『アンチ・クライスト』 ラース・フォン・トリアー 2009

もやもやもやもや。
d0151584_2372994.jpg

宇多丸さんが『映画秘宝』で2009年ベストワンに挙げていた作品で、日本公開が長らく待たれていた本作は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『ドッグヴィル』などを手がけたラース・フォン・トリアー監督作。アット新宿武蔵野館。

『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が好きだ、という人は結構多い気がします。特に女性の支持率が高いのではないでしょうか。そんなせいもあってか結構カップルの客が多くいましたね。『アンチ・クライスト』は内容的にはまったくのアンチ・デートムービーだったと見受けるのですが、アンチ・デートムービーこそマイムービー。どう受け止めていいやらもやもやの溜まる映画でございました。

 ここにも幾度か書いておりますが、ぼくはキリストよりも悪魔に惹かれる人間です。考えるに悪魔の本質は「悪」でも「魔」でもありません。そうしたイメージはもっぱらキリスト教徒によって喧伝されてきたわけで、言ってしまえばキリスト教を善とするために設定されたに過ぎない。あくまで一方的な印象付けです。
 では悪魔の本質は何かと言えばこれひとえに、「反抗」なのです。信仰に従わないもの。意思を持って抗うもの。自分の頭で、考えようとするもの。それが悪魔なのです。その意味においてぼくもまたアンチ・クライストな野郎であって、このタイトルを目にしただけで観に行きたくなったのでした。

 さて、いざ観てみると、思っていたのとずいぶん違いました。キリストとか悪魔とかっていうのはそれほど前面に出てきていません。でもこれは非キリスト教圏で生きてきたぼくだから思うのかも知れず、信仰する人たちにしてみれば十二分にアンチ・クライストな内容なのかも知れません。

 内容はと言えば、ウィレム・デフォーとシャルロット・ゲーブルの夫婦が、森に出かけておかしくなっていく話です。不注意のためにわが子を亡くし、深い失意の底に落ちた妻を救おうと、森へ行ったらさあ大変、という話です。冒頭の赤ちゃんを除けばこの二人しか出てきません。途中からずっと森の中です。

 監督が「自身が鬱病から立ち直るためのリハビリ」として台本を仕上げたらしく、『ドッグヴィル』『マンダレイ』的なテンポのよさとは対極にあり、だるいといえばだるいです。妻の想像を描いた森の中のシーンみたいなのがあって、「これはなんか意味があるんだろうしあとあとのフリとして効いてくるのかもしれないけど今この瞬間としては結構しんどい」というのがそこそこあります。ぼくの苦手なデヴィット・リンチっぽさも随所にありました。生き物のグロテスクさの切り取り方とか動物のシュールな配置とかはリンチ的だと思います。それがこっちになんか言ってくるのとか、それをじっと見つめるデフォーの表情とか。

 基本的な筋立てとしては、妻の精神を快方に向かわせようとしたのにそれが裏目に出てひどくなって、みたいな方向なんですけど、なんで妻が森を苦手だと言ったのかがまずよくわからないです。で、夫が「苦手だったらむしろ乗り越えよう」的なノリであれこれやらせようとするのもよくわからないです。正直に白状しますが、よくわからないところが相当にあるのです。「だから何なのや」というのもあります。

 ぼくは基本的に、構図があってその上を登場人物が動く、みたいな形が嫌いなんですね。やっぱりそいつらの人間的な部分とか、人情があってから行動してもらわないと気持ち的についていけなくなるんです。これは何々の象徴とか、何々の意味であるとかっていうのを聴けば、ふうむ、そうなのか、いやはや不勉強だったことであるなあ、とは思いますけれども、一方で、人間は象徴や意味を表すための駒なのかい? とも思うのです。

 人間くささ、みたいなもんをぼくはどうしても求めてしまうんです。この映画にそれを求めても仕方ないのかもしれないけれど、でも、それこそ宗教的なものってのは、ある意味でいちばん人間くさいものでもあるんです。何かにすがったり、それに振り回されたり縛られたり突き落とされたり。確かにこの映画は抱きしめあい憎しみあい傷つけ合っているんですけど、どうやってもむきだしになっていない気がしてならないんです。ああ、もうこいつらはこうなるしかねえなあという哀しさがないというか、ううむ、どうもしっくり来る言い方ができないんですけども。

 本作でよく言われるショックシーンがあって、その代表が女性器を切る場面です。モザイクがかけられて残念、とかいうけどそれはぼくはひとまずどうでもいい。ああいうのもね、ああ、こいつはそりゃ女性器を切るにいたっちゃうよ、と思えないと、ショックにならないんです。なるほど、映画を何十分と観てきたけど、おまえはそりゃその状況で女性器切っちゃうよね、ああ、でもそれは嫌だな、観たくないな、と思えなかったんです。エデンだのアダムだのイヴだの魔女狩りだの女性性嫌悪だの何だのと言葉を尽くせばいくらでも説明できるでしょうけれど、この映画を観て、「なるほどあんな状況なら女性器切っちゃうよ」と素直に率直に思える女性が、果たしているのでしょうか? 狂っていればオールオーケーなのか? 何かを象徴しているからいいのか?

 ……………いや、いろいろ書いたんですけどね、しばらく文章の続きを考えていたんですけど、いろいろ書いたくせに、そのうちもう一回観たくなるんじゃないかなって気はしているんです。なんというか、ちゃんとわかったうえで面白くないっていう感覚ではぜんぜんないんです。ちゃんとわかっていないな、という自覚があるんです。だからもっとエイガミレベルが上がってから観てみれば、おそらくもっと違う感想が出てくるような気がするんです。わからんけどおもろい、わからんけどがつんとくる、という映画もあるんです。そういう映画はすぐにもう一度観たくなるわけで、『息もできない』がそうでした。『アンチ・クライスト』はすぐにもっかい観たいわけではぜんぜんないけれども、そのうちまた観て、このもやもやを晴らしたいとは思うんです。こういう感触を与える映画はそうそうないです。事前知識なしで観たので、いろいろ考えをめぐらすのにやっとだったという感も否めず、受け止め切れていないということだけはっきりとわかるのです。

 自分にはこの映画がよくわかったぞ! という人にはぜひ教えを請いたいものです。教えてくれた人には些少ですが「100ナニサマ」ほど差し上げます。なお、100ナニサマは持っていても使い道はまったくないので、その点はご了承ください。
[PR]
by karasmoker | 2011-04-05 02:38 | 洋画 | Comments(4)
Commented by ziming at 2011-05-03 00:21 x
はじめまして。
第9地区で検索していて辿り着いたのですが、面白い映画評を書く方だなぁと思い、色々過去記事を読ませて頂いているうちにこの記事に行きつきました。
「よく理解できた!」とは微塵にも思わないのですが、おそらく私は少し違う感じ方をしました。何かのヒントにでもなれば幸いです。

まぁ私もキリスト教徒ではない、普通の日本人ですので、「アンチキリスト」という部分はハッキリ理解出来ませんでしたが、主演の男性(ウィレム・デフォー)を序盤までキリストの様に描いている様に思えました。
キリストというのは人々を赦しまくった人だと聞きました。ウィレム・デフォーも最初は暴力を振るう妻に対して怒らず(=赦す)、優しく介護していました。このあたりがウィレム・デフォーをキリストに見せていた様に思えました。
キリストは最後まで人を赦していたと聞きました。裏切ったユダはおろか、拷問をした人に対しても赦しを乞うたそうです。しかし、ウィレム・デフォーは逃げ出して、最後には妻を殺してしまいました。「どんな優しい人間でも限度を超えればこうなる。」という部分が私は「アンチキリスト」なのかなぁと思いました。

続く
Commented by ziming at 2011-05-03 00:22 x
ですが、最後に数多くの顔がない女性が出てきたことから、私はこの映画のテーマは「女性の本質」なのかなぁと思いました。

序盤で妻が鬱になって苦しんでいる場面をだし「あなた方は、女性は"か弱い"生き物だ。子供が死んだショックでこんなにも苦しむ生き物だと思っているでしょ?」と説明し、後半で暴力的な一面や、子供が窓に近づいていっているのを知っていながら性交を続けた面を見せ「女性とは、本当はこういう生き物なんだよ。」という監督のメッセージのほうが強く感じられました。それ故、映画祭で大騒ぎになったのかと思いました。
序盤、「男性=悪魔」的なのがあったと思うんですが、段々ウィレム・デフォーが謎を解いていくうちに「本当は女性=悪魔」という風に変わってきたと思います。この辺もひょっとしたら「キリスト」的な何かの暗喩なのかもしれませんが、私は解りませんでした。

「ドッグヴィル」「マンダレイ」を見て凄いと思い、迷うことなくこの映画を見に行ったのですが・・・私はこの映画は二度と見ないと思います。あまりにもしんどかったので。この監督の新作は見に行きますけどね。

初めてなのに長文失礼しました。
これからも頑張ってください。
Commented by karasmoker at 2011-05-03 06:27
コメントありがとうございます。
この映画について語るのはかなり大変ですね。キリスト教的な文脈についてもそうだし、一度観ただけですっといろいろわかる類のものではなさそうです。ストーリーだけ取り出せば難しくないのに、いざこの映画について明かしてみよと言われると言葉に詰まる。
 ぼくの場合、要は勉強不足ってことなんですけどね。
Commented by メビウス at 2015-06-09 22:56 x
初めまして。
ラースフォントリアー監督の「メランコリア」「ニンフォマニアック」を先日観てから、どっぷりとはまってしまい今回「アンチクライスト」を観てこちらに辿り着きました。
今頃って感じですがすみません(笑)

実は2度観ましたがとても考えさせられる内容で、
未だ解釈が仕切れていません。。。
いろいろな事を多くの方が書かれているのですが
私はタイトルの「T」が「♀」の記号になっているが
すごく気になっていました。

キリスト教のことも歴史的なことも良く分かっていないのですが、私が感じたのは実は「女性が女性であることの嫌悪」なのかもしれないと思いました。
と同時に「私も男になりたいわ」=男だったらなぁ
みたいな願望があるのかもしれないと感じました。

それはクリトリスを切ったところで感じました。
そして女性として性を排除することで女性を止めただの母親に徹する贖罪でもあったのか・・・
とも感じてしまいました。極端ですが男性になったらどんなに気が楽か・・・みたいなこともあるのかなと。

この時代になってもまだ女性は軽視されているかつての次代背景は薄れていないと感じている私の偏見もありますが、つまりこの作品は女性として生きていく生きに辛さから女性が女性を嫌悪している作品なのかと思ってしまいました。

←menu