『カプリコン・1』 ピーター・ハイアムズ 1977

細かいところも気が利いている、アメリカ映画変容期の傑作。
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ある意味でとてもタイムリーな映画を取り上げます。火星が出てくる映画だなと思っていたのですが、ところがどっこい、火星は一切出てこないのです。なんでだ! カプリコン1は宇宙へと飛び立ったはずなのに! と言いますのも、実は計画の失敗が打ち上げ前に発覚していたからです。でもいざやると言った手前それも公表できず、ならば火星に行ったように見せかけてやれ! というお話です。アポロ11号の月面着陸捏造論がもととなっているのでしょう。
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 アポロ11号はさておくとしても、ネットがなかった頃はこういうことが大なり小なり多かったのでしょう。世の中の情報をすべてマスコミが握っている時代であれば、マスコミが報道したことが「事実」として歴史に刻まれる。今でこそ「情報は吟味すべきもの」という時代ですが、そういう認識が緩かった時代が長く続いてきたわけで、一度広く流れてしまえばそれは拭いがたい「事実」となる。「闇に葬られる」とはよく言ったもので、生き方をまかり間違えば、まさしく探し出しようのない闇の最中へ、ぽいと捨てられてしまう。

 東電と記者クラブの話につなげようと思ったけど無駄に長くなるのでやめる。

 さて、『カプリコン・1』です。火星のセットを組み、火星に降り立ったように見せかけに成功、しかし、その宇宙船が帰還時に爆発(言葉で書くとややこしいのですが、一応打ち上げは実際にしているのです。でも乗るはずだった宇宙飛行士三人を離陸前に下ろしているわけで、無人機を飛ばしていたわけです。世間には有人探査機の火星着陸として発表しているので、嘘をついている形になります)。こうなってしまうと、ひとつ困ることが生じます。三人の乗組員が今も生きている、このことが明るみに出れば、すべて茶番だったことがばれてしまうのです。彼ら三人には、「科学の進歩の途上における、尊い犠牲」を演じてもらわねばならない。平たく言えば、「闇へと葬られる」必要があったのです。もっと直接的に言えば、「死んでもらわねばならない」のです。仮にそうでなかったとしても、二度と家族に会うことは許されない。社会的に、その存在を完全に抹消されるわけです。
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 なんてことだ! そんなわけに行くかい! というわけで乗組員は軟禁場所を抜け出して小型飛行機を強奪。荒野へと逃げ出します。さあ、彼らの運命やいかに。

 前回も書きましたが、アメリカの広大なる国土は「映画という作物が育つ最高の土壌」であります。観る前はSFを期待していたのですが、果ての見えないあの荒野を徒歩で挑めば宇宙に匹敵。生きるためにはスネークイーター!
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 主軸となるのは逃げ出した三人と、捏造に感づいた記者です。この記者は一人で真実を求めゆくのですが、彼にも闇の手が伸びます。車に細工をされ、ブレーキが利かない。このくだりは白熱します。この映画のいいところは、おかずとしてのアクションをしっかりと入れているところです。やっぱりなんだかんだ言っても、おかずのアクションは大事です。アクションというのはそれだけで人を引きつけるのです。思えば子供の頃、自分はウルトラマンになるに違いないと信じていた頃、カセットテープでテーマ曲をかけ、全身で躍動していたものです。仮面ライダーのエンディングでも、「見終わったから遊びにいこうよ」と友達に言われても、「いや、自分は将来仮面ライダーになるので、日課たるキック、パンチの練習を欠くことこれならない」として、エンディング曲をバックに飛び跳ねていました。

 アクションシーン、特に絶体絶命のシーンなどは、それだけで登場人物に感情移入させる効果があるのですね。その人物が確かにそこにいる、という感じがして、いつしか彼や彼女に入り込んで物語を進んでいくわけです。本作は随所にそれがあって大変満足しました。テンポもいいです。

 なおかついいのは、あの記者が捏造逮捕されるところです。FBIがやってきて、彼の家の小瓶に彼の目の前で麻薬を混入。そして「麻薬所持で逮捕する」とこういうわけです。これは最悪です。というか、こういう手を取られたら一切やりようがありません。単純な話、権力のある人間が敵をつぶそうとすれば、ただこれだけの手管でやれちゃうのです。検察のサイテーさが方々で言われますが、これはなんというか、もう絶対にやっちゃ駄目なことです。将棋を二手連続で差すようなものです(そんなレベルじゃない)。罪を犯す犯罪者は悪いですけど、もっと悪いのは正義面した人間が自分を正義にしようと無理強いすることです。そうすると正義がぐっちゃぐちゃになりますからね。
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 誰でも言えるようなことを言って先に進みます。
 
クライマックスはこれまたアクション漲る、手に汗握る名シーンです。政府や社会への反抗が70年代中盤までのアメリカ映画の鍵ですが、この映画はそれとアクションの快楽をつないでいてサイコーです。このあたりからアメリカ映画はSF、アクション全開方面の80年代へと連なっていくわけですが、その意味においていえばこの『カプリコン・1』は、アメリカ映画の変容期を表すような作品と言えなくもありません。大人の嘘、SF的未来の嘘を暴きながら、一方ではアクションも取り入れている。アポロ計画捏造論を地でいき、ベトナム戦争後の「アメリカの強さの失墜」(クライマックスではまさに「失墜」)を思わせながら、後々の「それでもやっぱりアメリカは強いのだ」的映画のごとく、空中をぶんぶん飛び回る。SF的未来を否定しながらも、やっぱりSFは面白い! という後々の作品が生まれていく。この時期のアメリカ映画は過渡期です。アメリカン・ニューシネマ、スピルバーグの台頭、『ロッキー』のアカデミー賞受賞、SFアクションの開花、充実の70年代を彩る名作として、お薦めするものであります。
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by karasmoker | 2011-04-19 21:05 | 洋画 | Comments(0)
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