『ヤング・ゼネレーション』 ピーター・イェーツ 1979

あの一瞬があれば、彼らは大丈夫じゃないかな。
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原題『Breaking Away』
 前回前々回とわりと重めだったので今回は軽めに、の予定。
宇多丸さんがオールタイムベスト10のひとつに挙げている作品です。
 アメリカはインディアナ州の田舎に暮らす少年たちのお話です。主人公のデイブ(デニス・クリストファー)は自転車レースに夢中で、イタリアかぶれしております。宇多丸さんはラッパーですが、ラップはアメリカ生まれの代物であり、遠く日本でそれにかぶれた自分自身をこの映画で投影したらしいです。
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 何かにかぶれる、ということはいわば青春期の旨味であります。たとえばぼくは「関西かぶれ」をした人間です。関西に行ったことなんて高校の修学旅行くらいなのに、普段から関西弁を用いること多々でありました。テレビっ子であったぼくはダウンタウンを始め、明石家さんま、島田紳助、笑福亭鶴瓶、その他幾多の漫才師、彼らの笑いを日常的に観続け、あるいはラジオを聴いたりして、似非関西弁を多用したのが十代から二十代前半というところだったのです。ちなみに、芸人の世界では九十年代以降、「ダウンタウンかぶれ」した芸人が数多くいると言います。彼らの提示したお笑いはそれだけの影響力を持ったわけです。

 何かにかぶれる、ということは痛々しいことでもあります。考えてみれば関西圏出身でもないのに関西弁を喋るなんて、大変奇異な言動なのであります。奇異と言えばぼくは大学三年のとき、見るもあっぱれなモヒカンをしていたのであります。インディアン居留地を迂闊に歩いたりしたら、「おまえはなかなか見事なとさかだモヒ」と言われてスカウトされ、彼らと一生をともにしたかもしれません。しかし別にモヒカン族になろうとしたわけでもなく、パンクロッカーに憧れていたわけでもなく、黒シャツに黒スーツを着用しておりました。当時のぼくはなぜだかそれを異常に格好良いと思っていたのでした。しかしそのくせ大学帰りにさもしくも100円ローソンで野菜コロッケとか白身魚フライとかを買っているという、よくわからないやつでした。よくわからないものにかぶれていたのです。
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そんなぼくですから『ヤング・ゼネレーション』の主人公が放つ痛々しさもにやにやしながら観られたのであります。主人公デイブはイタリア人かぶれの言動を父に咎められますが、ぼくなども「関西弁を使うな」と父に注意された記憶があり、親近感がありました。しかし思うに、痛々しさというのは青春時代にとって大事であるなあと感じるのです。何かに打ち込んだり夢中になったりってことは、多少なりとも痛々しいんですよ。そして若いってことはつまり、その痛々しさに自分で気づかないことでもある。でも、すかして何にもかぶれることなく、常に中立的で冷静でいるなんて風になるくらいならば、痛々しいほうがいいです。過去に自分語りを炸裂させていたブログなんて、そりゃあ今読めば痛々しいし、というか痛々しすぎて読む勇気がないんですが、後悔はないですね。そのときはそのときで、自分なりに本気で考えていたのだから。

 すみません、映画の話に入れずに。
 痛々しさを強調しているように読めますが、実際はそこまで色濃く描かれているわけでもありません。むしろ自転車レースに勤しむ姿は素直に格好良くもあって、ああ、こいつは本当に自転車が好きなんだなあ、というのがちゃんと描かれています。こういうのは大事です。やっぱりね、「ああ、本当に好きなのね」と思えると、別に自分が興味のない分野であっても、しっかり観られるんですよ(『ブラック・スワン』はそこが希薄だったと思うんですね)。で、この自転車ってのがメタフォリカルですよね。自転車って、止まれば倒れるんです。だから、自分は止まれないんだっていう思いがそこにある。自分を支えてくれるのはこの自転車なんだってのが伝わる。これが貫かれているから、クライマックスは大変熱のこもったものになりました。
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そんな彼が、憧れのイタリア人たちとレースに出るシーンがあります。ここはちょっと、ばらしたくないところですね。観ながら「あっ」と声に出してしまいました。そういうこともあるよね、ってのが、わかりますねえ。大好きだった女の子が不良的な同級生と付き合って幻滅した覚えがありますが、あんな風に幻想が突き崩される一瞬は、痛いですねえ。
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 で、ところで、彼はひとりぼっちなわけではぜんぜんありません。三人の友人たちと一緒に遊んでいます。敵役として登場するのは大学生たち。主人公デイブの一味は大学に行けず、大学生たちを羨望の目で見ていますが、その羨望を認めると自分たちがみじめになる気がして、つっぱったりしています。夜中に寮の前で歌う場面はなんだか切ないです。でもその切なさは、青春の甘酸っぱさとして◎。
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 大学生なんて糞食らえだ畜生、というわけで、主人公たち四人は地元のトラックレースに出場します。このクライマックスは燃えます。デイブはイタリア人有名チームと互角に張り合えるくらいの実力者ですが、途中で転倒してしまいます。この辺が特によかったですねえ。基本的に他の三人は「デイブに任せておけばいいや」みたいなぼんくらなんですが、彼が怪我をするとあたふたしながらも繋いでいくんです。その必死さ、痛々しさは素晴らしい。はっきり言ってあの三人は駄目なやつらなんですよ。言っちゃえばニートみたいなもんだし、いざ仕事を始めると思ったら遅刻を咎められてすぐに投げ出すし。冷静に観れば、真面目に勉強して大学に通っているやつのほうがずっとずっと偉いんです。でも、あの三人はあの瞬間、すっごく頑張ったんです。何にもできないような俺たちだけれど、何にも打ち込めない俺たちだけど、ここで頑張らなくていつ頑張るんだ! っていうのが伝わってくる。主人公デイブのみならず、あいつらにもきちんと肩入れさせるこの映画は大変いい。
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大げさなことが起こるわけでもないし、言ってみりゃ小さい話ですよ。田舎町の、本当に小さな話です。あの後であいつらが立派な社会人になるかどうかもぜんぜんわからない。でも、あの一瞬があれば大丈夫じゃないかな、と思える。思わせる。
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 なるほど、とてもよかったです。ぼくがブログを書き続ける個人的醍醐味なんですけど、書いているうちに良さがどんどんわかってくるんですね。輝かしき70年代末期に生まれた、小さくて大きな作品だと思います。
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by karasmoker | 2011-06-16 00:25 | 洋画 | Comments(0)
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