『アメリカン・ティーン』 ナネット・バースタイン 2008

疑似ドキュメンタリー? 疑似ドラマ? どっちでもいいけど、とにかく青臭さがないんだ。
d0151584_8434920.jpg

 「アメリカ学園もの」はここではほとんど取り上げておらず、高校を描いた作品なら『明日、君がいない』くらいのもので、実際それほど数は観ておりません。最近、『バス男』なる冒涜的邦題をつけられた映画『ナポレオン・ダイナマイト』を観ましたが、それほど面白く思えなかった(かなり褒められている作品のようですが)。今回取り上げる『アメリカン・ティーン』はアメリカの高校生を描いた映画で、宇多丸さんは大絶賛だったのですが、どこがそんなにいいのか、正直ぼくにはよくわからなかった。この方面の感度は鈍いほうだと思います。これと比すれば、『明日、君がいない』のほうがよほど感じ入ったんですけどね。あの映画は高校生をモチーフにしながら、どんな世代にも通じる本当に普遍的な問題を描いている傑作ですから。

 さて、『アメリカン・ティーン』です。これは実際の高校生たちの生活を追ったドキュメンタリーで、アメリカの片田舎に住む五人の男女が主軸となります。ドキュメンタリー、と言っても、ぼくは事前にそう知っていたからそう観たのであって、何も知らずに観るとドキュメンタリーだとは気づかない人も多いでしょう。ドキュメンタリーと劇映画を対置させて捉えるなら、この映画の語りは明らかに劇映画的です。劇映画的ドキュメンタリー、という呼び方がわかりやすいでしょう。

 で、ぼくがいまひとつ入り込めなかったのはまさにそこが大きいんです。ぼくはエイガミとして、頭が固いのかもしれません。宇多丸さんのラジオを先に聴いていたので、「ほうほう、実際の高校生の生活を追っているのか。どんなにか生々しく、無様であろう」と期待したんです。でも、どうも、なんていうか、生々しくなくて、それはやっぱり、この映画に独特な手法のせいなのですね。

 ドキュメンタリー、つまりは実在の人物の実際の生を撮影し切り取ったもの。劇映画とは違う生々しさや実在感があるものだと思うんです。いい意味でざらざらとした手触りの、ごつごつとして整っていない良さがあると思うんです。そこに着目したのが疑似ドキュメンタリーという手法ですよね。架空の出来事に生々しさを与える表現として活用されます。

 この映画はいわば疑似ドキュメンタリーの逆で、疑似ドラマっぽいんですね。そうするとね、どうしても整ってしまうんです。見せ方がうまいし、編集でうまく見せ場をつないでいる。でもその分、そいつがそこに実際にいる、という生々しさが減じる。

 違う言い方をすると、登場人物に実在感のある映画ってのは、どこかドキュメンタリーっぽいんですよ。それが最も模範的な意味でのリアルさなんです。この映画は実在の人物を追っているのに、なんだかドラマの登場人物に見えてくるんです。

 なぜなのかなあと考えるに、たとえば会話のテンポがやたら良すぎる。この映画は引きの画をあまり用いません。二人の人物が会話をしているとき、こまめに切り返しを行い、話者のほうを映すようにしています。ぼくが観てきた、思ってきたドキュメンタリーでは、まずこのような切り返しは行われません。いや、むろん、既存のドキュメンタリー像が絶対ではない。自分が思い込んでいるドキュメンタリー像とは違うものもあり得る。でも、会話のテンポが悪いことって、実は実在感を描くうえですっごく大事だと思うんです。

 ぼくたちの生活、日常って、そんなにテンポ良く会話が進まないと思うんです。深刻な問題ならば特にそうで、何かを言いかけたのに突然じっくりと考え込んでしまったりとか、言いたいことがうまく言えなくておろおろしたりとか、自分語りがいびつさを帯びたりとか、もっともっと、無様なものだと思う、特に高校生なんて存在は。そして、そここそが実在の人物を映す醍醐味だと思うんです。そういうのがぜんぜんないんです。

 それで言うと、アニメーション部分なんかは、邪魔だなと思った。いや、最初のうちは、いいなと思ったんです。なかなか攻めているな、内面語りをアニメーションで見せて、単調さ、平板さを回避することもできるしな、と好感を持った。ただ、全体を見通してみると、どうなのやという気がしてくる。単調でもいい、平板でもいい、無様でもいいし何を言っているのかわからなくてもいい。そういうものこそ生々しい。あのアニメーションって、無臭化してしまうんです。リアルな気持ちを語っているはずなのに、無臭なんです。青臭さをデオドラントしているように思えたんです。青臭さを消しちゃ駄目です。高校生の最大の魅力のひとつは、やっぱり青臭さなんですから。

 うん。整いすぎているってのはどうしても気になってしまいますね。というかね、一応これはドキュメンタリーなんですよね。ドキュメンタリーってのは、まあ一応のルールとして、やらせはしないもんだと思うんです。被写体に何かが起こる、そこに取材班が居合わせる、そうやって撮られていくものだと思う。いや、でもそれはあくまで『選挙』『精神』の想田監督的アプローチであって、広く言えば筋書きはある。ある部分、ある部分を切り取って当初立てた筋書通りに見せてしまうのが最も一般的なドキュメンタリーだし、アメリカはそういうのが主流になっているようにも思う。でもね、この映画ね、やらせとまでは行かなくても、めっちゃ段取りを踏んでいる感じがするんです。

 顕著なのは一人の少女の裸がメールで送られまくるくだりです。それを受け取った人間の様子や、それを観た人々の反応を映したりしているんです。リアルな風景ではぜんぜんないじゃないですか。本当に現実を映しているものなら、あのメールを受け取った場面とか、みんなが観て驚く場面なんて、撮れませんって。夜中のうちに広まっちゃってたりするって。いや、仮にそうじゃなくても、絶対撮影のために一旦人々の動き止めていますよ。「こういう画が撮りたいのでちょっと待ってて、カメラオッケー? 大丈夫? 大丈夫?はい、じゃ、驚いて!」みたいになっていなきゃあの撮り方は不可能でしょう。もしくは一回やらせてますよ、「ちょっとここで驚いて」的に。やらせですよ。
d0151584_8413312.jpg

d0151584_8414988.jpg

d0151584_842298.jpg

d0151584_8421380.jpg

「いや、出演者に張り付いていたらたまたま連絡が来て、たまたま撮れたんだ」という言い訳は聞かないですよ、あの撮り方では。ドラマっぽくするために、絶対スタンバイさせています。もし本当にリアルにそうなっていたとしたらむしろ不運ですわな、ぜんぜんリアルな振る舞いには見えないもの。で、一人の少女が傷ついていますわな。

 だからね、これね、ドキュメンタリーって言われ方がされますけど、サンダンスでドキュメンタリー部門受賞していますけど、いいんですか、本当に。いやそりゃ、起こった出来事のすべては作為なしの、日常の中のものかも知れない。でも、出来事を受けての人々の動きには、作為が紛れていますよ。「え、そんな面白いことが起こったの? じゃあちょっと待ってて。撮りに行くから。はいオッケー、じゃあここでもう一回驚いてみて。初めて目にした感じでやってみて」みたいな。それはやっぱり、やらせじゃないですかね。やらせがいけないとは言いませんけど、やらせがあるならそれはドキュメンタリーではなく、疑似ドキュメンタリーですわな。

うん、ぼくはそういう風に思ったんです。頭が固いんですかねえ。こういうのもありやな、とは思えなかったんですよ。他に類のないようなもんにはなっていると思いますよ。ただね、えらく綺麗にしたもんやなあ、えらくにおいを消したなあと思って、それが残念なんです。

 でね、思春期の少年の気持ちわかってねえな、と思うのがあってね。ニキビ面の少年が出てくるんですけど、彼が「ゼルダの伝説」のゲームが好きなんです。で、ゼルダに模したアニメーションで、彼の妄想を描くんですよ。自分もゼルダみたいに活躍してヒーローになりたいっていう夢想を、アニメで描くわけです。そのときにね、アニメの中でも、彼の顔にはニキビがあるんですよ。それはねえ、間違っています。彼の頭の中を描く、彼のいわば理想的シチュエーションを描くアニメなんです。その中の彼は、自分をニキビ面として描いたりはしないですよ。理想の自分なのだから、綺麗にしたがるんですよ。それは、身をもってぼくは言える。
d0151584_8423172.jpg

d0151584_8424533.jpg

d0151584_8425638.jpg


それをああいう風に描くのは、やっちゃ駄目です。撮影クルーはずっと彼と一緒にいたかもしれないけど、わかっていないですね。本人がそうしてくれって言ったんですかね。うん、あの、そこは仮にそうだったとしても、嘘ついてくれ。アニメっていう虚構を技法として用いたんだから、本人がどう言ったかに関わらず、そこは観ているものに伝わるリアルっぽさに徹してくれ。あとあとどうなったか知らないけど、あの時点で彼は、絶対自分のこと肯定できていないから。

とまあこんなところです。
 結構辛口になりました。皆さんの御意見をお待ちしております。
[PR]
by karasmoker | 2010-10-17 08:45 | 洋画 | Comments(3)
Commented by motoura at 2011-05-01 05:46 x
最近、この映画を観たものです。

私は、現実を素材に作り上げたドラマとして、この映画の「作為」はわりと好意的に受け取りました。

しかし、貴記事の最後の段、ゼルダの伝説の妄想についての考察にはうなり、同意せざるを得ません! 確かに、あれはオタクの気持ちをわかっちゃいないですよね。

不躾ながら私の記事へのリンクを置いていきます。私のは批評とかではなく単なる感想ですが。。
Commented by karasmoker at 2011-05-01 08:28
コメントありがとうございます。この映画に対するぼくの評価に関しては、アメリカ社会、とりわけアメリカの高校に関するぼくの無知のせいもあろうと思います。台詞は字幕を介するほかないし、アメリカ人の大人が感ずるであろう「あるある」もわからないし、だから彼らの有する青臭さを今ひとつ関知できなかったんです。そういうのに詳しくなると、また違うかもわかりません。
Commented by TBST at 2015-12-11 19:10 x
アメリカン・ティーンを先ほど見終わり、その衝撃に誘われるまま周辺情報を検索していたところ、こちらにたどり着きました。
僕は逆に、これは擬似ドキュメンタリーだ、と思って観ていて、あとでよく調べたら(ホンモノの)ドキュメンタリーだった、というのを知って驚いたパターンです。

自分としては「日本で”桐島部活”が作られる前にこんな見事なものが作られていたんだ!」と高評価していたのですが、ドキュメンタリーとしては、それほど見事な作品であると捉えています。

しかしながら、ドキュメンタリーであることを念頭に置いて考えると、仰るとおり、作為が入りすぎている、とも思いました。
また、ゼルダの妄想、についてのご指摘も大きく頷きました。

←menu