『ダイハード4.0』 レン・ワイズマン 2007

どっかで観たやつてんこ盛り。
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原題『Live Free or Die Hard』
itunesが映画配信サービスを開始、ということで、観てみました。日に日にソフト数が増えているようです。これまでも映画配信サイトというのはあったわけですが、旧作でも五百円くらいしたりと割高感がありました。でもitunesは旧作なら300円。ツタヤが360円とかしますから、これはいよいよ、ツタヤはなんで動画配信をやめちゃったんだろう、という話になりますね。電子書籍とかもそうですけど、ソフト的な充実度を求めていけば、店舗経営はネット販売に勝てないです。結局、映画にせよ本にせよ、バイト数で重さを量れる、データという代物になってしまえば、ネット上ですべてやりとりできる。「貸し出し中になっていて借りられない」ということもなくなり、売り切れ、品切れという概念がいつか消え去る。
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 特に映像の場合はネットに押されやすいでしょう。電子書籍と本、という対立構図で言うなら、両者には別々の特性があるため、本が完全に喰われる、ということは考えにくく、おそらくぼくが死ぬまでの間、紙の消滅はないでしょう。でも、レンタルビデオ店はものすごく減っていくはずです。ビデオ一般は消えずとも、レンタルビデオの店舗はこの先、減少の一途をたどるでしょう。それは動画配信サービスの拡充と完全な相関関係にあり、真逆方向の緩やかな曲線を描くはずです。
「電子書籍なんて嫌いだね。あんな板みたいなもので本が読めるかよ。一ページ一ページを指でめくって、じっくり読み進めるのが読書の楽しみなんだ」
という人はいても、
「ネット動画配信なんて嫌いだね。俺はあのDVDのディスクを一枚一枚、デッキにセットするのが快感なんだ」
という人は少ないでしょう。

 と、まあいろいろ考え出すと未来予測が楽しいわけですが、ところでitunesはエロを配信するのでしょうか。しばらくはしない気もします。こうなるといよいよ、dmmがツタヤを喰っていくんじゃねえかと楽しくなります。電子書籍の揺籃が騒がしい昨今、今以上にネットの動画配信が浸透した暁には、このままで行くならアップルがさらに隆盛、ツタヤはそっち方面に力を入れない限り没落、そうなるとエロはdmmの独占状態と相成る運びでございます。こう考えると、店舗経営に一切興味を示さなかったdmmの慧眼というのも、なかなかであるなあと思います。エロの作り手を舐めちゃいけないのでございます。

 そろそろ映画の話ですが、itunesで観たのはいいのですが、どうやら吹き替え版をレンタルしてしまったらしく(レンタル、という言葉ももはや意味をなさなくなりますね)、この点はまだかのアップルも課題を抱えています。吹き替えと字幕が別個配信らしく、切り替えができないのです。吹き替えで映画を観る習慣がなく、実写映画の吹き替え版なんてそれこそ何年ぶり、下手をすると上京以来一度も観ていないんじゃないかという気がするくらいに久しく、違和感があってなりませんでした。

 先日亡くなった野沢那智という人がブルース・ウィリスの声で、この人はどうやら大変に愛聴されていたらしいのですが、ぼくは寡聞にして知らずにおり、むしろウィリスの声にしては変だぞとしか思えず、残念でした。ぼくにとってのウィリスの声は、むろんウィリスそのままの声であって、野沢さんの声ではないんです。吹き替え版を楽しむ習慣がないので、仕方ありません。

 やっと映画の話ですが、まあベタなハリウッドアクションを観たいのであればこれでよいのでしょう。びっくりするようなことは特にありません。シリーズものの弱みで、奇襲戦法を打ちにくいんですね。今まで通り、ウィリスが頑張って、悪と戦って、勝つ、という話ですから、ある程度紋切り型の美学が肝要、というか、妙な監督の個性なぞは端から必要とされていない。『トゥモロー・ワールド』みたいに張り詰めた長回しも必要ではないし、『アポカリプト』のごときスピード感も残酷さも要らないし、『第9地区』みたいな突飛な設定にするともう別の映画になってしまうし。じゃあ『ランボー』みたいに2や3と違うことができるかといえば、『ダイ・ハード』と『ランボー』の違いはまさにそこで、マクレーンにはランボーのようなバックボーンはない。1というスタート地点があまりにも違い過ぎる。だから、いいんです。きちっとこれまでのファンの要求に応えればいいわけで、変なことはしちゃ駄目なんです。その意味では、真っ当な作品だと思います。ツッコミどころはたくさんあっても、そこをご愛敬として愛でる。それがハリウッドアクションに対する礼儀でもあるわけで、その辺のツッコミ要素をふんだんに置いておいてくれるのもいいです。

 とりあえず、「ネットを乗っ取ったからなんでもやりたい放題だ」という非常にわかりやすい設定がいいわけです。この先、悪の組織として出てくる連中はおそらく、いつでも「ネットを乗っ取る」ことになるでしょう。それがどういうことなのか、細かくイメージすることはできませんけれども、「ネットを乗っ取られたら怖い」というのはなんかそんな気がするのであり、敵としてはこれでよいのです。ただ、そこまで行くならカーペンター監督のようなガキ度も持ってほしいところではあります。『エスケープ・フロム・LA』のすごさは、ガキ度大炸裂のところにあるわけで、そこまでは行かないのが残念であり、同時にそれが現代における、「ハリウッド的お行儀の良さ」でもあるのだなあと思います。何しろ煙草が出てこない。「悪役が煙草を吸う」ことすらしなくなり、もはやこの世に煙草なるものはないのだ、というくらいのハリウッド的お行儀。

あとは適当に親子愛を放り込んでくるあたりのお決まり感。こういうのも必要なのです。映画のつくりとしては、正直あの娘は物語にぜんぜん絡んではいなかったんだから、別にクライマックスで重用する必要はなく、むしろあのハッカーボーイを中核に据えてウィリスとのバディ・ムービー感を前面に押し出せば、今後も『ダイハード』シリーズはあのスネークとオタコンのような形で新局面を迎えられるんじゃないかとも思いつつ、いいんです、親子愛は出す必要があるんです、ザ・ハリウッドとしては。

 観る側の目が肥えた、というのはあります。クライマックスの戦闘機にしたって、何にも驚かないですから。ああ、そういうパターンね、みたいな感じに思ってしまいますもんね。テレビゲームでも、ああいう風な展開はよくあるわけです。作り手が、こういう風にしたら盛り上がるぞー、と一生懸命つくったのでしょうが、結局は紋切り型、どこかで観たやつ。うん、もう、本当に、「どっかで観たやつ」がいっぱい詰まった映画ですね。それが『ダイハード4.0』です。
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by karasmoker | 2010-11-14 22:04 | 洋画 | Comments(0)
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