『パッチ・アダムス』 トム・シャドヤック 1998

笑い、その生の圧倒的肯定。
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nekoさんに薦めてもらい、観ました。ありがとうございました。
 
君のその小さな手には 持ちきれないほどの哀しみを
  せめて笑顔が救うのなら ぼくはピエロになれるよ

と唄ったのはさだまさしですが、本作はまさしくその実践を描いております。これは実在の医師であり、「ホスピタルクラウン」であるハンター・キャンベル・アダムス、通称パッチ・アダムスという人の伝記映画であります。現在は65歳で、今もなお世界中を回って活動し続けているそうです。
「ホスピタルクラウン」なる存在をどれくらいの人が知っているのでしょうか。ぼくもこの映画を観るまで知りませんでした。「病院で活動する道化師」のことであり、患者たちに笑いをふりまき、心身に渡るケアを行っているのだそうです。

いやはやなんとも重要な作品、重要な存在を見逃し続けていたものだなあと思います。笑いの聖性、尊きものとしての笑い。ぼくは笑いについて考えてきた人間ですが、これを見落としていたのは不明を恥じるばかりであります。

 ロビン・ウィリアムス扮するアダムスは冒頭、精神病院に入院します。そこでの出来事をきっかけに医療に目覚め、医学の道を志すようになるのですが、彼は他の医学生たち、あるいは医師たちと異なり、病院の入院患者たちに「笑い」をふりまこうとし始めます。周りの人々はその振る舞いを「ふざけている」と見なし、反発したり否定したりするのですが、彼の活動は次第に多くの人々の支持を得るようになっていきます。
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ひとつの映画、物語として考えたときに、このようなスタイルは日本のドラマでも幾度となく用いられています。もっぱら学園もので多いですね。型破りな教師がやってきて彼独自の方法で困難を乗り越え、生徒たちとの絆が生まれてうんぬん、というやつ。あのようなドラマにはやはり絵空事感、あるいは宗教にも似た狂信性がつきまとうわけですが、本作はそうしたタイプとは一線を画し、あくまでも「笑いで人を救う」ことについて一貫しており、その姿はだからこそとても胸打つものなのでした。

 笑いは人を救えるか。などと書くといかにもおおげさでありますが、劇中語られる言葉はまさしくぼくの信ずるところと合致していました。いわく、「笑いはたとえ一瞬かも知れないけれど、人を輝かせる」
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この笑いの一瞬性。まるで花火のごとき刹那のきらめき。でも、その残像が目に焼き付いたなら、人は生を肯定しうる。絶望的な状況に置かれた人間を、結局その人を、救えないかも知れない。その人をずっと支え続けるなんて、土台無理な話かも知れない。でも、ほんの一瞬ならば、救える。笑いは、一瞬だけすべてを越える。その一瞬に魅せられる。

 劇中、アダムスは多くの人々の前で道化を演じ、笑顔をもたらします。そのひとつひとつはとても感動的です。「馬鹿げている」。映画内で対立的存在として登場する医学部長はそう言ってアダムスを目の敵にしますが、彼はめげずに笑いをもたらし続けます。その姿は、どうしたって素晴らしいのです。これね、学園ものドラマとかだとね、「友情の大切さ」とか「絆」とか「ひとつの目標に向かって団結する素敵さ」とかに行きがちじゃないですか。それとはぜんぜん違うわけです。いや、それはそれでいいのかもしれないけれど、「笑い」に魅せられる人間からすると、このアダムスのほうがずっと格好いいです。

 映画の中で特に好きなのは、末期の患者や老人を笑わせようとするところです。子供を笑わせる場面が出てきますが、おっさんやおばはんが相手のほうがぼくはぐっと来ます。日本でも「日本ホスピタルクラウン協会」というのがあるらしいのですが、どうやら「長期入院の子供たち」を主眼にしているようですね。もちろん、子供たちを笑わせるのも尊いのですが、ぼくは心を頑なに閉ざしてしまっている大人のほうにほろりと来るんですね。
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 特にこのご時世、子供は大事にされますよ。子供は可愛がるべきもの、大切に育てるべきものの象徴みたいなもんです。反面、世をすねたようなおっさんとか、正直もう何の希望もないようなおばはんとかは、放っておかれるんですよ。でも、そういうやつだからこそ、笑顔が見られたらぐっと来ます。ちょっとずれますが、『オトナ帝国』でチャコがヒロシにパンツを見られたとき、恥ずかしがって、ヒロシを睨みます。そこでヒロシは言うわけです。
「やっと人間らしい顔になったなあ! いいじゃん!」

 この、「おまえ、生きてるじゃねえか!」という悦びがあるわけです。これまたちょいとずれますが、イーストウッドの『グラン・トリノ』でいちばん好きな場面は、彼が隣人の女の子に誘われて隣家に飯をお呼ばれに行く際、「まあ、今日は誕生日だからいいか」とつぶやくように言う場面です。愛妻に先立たれ心を閉ざしていた老人が、ふと氷を溶かすあの一瞬。ああいうのに、ぼくはぐっと来てしまうのです。

 話がまだまだずれこみそうなので引き戻しますが、この映画、あるいはアダムスの活動がすごいのはひとえに、医療と笑いという、「生の肯定」を結びつけたところなんです。やっていることは違うし、できることもまるで違うけれど、向いている方向はつまり、生を圧倒的に肯定すること。絶対的に肯定すること。
「病気で苦しんでいる人がいるのに、不謹慎だ」とか「おどけて笑いをふりまくなんて医師のすることじゃない」とかいう言葉よりもずっと響くのは、そういうことなんです。
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 で、これまた「破天荒・型破りもの」で珍しいのは、アダムスがとても優秀な成績を収めていることですね。よくあるのは、「勉強なんかできなくたって」みたいな感じで、とにかく勢いでまいちゃうパターンです。あの松本人志によるドラマ『伝説の教師』でも、結局彼の役どころは、「免許もないし勉強もろくに教えないけど、いい先生」的なものでした。ところがこのアダムスは、誰よりも勉強ができるのです。これも好きな部分ですね。めちゃくちゃなことを言うてるけど、やるべきことはやっている、というのがいちばん格好いいわけですから。

 格好良すぎるくらい格好いいんです。偉業を成し遂げたとか、大変な苦難に打ち勝った人の話というのも素晴らしいですけど、この人の生き方には、ひときわ胸を打たれるのでありました。

本物のパッチ・アダムス
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by karasmoker | 2011-03-15 19:40 | 洋画 | Comments(5)
Commented by 新潟@美容院 at 2011-03-20 10:39 x
はじめまして!寒くなったり暖かくなったり大変ですが、体調管理に気をつけてくださいね☆応援しています。
Commented by karasmoker at 2011-03-20 19:05
ありがとうございます。
Commented by suzume at 2011-03-29 17:48 x
「命の輝きだなんて、ちょっとあざとそう」ていうゲスな先入観だけで何となく見過ごしてました。
ご評を拝読し、胸打たれました。

元々、人の生き死にに「笑い」が入ってくることに「不謹慎」の三文字がつきまとうことの多い日本です。
まして東北の地では3万にとどかん数の尊い命が失われ、原発事故も重なりたくさんの方々がすみかを失いました。
そのことを思えば思うほど、「今、生きて、笑えること」が何となく申し訳なく感じてしまうのです。

でも考えてみれば、悲しいときに悲しい顔を、辛いときに辛い顔をすることなんてみんな当たり前に出来ることで、本当に強い人っていうのは「目の前の辛さ、悲しさは百も承知の上で、それでも笑える人」ですね。
言い換えれば、笑いこそ目の前の辛く苦しい現実への人間が用いうる唯一のカウンターパンチなのかもしれません。

RHYMESTERの「そしてまた歌い出す」を借りて言うならば「歌ってる場合ですよ」ならぬ「笑ってる場合ですよ」なのでしょうね。

…とまあ、観もしない内から長文失礼いたしました。
今度TSUTAYAで借りてみます。
Commented by karasmoker at 2011-03-30 01:42
「不謹慎」うんぬんの言葉には常々違和感を覚えます。それを言うなら震災以前の社会にだって苦しんでいる人は大勢いたし、震災以前の世界にもたくさんの悲しみが満ちていた。震災が起ころうと起こるまいと、飢えと病に苦しむアフリカの人々がいて、圧政に苦しむ国の人々がいて、紛争に巻き込まれた無辜の人々がいた。

 彼らのことを思えば、ぼくたちはずっと不謹慎だったとも言える。そしてこれからも、ずっと同じだ。なのにいつしか、ぼくたちはそのことを忘れる。今年花見をとりやめた連中は、きっとその分、来年にはしゃぐ。来年になっても、苦しみ続ける人はいるだろうのに。来年になって、被爆の影響があらわになる人もいるだろうのに。

 そう考えれば、衣食住の満たされた我々の振る舞いなど、土台ものみな不謹慎でしかありえない。ある行いが不謹慎かどうかなどは、当人が恣意的に決めることでしかありえない。

 であるならば、いっそのこと今ある生を言祝ごう。生きていることを悦ぼう。この世の中はいつだって哀しいことばかりだ。だからせめて、笑うことを許そう。笑うことによって、この一瞬を乗り切ろう。

Commented by karasmoker at 2011-03-30 01:49
追記。なんだか熱くなって敬語を忘れていました。最近は宇多丸のラジオを聴いていなかったので、新曲を知りませんでした。ありがとうございます。とてもいい曲ですね。

 それと、今日現在判明している死者は11168人で、行方不明者が16407人ですので、「命が失われ」たとわかっているのは30000人よりずっと少ないのです。この辺の言い方には細かくありたいと個人的に思っています。行方不明でも、まだ、生きているかもしれないじゃないですか。

 揚げ足をとっているわけでないことをご理解ください、念のため。
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