『スーパーの女』 伊丹十三 1996

この世界は醜い。だが、美しくしうる。
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「立て直しもの」というジャンルで言えば、ぼくにとって『王様のレストラン』が殿堂入りの第一位です。1995年の三谷幸喜脚本の連続ドラマで、潰れかけのフレンチレストランを立て直していく話ですが、これぞまさに、「今観てもまったく色あせぬ」傑作の典型なのです。レストランのセット空間の中に限定して話を進めるから、時代風景にまったく左右されず、むしろおとぎ話のような超時代的風合いさえ帯びている。これは誰がどういおうと傑作ドラマです。

 さて、『スーパーの女』ですが、その名の通り、駄目スーパーを立て直していく話です。 この種の話の勘どころをぴしっと押さえた美しいコメディでした。いい感じでださいです。この話には美男も美女も要らないし、スタイリッシュさも必要ない。いい感じでださくて豊かで、90年代っぽくていいです。

 時はもはや2010年代に入っているわけですが、この現代のぼくから見ると、90年代ってちょっとださいんですね。70、80年代はもう大昔化しつつあるけれど、90年代はまだそこまで熟成されていなくて、中途半端に古くてださい。スーパーファミコンな感じ。でも、だからこその良さもあって、この映画にはぼくが90年代に求めるものがありました。

 宮本信子が主人公で、津川雅彦の潰れかけスーパーを改革していくんですが、二人の出会いの場面が既にかなりフィクショナルというか、いかにも古いコメディっぽいんです。
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 これが許されたのが90年代までの良さだなと思います。今これをやるのは相当勇気が要りますよ。というか、今の時代、コメディをつくるとなっても、この感じではできないでしょう。このトーンが気持ちよかったぼくは、すんなり物語に入り込めました。そして、なかなかに感動的なお話でもあるのでした。

『王様のレストラン』にも通ずることですが、おとぎ話っぽくはあるんです。実際の現場はこんなもんじゃない、と言われることでしょう。でも、たとえばスーパーのドキュメンタリーとか、生き残り競争の現場を追ったうんぬんみたいな番組ではきっと得られないほんわかさがあって、それがなんだかとても気持ちよかったのです。

 基本パターンとしては、「駄目な現場」→「宮本信子の活躍」→「みんなに喜ばれる」の順序で、それがスーパー内のいろんな部門で繰り返されるんですが、これがひとつひとつ、小さな感動を生むんです。音楽の使い方はベタベタでエモいんですが、そのベタベタのエモさが王道を走っていて、変な小細工はなくて、大変好感が持てます。なんというか、「小さくとも確かな悦び」を得たとき、得るのを見たとき、ぼくはほんわかとしてしまいます。
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 ドラミちゃんの『山賊団』でも、スネ丸が野菜を育てて感動する場面はとってもほんわかとします。今回の映画でも、三宅裕司が取り仕切る野菜コーナーに客が入るようになって、それを喜ぶ彼や宮本信子の顔が、すごくほんわかとさせます。岡本信人演ずる工場長が、自分の卸したたらこを客に味わってもらう場面で、彼は感動のあまり泣き出します。 彼は初めてお客さんから「美味しい」という言葉を聞けて、嬉しくなったのです。
ベタベタですけど、空気感の醸成がばっちりですから、これがすごくいいのです。
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 宮本信子の演技が素晴らしいのは言うまでもないこととして、彼女のキャラクター設定がこれまた温かいんです。駄目な部門を改革しようとするとき、その部門責任者は頑固者だったり意固地になったりして、なかなか受け入れてくれない。そんなとき宮本信子は、時に厳しく、時に相手の心情を十分に慮りつつ、説得を試みます。言うべきことをとてもはっきりと言うのです。この映画はこと実生活においても、学ぶべきものがたくさんあるなあと思います。
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この映画の何にこんなに魅せられたのか、と考えると、やっぱり、ある種の無様さだったりするんです。無様さ、というと悪く聞こえますが、ひたむきさ、ということです。

 正直、こういう言い方はあれですけども、スーパーのレジ打ちとか、肉や魚をパックに包む仕事とかって、華やかではないし、世間的にもそれほど評価される仕事ではないと思うんです。実際、給与だってそれほど高くなければ、やりがいを感じるような仕事だと胸を張る人も、少ないような気がするんです。

 でも、宮本信子の出現によって、このスーパーの人々は、皆活き活きとし始めます。ひたむきに取り組み、皆に喜んでもらえるってことを、確かに感じ始めるのであり、その姿がとても感動的に映るのです。これぞまさに立て直しものの最高の醍醐味です。
この世界は醜い。だが、美しくしうる。
 それを感じさせてくれるのは、コメディとして大変に立派。模範。
もちろん、現実はそう甘くないんですよ。知っていますよ。たとえばこの映画を観て感動して、「よし、自分もスーパーで働くぞ!」と思った人はきっと、その後現実にうちひしがれたと思うんです。宮本信子はいないし。でも、たとえ一時でも、たとえ幻でも、「この世界は醜いが、美しくしうるんだ」と思えたなら、それだけで映画は役割を果たしている。
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スーパーという設定を細部まで生かし切って物語を進めているところも素晴らしいです。汎用的な精神論や人情話ではなくて、スーパーならではの素材によってお話をつくっている。成功への過程で、宇多丸さんいうところの「K・U・F・U」、工夫が積み重ねられていて、説得力があります。宮本信子の語る細かな主婦的知恵もスーパーという現場に活かされていて、専門的な知識うんぬんよりよほど気持ちいいです。その一方で、ゼロ年代半ばに世間を騒がせた食品偽装問題を、十年も前の時点で明るみに出しています。この切り込み方は伊丹監督のすごいところのひとつでしょう。
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 というか、逆にマスコミはこの十年間、何をしていたのでしょう。映画の中で、「産地をごまかして売るのは商人の知恵だ」とか「加工日の表示ってのはパックした日を書けばいいんだから、何度でもリパックしてよいのだ」とかいう悪知恵野郎たちが出てくるんですが、そのことをマスコミは十年後にやっと騒ぎ出しているのです。この映画が公開された時点で、もっとムーブメントになってもよさそうなものなのに(一部ではなっていたようです)。

 いい映画です。クライマックスでアホみたいな展開になりますが、まああれはあれで映画的サービスになっていますのでよいのです。「お客様のご満足が第一」というのが宮本信子の一貫した主張であり、協賛企業も二つ返事でスポンサリングしてくれたことでしょう。
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ただ、映画とはまったく関係ない余談ですが、「お客様お客様」的な世の中になるとしたら、それには反対です。内田樹が指摘していたのですが、病院において「患者さん」を「患者様」と言い改めたところ、患者の態度が断然横柄になったとのことです。様付けが個々人の無意識を刺激して、態度を変えさせていくんですな。その意味で「お子様」なる言葉は大嫌いです。おそらく少子化の原因の一端には、「お子様」という呼称の膾炙があることでしょう。「お子様」のように偉い感じにすると、「その『お子様』を管理下に置いている自分はもっと偉い」というアホな親が増えそうです。お客様重視だとサービスがよくなるってのもあると思いますが、たとえばテレビなんかの場合、あまりに視聴者様のご機嫌をうかがうあまり、クレームにびくついて面白くなくなっているわけです。というか、逆に、「お客様」なる語が敬称の意味を失って形骸化した場合、「サービスは悪いのに呼称だけは丁寧」「呼称の丁寧さによってサービスの悪さを隠している」「様付けのおかげで距離感が遠くなり、その分真摯さに欠ける」という現象もあり得ます。売り手と買い手の関係に最も適切な呼称は「お客さん」でしょう。これに勝る日本語はおそらくありません。
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by karasmoker | 2010-10-23 00:36 | 邦画 | Comments(0)
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