴史があるのですが、普通の人々がただ逃げ回る、ゾンビ映画的なものというのはあまりないのです。いや、あるのかもしれませんが、ぼくはよく知らないのです。あったとしてもどうしてもホラー寄りになってしまうのではないでしょうか。本作はホラーと見せかけてモンスター祭りであって、ハリウッド的ハラハラ感を得ようと工夫を重ねているのです。

 最終的にはなんと、一人の少年が何かの本で読んだ魔方陣をヤンキーたちの助けを借りてグラウンドに描き、そこで不思議な力が発生、別世界に取り込まれた子供たちを救い出してしまいます。ここはファンタジックな大爆発。怪談を期待していた人はいよいよ「もうやっとれんわ」となりましょうが、いいのです、考えるに無力な子供が超絶的な力と戦うには、最終的に訳のわからない何物かに寄りすがるほか手はありません。あの本は何なのだとか、回収されていないエピソードとかそんなのはいいのです。大人はあっちに行っててください。この映画にはひとつ教訓があります。
「子供が大勢の大人を動員しようと思ったら、暇なヤンキーがいちばんである。」
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 子供たちの演技もかなりナチュラルでした。子役の演技が鼻につくことの多い日本映画ですが、本作についてはまったく気になりませんでした。実際、公平に見てもかなり上手だと思います。オーディオコメンタリーで、主演の野村弘伸が語っていましたが、「子供たちはすぐに調子に乗って騒いだりするので、??ったこともあった」とのことでした。

 それでよいのです。あれだけCMに出ていたあの「子供店長」などは、きっとお行儀のいい子供なのでしょう。だから重用されるのです。だから鼻につくんです。きっと一丁前に楽屋の挨拶なんかもこなし、なんら失礼のない文言で教わったことを言うのでしょう。だから嫌なんです。

 贔屓目なのはわかっていますが、この映画に出てきた子供たちにはそういう印象をついぞ受けなかった。お上手な演技は何一つしなかった。やはり昭和生まれは骨身が違います(なんだその結論)。いや、でも、本当に子供の演技はいいですよ。それは言い切っていいと思います。

 楽しい映画でした。2や3も観てみようかと思います。ひひひひひひひひひひひ。
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by karasmoker | 2010-09-23 04:27 | 邦画 | Comments(0)
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