『十三人の刺客』 三池崇史 2010

これぞ世界に誇れる日本映画。
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 久々の新作レビウ。久々のHUMAXシネマズ。
三池作品はあまり惹かれないで来たのですが、宇多丸さんが大絶賛していたので行ってみました。さて、シネコンに行くたびぼくは嫌な思いをするんですけど、今回も馬鹿がいました。ぼくの後ろにいたのが初老の夫婦なんですけど、ばばあのほうがいちいち声を出すんです。喋りやがるんです。「うわ、何これ、気持ち悪い」とか「あら、やられちゃった」とか「もしかして、もしかして、まさか、うふふ」とか観るものに反応して喋るんです。そういうやつに限って上映前のマナーメッセージのとき、「お喋りは迷惑ですよ」のくだりを観ていないんですね。そのときも喋っているから。本当に困ります。途中むかついて振り向いてそいつをガン見してやったんですけど、ぜんぜん気づきもしないんです、座席に高低差があってぼくのガン見に気づかない。もうむかついた、上映が終わったら一言言ってやる、と思ったらもうそこにはいない。エンドロールで余韻を楽しむ、という行為をしない。一体何なのでしょう。なんで自分の発する迷惑に気づけないのでしょう。しかも横に夫がいるんだからそいつもそいつで注意せえ。もう二人揃ってアホです。ぼくは哀しいです。四十年、五十年生きてきて、映画を観るときのわきまえすらわからない。そんなやつらが選挙権を持っていて、ぼくの一票と同じ価値を持っている。あいつらが年を取ったときにもらう年金にぼくの支払う年金が使われる。ぼくの道徳観からすると、ああいうのは殺してもいいんです。いや、殺すべきなのです。稲垣吾郎の放った矢は、あいつに飛んでいけばいいのです。

 と、このように怒るのはひとえに、この『十三人の刺客』が大変な傑作であったからです。この傑作の鑑賞を妨げる者に対しては、寛容にはなれません。

 『十三人の刺客』は1963年、工藤栄一監督が撮った作品で、今回はそのリメイクだそうです(不勉強にしてまだもとの作品は観ておりませぬ)。タイトル通り、十三人の侍、浪人たちが悪逆なお偉いさんを殺しに行く話です。時代劇には疎いほうなので、迂闊な言い方かもしれませんが、本作はおそらく、1985年の黒澤明監督作『乱』以来の、大変な時代活劇だと言えましょう。2000年代に入っても時代劇で佳い作品はありますが、予算的制約などの事情から、どうしてもこぢんまりとした話が多かったり、人情話で盛り上げようとしたりが多かった。しかしこの作品はまさしく黒澤明黄金期、金字塔であるあの『七人の侍』を彷彿とさせる壮絶な合戦の様子を描いており、まあ今年の日本アカデミー賞はこれで決まりでしょう。これにやらなきゃしょうがないでしょう。あ、キムタクのあれがあるのか、あらあら。

 悪の親玉は稲垣吾郎が演じたのですが、いやはやこれはおそらく彼にとっての最高の役になったのではないでしょうか。箱入り息子過ぎて幼児的全能感にまみれ、無邪気な邪悪さを放ちまくっており、FF6のラスボス、ケフカを連想します。あのイーブルはいいなあ、ぼくも役者になったりしたら、ああいうイーブルを演じてみたいものです。簡単に言うと、「ぼくちゃんは偉い」→「だから、人の命を粗末にしてもよい」と思っているようなやつで、とにかく救いようがありません。そのどこまでも最悪なやつだからこそ、この映画における最高の敵として立ちはだかれるのです。宇多丸さんが形容したように、この稲垣吾郎という人は、「天然お殿様」みたいな雰囲気があるんです。邪悪な天然お殿様として、なるほどこのキャスティングは最高。スマップ五人の中では地味な彼ですが、この活躍でものすごく株が上がりました。お見逸れしました。

刺客たちは役所広司が中心となり、松方弘樹、伊原剛志、高岡蒼甫、山田孝之、古田新太、波岡一喜、沢村一樹らが脇を固めます。役所、松方、古田のようなおっさん勢が奮闘し、他の若手陣が派手に動き回り、伊原や沢村のような中堅が魅せる。中でも『七人の侍』における三船敏郎のような役を担った、伊勢谷友介が光りました。モデル出身のイケメンめ、けっ、となりそうなところですが、この映画における存在感、キレの良さは素晴らしい。窪塚洋介級です。つまりは最高である、ということです。刺客たち一人一人がきちんと描けていない、と評する向きもあるようですが、ぜんぜんかまいません。この活劇のスピードを保つ上で、存在感をきちんと漲らせている。変なエピソードとかを長々描いてテンポを殺すくらいなら、全員が一丸となってぶつかったあの熱量のほうがはるかに尊い。この話には細かい背景とか要らないです。

 演出として唸らされるのは、照明の妙です。夜の場面が多い映画なのですが、暗いシーンの暗さをきちんと活かしている。電気のない空間の暗さが保てているので、時代劇の風合いがとてもよく出ていました。照明がうまく行くだけで、映画の良さはぐんと上がるんです。映画やドラマでは、役者の顔を映すことに気が行って無闇に鮮明さを出し、明るくしすぎるものもありますが、この映画は暗い場所をちゃんと暗くしている。それはすごく正しいことです。山田孝之の恋人として吹石一恵がちょい役で出てくるんですが、その家の中のシーンの暗さはすごくいい。暗いから白く塗った肌が不気味に映る。でもそれでいい。綺麗に映す必要なんかないんです(ぼくの後ろに座った馬鹿ばばあは暗がりの吹石一恵を観て、「気持ち悪い」などと言っていました。吾郎ちゃん、やっぱりあいつを殺してくれ)。

2時間20分あるわりと長尺の映画ですが、体感時間は短かった。この映画が最高に偉いのは、クライマックスの戦いをおなかいっぱい味わわせてくれることです。中盤もだらだらすることはありませんで、テンポ良く進みます。クライマックスの素晴らしさは本当に黒澤明級と言っていいでしょう。ずっと微妙な尿意に苛まれていたんですが、漲る熱さで膀胱の感覚も麻痺。超弩級映画『愛のむきだし』でもこれほどの迫力ある場面はなかった。活劇として最高です。「世界に誇れる」うんちゃらという言葉がありますが、世界はこのような日本映画を長らく待ち望んでいたのではないでしょうか。きっと海外の批評紙にも「like Akira Kurosawa」の文字が躍ることでしょう。いろいろな邦画が大人気になっているようですが、この映画はもっともっと話題になっていいはずです。っていうか、これは褒めろよなさすがに。いいよ、『愛のむきだし』をスルーしちゃったマスメディアはいいよ、許すよ。公開館も少なかったしさ。今年みんな『告白』を話題にしていただろ?これは『告白』どころじゃないよ。今年だと『告白』が大人気でしたみたいな感じだけど、ぜんっぜん桁が違う! 映像技巧とスタイリッシュな編集だの何だのでうまくやっちったあんなのとは違う! これはいいです。「これぞ映画」です。

アメリカ映画の西部劇に対置される、日本映画の時代劇。その新しい傑作がついに生まれたという感じです。別に奇をてらったことは何もしていません。グロテスクな描写もありますが、要らぬ小細工はほとんどありません。大変真っ当な映画です。日本映画のお家芸が、華々しく実っています。
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by karasmoker | 2010-10-12 00:22 | 邦画 | Comments(0)
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