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『ミツバチのささやき』 ビクトル・エリセ 1973

「世界」を見通すことで、観る者自身の幼さを知らせる。
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久々にVHSで映画を観ました。何年ぶりのことでしょう。DVDはamazonでも出品者による高値しかなく、ツタヤでVHSを借りました。ゆえに今日はキャプチャ画像がほとんどない旨、ご理解くらはい。地デジ未対応のぼくの部屋にはいまだに上京当時から使い続けている14型テレビデオがありまして、今後も稼働してもらう予定でありますが、映画を観る際はパソコンモニターを用いているので、テレビで映画を観るのも久々。そして、『ミツバチのささやき』。

映画通人の間では言わずと知れた名作、という位置づけではないでしょうか。名前だけはよく目にして長らく観てみたいと思っていたらツタヤで発見。レンタルビデオ・ハッピネス。これはなかなか、うむ、これはなかなかですねえ。

 まあ、この映画はさんざっぱら語り尽くされているでしょうから、いまさら気の利いたことはあまり言えぬので、あまり期待しないでください。もっと読むべきサイトはたくさんあるので、そっちを観てもらうほうが有用であると先にお断りしましょう。

 この映画に関しては一生のうちにあと数度は観ることでしょう。もっと観るかも知れません。年を重ねれば見方が変わるような気もします。これはなかなかのもんでした。
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 主演のアナ・トレントは当時六歳ということですが、これがスーパーウルトラ級の可愛らしさです。萌えキャラ風情が百万人束になろうと適わないくらいです。「神の瞳を持つ少女」などと言われたらしいですが、うむ、なるほど、これならば何も申しますまい。世間ではやたらと神、神と連呼して、処女面こいてるアイドルグループを愛でる者もいますが、あんなのがいくら集まったところでこのアナ・トレント一人には勝てますまい、というくらいの魅力があります。ぼくが見たことのある子役、いや子供すべてと言ってもいいかもしれませんが、これほどに可愛らしい子は知りません。この先、天才子役うんぬんと言ってたくさんの子供が映画なり何なりに出てくるでしょうが、果たしてこのときのアナ・トレントを超えられる人間がいるのでしょうか! テイタム・オニール、ダコタ・ファニング、クロエ・モレッツ、あるいはナタリー・ポートマンなど、世間の賛美を浴びた少女子役は数多かれど、このアナ・トレントの輝きを超えた者がいるのでありましょうか! ぼくはいつまでこの調子で書き続けるつもりなのでしょうか!

 ふう。

 ええと、なんだっけ。そうだ、映画自体はというと、たっぷりと間を置いた大変に静やかな作品でありまして、その構図の一つ一つが大変に美しいのであります。間を置くときはこうあれかし、と思わされます。何にも考えていないような構図で、とりあえず間を持たせれば映画的だろうとでも思っているかのような映画も数ある中において、あるいは一つ一つの光景をないがしろにちゃっちゃかちゃっちゃかカメラを切り替えるような映画も多い中において、少女×スペイン・カステーリャの荒野を存分に見せつけた本作は、特段の輝きを帯びているのであります。アナ・トレントが荒野にたたずむその姿を映した時点でこの映画は勝ちです。ものすんごいベタな言い方をしますが、ワンカットワンカットが芸術的、なのです。

 そのワンカットが写真や絵画のごとき美しさを持って迫る、というのも映画の醍醐味であります。もちろん写真には写真の、絵画には絵画の魅力があるわけですが、その魅力が映像の中で発揮されたときに、映画の豊かさはまた一段と深まるように思います。そうした映画はスタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』が最強であろうと思っていたのですが、うむむ、匹敵。というか、金のかかり方もろもろから行けば、こっちのほうがすごいかもしれません。いや、すごいとかいうとあれだな、すごいとかいうのとも違うんだけれども、粋だねえって感じですね。 

 ストーリーが面白い映画というのがありますが、それは脚本の力が大きいわけです。本作はストーリー自体の面白みは別段ありませんが、アナの美しさと構図の美しさが融合して生み出される魅力で、ぐぐぐいっと高みに登っているのです。

 テーマについていまさらぼくが語る要はございませんが、宮台流に言うところの「社会」と「世界」ってのがひとつあるのでしょう。「社会」はコミュニケーション可能なものの総体で、「世界」はありとあらゆるものの総体であるっていう対比概念です。ぼくが思うにコミュニケーション可能というのは理解可能ということでもあって、「この世の中というのは、まあこんなもんである」という処理の仕方は「社会」を生きる術です。これを身につけているのがアナの姉のイザベルで、彼女は「世界」に対峙するアナとの対比的存在なのです。フランケンシュタインを語るベッドのくだり、毒キノコのくだり、火を飛ぶくだりもろもろで明らかなように、イザベルは「世の中ってのはこんなもの」という認識を既に持っている、かのように見える。ところがアナはそれを持たない。

これを幼さと片付けるのはたやすいのですが、それこそまさに「社会」の内辺に留まろうとする捉え方です。換言するならば、何かを見て「幼い」と感じるということは、「自分は幼くない」と感じていることの証左でもあります。しかし、当然ながら人間はごくごく小さな存在であって、この「世界」と対峙するには誰も皆あまりにも幼い。大人になっていろいろとわかった気になっているけれど、それはわかった気になってわからないものに蓋をする癖を覚えただけに過ぎず、本当はいろいろなことなんて実はわかっていないじゃないのか? 

 と、アナの目を通して、教えられます。この映画は自らの中にある「幼さ」を知らせてくれます。

 あれこれ書きましたが土台文章では伝わらないのであり、観てもらうべきなのです。もし可能ならば、アッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』も続けて観るとよいでしょう(と思ったらなんとamazonの中古で45000円! キアロスタミのDVD復刻を強く願います)。
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あと、相米慎二監督の『お引っ越し』もいいでしょう(これまたDVDが品切れ!)。
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なぜかこの種の名作はDVD流通の中で忘れ去られてしまっているようですが、子供の目を通して世界に対峙していく作品として佳いものばかりです。レンタル屋のVHSに目を光らせてみるとよいでしょう。
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by karasmoker | 2011-06-19 19:14 | 洋画 | Comments(0)
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