『(500)日のサマー』 マーク・ウェブ 2009

クールな恋愛と甘い失恋。これくらいがちょうどいいのであろう。
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 原題は『(500)days of Summer』で、「サマーの500日」ですが、邦題はなぜひっくり返したのでしょうか。何か意味をこめたのでしょうかね。サマーというのは登場人物の女性の名前です。サマーという女性に惚れた男が主人公のラブストーリーです。

 ラブストーリーです、と書きましたが、脚本家は冒頭で、「ラブストーリーじゃない」と言明します。なんでも実体験のふられ話をもとに創作したらしく、かなり思い入れがあるのでしょう。「ラブストーリーなんて、そんな甘いもんじゃねえんだ、俺にとっては」みたいなことなのでしょうか。

 そうは言いつつやっぱり客観的に分類すれば恋物語です。でも、これをデートムービー的に観るとあまり楽しくないでしょうね。少なくとも大学生カップル風情、特に男のほうが映画通気取って二人仲良く観たりしたら、鑑賞後なんとも言えぬ気分になったりして、ろくろく感想もまとめられず、「洋服がかわいい」とかそんなことなんかを語るほか無いでしょう、アホみたいな顔で。
  
技法としての面白さは大きく、それで飽くことなく観られたという感じです。主人公トムがサマーを見つめて過ごす500日間なのですが、時間が前後に行ったり来たりします。めまぐるしく過去と未来に移り変わっていき、観る側に小さな刺激を与え続けるのです。たとえばこれが時間経過通りに進んでいたら、ぼくは途中で観るのをやめていたかもしれません。別にそんなに変わったことも起こらないカップル話ですから。でも、ワンシーンに拘泥せずにちゃっちゃちゃっちゃと思い出を駆け巡っていくので、なかなか楽しい感覚を得られます。
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 時間軸ばらしもの(たとえば『現金に体を張れ』とかタランティーノ初期作とか、日本映画だと内田けんじとか)の面白さとも違います。あれは複数の人物がばらばらに動いて、ああ、ここがこう繋がるのか、という話ですが、そういうものでもないですからね。人が己の過去に思い巡らすとき、それは決して時系列順ではない、というのを本作はうまく表現しています。いくつもの出来事の連想が絡まり合って、ぐちゃぐちゃになりながら頭の中をぐるぐるぐるぐる、というのが記憶であって、その記憶の形状をうまく落とし込んでいるからこそ、このように楽しい映画になったのでしょう。短い期間でありながら、山あり谷ありの長い人生と見えてくる。二時間という尺に見合っている。
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 技法的な快楽で言うと、あのスプリットスクリーンですね。現実と妄想を二画面で同時進行させるのですが、微妙な違いが面白い。その中でも、入り口でのやりとりがいちばん見物でした。パーティにやってきたトムをサマーが玄関で出迎えるのですが、妄想の世界では入り口で長々とむつまじく立ち話をするんです。でも、現実ではさらっと中に案内される。そのとき、現実と妄想の進行が合致するんです。ううむ、言葉で説明するとちょっと長くなりそうです。まあ、観てみるといいでしょう。スプリットスクリーン自体は好きな技法ですが、今まで観た中でもいちばんくらいにうまく活用している気がしました。二つの出来事を同時進行的に描くのがスプリットですが、それを現実と妄想で描いたのは、コロンブスの卵です(何か前例があるのかもしれません。教えてください)。

 さて、中身についてですが、これは男女で分かれるのでしょうねえ、見方が。ただ、この映画はあくまでもトムに寄り添い、ずっとトム目線なのであって、サマーの気持ちがぜんぜんわからないようにできています。男のぼくからするとそうなのです。だから自然とトムに感情移入できるのであって、その辺のつくりもうまいです。で、トムの設定もいいですね。グリーティングカードの会社でコピーを考える仕事で、仕事もちゃんとやっている。普通に、うまく生きているぼんくら。これはこれで汎用性の高い設定です。トラヴィスやロッキー、パプキンやサンフンに魅せられてきたぼくからすると距離があるんですが、こういうトムみたいなやつもいっぱいいるでしょうからね。だから実は大学生の頃に観るといいかもしれません。なんとなく、世界も世界観もほわほわしている頃に観ると、何か感じ入るものがあるかも知れません。

 うん、基本的には結構距離を置いて見続けました。というのも、サマー役を演じたズーイー・デシャネルがぼくの好みではぜんぜんなかったからであって、その点はトムに移入できなかった部分です。これが好きな女優だったりしたらもっと気持ちが入って観られたんでしょうけどね。トムの傍に寄り添うけど決してトム自身ではない鑑賞者、ぼくとしては、「なんであんな女にそこまで入れ込むのだ?」とも思うし。でもまあこれはこれでリアルですからいいです。うん、美人度がリアルなレベルです。

 で、これがまた汎用性の高い部分だと思うんですけど、そんなに入れ込んではいないんです、実は。やっぱり愛は狂ってなんぼだ! 狂い、溺れ、壊れ、その窒息感こそが醍醐味なのだ! という極端な恋愛観を持つぼくとしては、この映画を観ると、ああ、うん、その程度なんだろうね、その程度で幸せと不幸をかみしめて生きていくのだろうねとも思ってしまい、「微温やのう」と呆れる部分もあります。でも、なるほど世間で言う恋愛とはおそらくこれほどのものだろうな、と勉強になります。狂ってはいけないのです。仕事に恋に、きちんとやらねばならないらしいのです。

 ちょっと村上春樹っぽい感じもするんですよね。うん、村上春樹との親和性は高いかもしれないです。トムはこの後の人生でも、勝手に酔いますから。サンドウィッチとかをつくるでしょうから。
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 冒頭、脚本家が実際の元恋人にぶつけるような言葉として、「Bitch!」と出てきます。つまりこの映画におけるサマーは、ビッチな存在として描かれているのでしょう。でも、ぼくにはビッチというのがよくわからないです。小悪魔、悪魔的な部分があるのでしょうか。だとするとそれは薄い気がします。ああいうもんやろ、とも思うし。でも、ひとつがっかりしたのは、ラスト近くのサマーの台詞です。サマーは結局トムを振るのですが、そのすぐ後で別の男と結婚するんです。そのきっかけをトムに問われると、サマーはまったく馬鹿みたいなことを言うんです。
 要は出会ったきっかけはナンパなんですけど、それを「運命だ」みたいに言い出すのです。ちょっとでも遅れたり、別のカフェに行っていたりしたら出会わなかったかも知れないのに出会ったの、会うべくして出会ったのよみたいなことを言うんです。ビッチとかじゃなくて、ぼくはこのサマーのあっさい運命観に心底がっかりしました。ああ、こんなに馬鹿なことをいうやつだったのか、という徒労感がきついです。でも逆に、ああ、こんなに馬鹿なことをいうやつだったのか、くだらん、ふっきれるわ、とも思いますから、癒し効果もあります。
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 これはいろいろ語りがいがある映画です。まあ、基本的にぼくにはどうでもいいですけど。中途半端なようですが、まあ、こんなところで。
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by karasmoker | 2011-03-05 01:31 | 洋画 | Comments(2)
Commented by little pow at 2011-03-17 20:57 x
おひさしぶりです。
地震ひどいですねぇ…karasmokerさまがご無事なようでなによりです。

>>「なんであんな女にそこまで入れ込むのだ?」
僕の予想なんですがこれはたぶんサマーがスミスを好きだったからだと思います。スミスというバンドは80年代英国のバンドで「ブサイクでモテなくて友達いなくて仕事がなくて貧乏で未来すらないけど自意識過剰でナイーブな俺」について歌い、同じ境遇のワーキングクラスの若者に絶大な支持を得ていました。
エレベーターで聴いていた曲の歌詞も「君と一緒に死ぬことくらいしか希望がない」という内容です。

http://www.youtube.com/watch?v=tps_LquVMEE

トム自身もスミスに夢中になってしまうような疎外感を味わって育ってきた人間なのではないでしょうか。だからこそ魅力的な女の子が、スミスみたい暗い音楽を好んで聴いていることに衝撃をうけた。同時に「彼女も自分と似た境遇だったんじゃないか」と親近感を覚えた。だからサマーにあんなにも夢中になったのだと思います。
実際スミスファンの男子だったら女の子に「私もスミス好きよ」っていわれれば間違いなく恋に落ちると思います。僕がそうなんで(笑)
Commented by karasmoker at 2011-03-18 00:02
コメントありがとうございます。話題と言えば地震をおいて他になしの現在ですが、地震に関してはあえて一切の言及を控える人間なのでございます。

『(500)日のサマー』を観て、自分がいかに恋愛戦線から遠ざかっているか、思い知らされたのでございます。普通一般における、「人が人を好きになる」という感覚自体が、なんだかよくわからなくなっているのでございます。ひねくれ、ねじくれ始めているようで怖いのであります。

 洋楽は一切わからないので、教えてもらってありがとうございます。ぼくはおそらくかなりひねくれているようであります。ぼくが仮にスミス好きであり、女性に「私もスミス好きよ」と言われた場合、little powさんのようにそれを悦ぶのでなく、「おまえなどにこの哀しさがわかるものかよ」などと思ってしまいそうなのです。

本当の「疎外感」とはつまり、「共感を悦ぶ心の欠落」なのかもしれないと、ふと思ったのでありました。 
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