『フィールド・オブ・ドリームス』 フィル・アルデン・ロビンソン 1989

ぜんっぜんわからない! これって甘やかし癒し系電波ムービーじゃないんですか?
d0151584_0221162.jpg

野球が出てくる話、それなりに人気の話、という予備知識だけを持って鑑賞。主人公が夢の舞台に飛び出ていくような話かな、それで野球の試合をやってあれこれあるのかな、と思いきやぜんぜん違っていてびっくりしました。実際、野球は別にそれほど大事じゃないですね。野球をやっているシーンはものすごく少ないです。

 アマゾンのレビウではかなり絶賛されているようで、号泣しましたみたいな感じのもあるんですけど、ぼくにはさっぱり意味のわからない話でした。どこで泣くのでしょう。どうして泣くのでしょう。

 ケヴィン・コスナー扮する主人公が冒頭、謎の声を聴きます。それを起点に物語が動くのですが、これがさっぱりわからない。「それをつくれば、彼はやってくる」という謎の声が聞こえてきて、主人公は「よっしゃ」と言って自分の食い扶持であるはずのトウモロコシ畑を無くし、野球場に変えてしまいます。もうさっそく置いて行かれました。
d0151584_0233351.jpg

 別に、荒唐無稽で意味不明だから置いて行かれたわけではないんです。置いて行かれたのは、この映画のノリのせいです。結構テンポが遅くて奇をてらうことのない普通の映画っぽいんですけど、この主人公の意味不明な行動に、妻がすぐさま乗りかかってしまうんです。そこで置いて行かれるんです。主人公は馬鹿でいいんですよ、狂っていていいんですよ、でも、どうしてお告げを聞いたわけでもない妻がその彼を易々と受け入れるのかがわからない。彼女は一応正気というか、主人公の言い分を認めない側にいてほしいんです。
d0151584_024109.jpg

d0151584_0242487.jpg

 やっぱりね、普通に考えてね、「お告げを聞いたのだ」という理由で意味のわからないことをやられたら、うろたえるじゃないですか。そんなお告げを聞く人とこの先一緒にやっていけるかしらとものすごく不安になるはずです。でもそうはならないのがわからない。そもそも「お告げ」っていうのも、もうちょっと考えて欲しいです。怖いですよそんなの。その怖いお告げを聞いて、よっしゃ、野球場をつくろう! と思う男がいて、妻は妻で、あんたのやりたいようにしなさい、みたいに言うんだから、置いて行かれますわ。

 行く先々の行き当たりばったり感がものすんごいんです。お告げを聞いて、自分で直感的に解釈して、その通り行動したら結果オーライみたいな。どうしてそういう解釈をしたのかってことが本当にわからない。隠遁している作家を主人公は捜しに行くんですが、このくだりはもうめちゃくちゃです。というかもうね、ファンタジーを通り越して、ホラーなんです。主人公が何を考えているのか、何をしたいのかが観ている側にちっとも伝わってこなくて、泣いたとか言う人たちは、どうしてこの主人公に感情移入できるのでしょう。「『彼の苦痛を癒せ』というお告げが聞こえたぞ。彼の苦痛、彼の苦痛、彼っていうのは誰のことだろう、うーむ」となって、なんで「ああ、あの作家のことだ」となるのか。観も知らないような人間が苦痛を感じていると、なぜあんなにまっすぐ、思い込めるのか。
d0151584_028124.jpg

 話の推進力がすっごく弱い、というか、どうしたいねん結局、というのが見えない。これでいいならいくらでもお話がつくれます。抽象的で中身のないお告げを主人公に聞かせて、それを主人公が勝手に独自に解釈して、それをなぜか妻や子供は理解してくれて、実際やってみたら話が展開する。それでいいのでしょうか。ここで妻や子供がまったく理解してくれず、彼のもとを去っていたら、ぼくはまた違う感想を抱いたと思うんです。そうなっていたら、これは呪いの話として成立します。でも、訳のわからないお告げを聞いて家族も理解して超ハッピーって、何なんでしょうかその話は。

 でね、でね、結局畑を削って仕事もしないでいるから、「土地を売らないと差し押さえになるぞ」という話になるんです。そりゃそうだ、あほらしい、こんな訳のわからない野球場は潰れろ、と思いながらこちらは観ています。するとです、どうしたことでしょう、娘が言い出すのです。「この野球場にたくさんの人がやってくるよ、彼らから見物料を取ればいいよ」みたいなことを。
d0151584_0261652.jpg

 そして、実際にたくさんの人がやってくる描写で、映画は終わります。
d0151584_0262779.jpg


 なんでたくさんの人がやってくるんだ!

 もうぼくは大嫌いです。家族どころか、この映画の世界全体で主人公を甘やかしているのです。たくさんの人がやってくる、その合理的説明がもう、一切ないんです。アマゾンのレビウで絶賛系のものを観ると、「夢は強く思い続ければ実現する」だの「希望を持つことの尊さが伝わってくる」だの書かれています。さっぱりわからない。この映画はだって、この映画はだって、電波的なお告げを聞き、他の人にはまったく理解できない行動を取り続けていたら、みんなハッピー、という恐るべき話ですよ。そういう意味で言うと、なんかね、「癒し系」っぽくて余計嫌です。君は君のままでいいよ、君の思うままに生きてご覧よ、そうすればいつか幸せになれるから、的なにおいがします。「癒し系」が好きな人はこれを褒めるんじゃないですか。「お告げ」っていうギミックも、スピリチュアルっぽいし。癒し系のスピリチュアルムービーですね。
d0151584_0264447.jpg

d0151584_0265829.jpg

父親の話だって、なんか思い出話として語っているだけなんです。こういう思い出がありました、と語られるだけの親子の話で、どうして感動できるのでしょうか。最後に父親がでてきたって言われても、若いし、父親に見えないし、どの目線で観ていいのやらぜんぜんわからないし。

 いやー、こんなにも、ぜんぜんわからない映画というのも珍しいです。映画賞も取っているし、絶賛している人も多いようですから、きっとぼくが決定的に見方を誤っているのでしょう。だから教えて欲しいです。どこが泣けるのか。こんな甘やかし癒し系電波ムービーで大の男が泣くってのは、一体どういうことなのか。
[PR]
by karasmoker | 2010-11-24 00:29 | 洋画 | Comments(4)
Commented by douso at 2010-12-16 23:59 x
はじめまして。
私も管理人さんの意見に同感で、物語的によく分からないし、ケビン・コスナーは完全に頭のおかしい人に見えます。
しかし、この映画を見るとなぜか号泣してしまうのです。
この映画の中の考えの流れとしては「失われた時間・場所」→「歴史・文化との一体化」ということだと思うんです。こう言うタイプの映画は思いつく限りだと「アメリカン・グラフィティ」や「プリティ・リーグ」なんかがありました。ベトナム戦争ということで言えば「フォレスト・ガンプ」もそうかもしれませんし、「アメフト」を通じてそれを描こうとしたのは(成功とは言い難いですが)「エニイ・ギブン・サンデー」なのだと思います。
前述の「プリティ・リーグ」のエンディング、野球殿堂博物館に飾られているトム・ハンクスの写真なんか象徴的ですが、「ベトナム戦争」や「野球」といった歴史の浅いアメリカの神話に良くも悪くも巻き込まれていってしまう、あるいはその中でしか生きることが出来ない人たちを見ると私は涙してしまうのだと思います。夢とか希望に涙するのではなく。

駄文失礼しました。
Commented by karasmoker at 2010-12-20 23:47
コメントありがとうございます。ぼくにはない泣きポイントでございます。
Commented by 東王子 at 2014-06-01 16:53 x
貴方に完全に同意です。
完全にオカルトです。
別に醒めた眼で見ようとしているわけじゃありません。
そういう目線で見てないのに「いや、怖いだろこの映画」と強く思いました。
「こういう映画を良い映画だと思う自分が好き」な人たちがこの映画を絶賛しているんだと思います。
そういった人たちは私の中で最も恥ずべき存在です。
曇りなき眼でこの映画を見ましょう。
ただの電波映画だとわかるはずです。
Commented by karasmoker at 2014-06-14 00:46
コメントありがとうございました。
←menu