『ラストエンペラー』 ベルナルド・ベルトリッチ 1978

 溥儀の不全感を描ききった、と言われればそうかもしれないけれどそれはメタ視点。
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 清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の生涯を追った大作で、アカデミー賞9部門を受賞している本作ですが、2時間40分もあるので長いなーとDVDを寝かせておいたわけでして、観てみたらなんとも長いなーの作品でした。体感時間がめっちゃ長かったです。

 構造としては、満州国の崩壊後における囚人としての日々と、幼くして皇帝に即位してからの成長の日々が交互に描かれます。成長していく時間はある程度飛び飛びになりますから、その合間に囚人生活、取り調べの様子などが挟み込まれ、だらけさせない引っ張りはあるんですけれども、それでも長かったです。
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 映画に入り込めなかった要因としては、これはもうアメリカの映画会社が配給している以上仕方ないのでしょうが、全編が英語なんですね。この映画に限らないけれども、そういうのはぼくは全般的に好きじゃないです。中には古代の史実ものとかもありますよね。ああいうのはある程度許容するほかないとも思うんです。その当時の言葉が今となってはわからないわけですし。でも、これは20世紀の話で、しかもアジアの、中国の話ですからねえ。全編英語で、東洋人が99パーセントを占める登場人物の全員が英語っていうのは、ちょっと移入しづらいです。ナチスが英語を喋っているのよりもさらに違和感があるわけです。

 で、この映画に関してはそれはいっそうの問題があるんじゃないですかね。というのも、本作は溥儀の生涯を追って、彼の自伝を原作にした作品でもあるわけです。言うまでもなくもともとには彼の人生、そしてその言語があったわけです。それを全部英語となると、これは彼の人生を描いたものとして、成立していないとは言わないまでも、かなり薄められたものになってしまっていると思うんです。当時の北京語でしか語られなかった彼の思いみたいなもんが絶対あるはずで、それを端から失っている。もちろん、商業上の理由等々で、英語にせざるを得なかったという事情はありましょう。でも、その事情を押し通した分だけ、こちらも引いてしまうところはあるよってことです。  

 ベルナルド・ベルトリッチ監督の作品は他には観ていないのですが、評価やら何やらをちょいと読む限り、作家的な監督なんかな、とお見受けします。ウィキによれば、
「イタリア人ではあるが監督デビュー前からロベルト・ロッセリーニとピエル・パオロ・パゾリーニ以外のイタリア人監督を認めないと公言しており、ジャン=リュック・ゴダールを始めとするヌーヴェルヴァーグの面々を兄貴分的な同胞と見なしていた。それは、インタビューや記者会見では一切イタリア語を使わずフランス語で押し通すほどであったと言う。」
 だそうです。言語にこだわりがあるくせに、中国人の人生を英語で描けちゃう人なのね、っていう残念さがあります。

 その辺を別としても、溥儀というきわめて特殊な境遇に置かれた人の、波瀾万丈の人生が活写されているかと言えば、ぼくにはどうも薄味な感じがしてなりませんでした。もちろん、紫禁城の内部をぜいたくに用いたロケーションやなんかは立派なものだなあと思います。この映画のいちばんの褒めどころはそこです。でも、そこを褒めたら溥儀は泣くんじゃないですかね。この映画は紫禁城の話じゃなくて、溥儀の話ですから。
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 自伝をもとに彼の生涯を描いたものとなれば、どうしても映画の枠じゃ収まりがつかない。でも、ひとつの映画として編む以上は、それなりの起伏は必要だと思うんです。ドラマみたいなもんがね。そこをどう魅せるかが勝負みたいなところがあります。でも、この映画は子供の頃から起こったことをつらつら並べているだけに見えるんです。
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 あのー、ぼくは常々思うのですけれども、どんな人間の生涯だって、映画になるんですよ。そりゃもう、どんな人間の生涯であってもね。『オトナ帝国』におけるヒロシの回想はその証左です。あの4分弱で、台詞もなく描かれた彼の人生ははっきり言って平凡だし、ありふれている。でも、そんな人生であっても、起こったひとつひとつの出来事はとてつもなくドラマティックに思えるわけです。彼が上京して新生活を始めたこと。会社に入って社員に挨拶をして、上司に怒られて、酒を飲んだこと。みさえに出会って桜の下を歩いたこと。しんのすけが生まれる病院に駆けつけたこと。そのどれもが、今思い出しても鳥肌が立つくらいにドラマティックだったし、感動的だった。

 この映画はそういう感動がぜんぜんないんです。現代の我々とは、庶民の我々とはまったく違う生き方をした人の話だから、そりゃあ変わったエピソードはいろいろとありますよ。でも、「ああ、そういうエピソードがあったのね」以上のものがない。紫禁城で生まれ育った彼は外の世界を見たことがないと。で、見てみたいと思って奔走すると。このくだりなんかも、「ああ、こいつは本当に外に出たくて仕方ないんだなあ」と思えないんです。「外に出たくてこんなことをしたよ」という描写が自伝にあるのか知りませんけれども、その辺のエピソードをただ描いているだけです。そりゃ怒りもわめきもするけれど、怒ったりわめいたりすればそれだけでいいというわけじゃないのであって、なんか薄いなあと何度も呟きながら観ていました。
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 これはねえ、うん、まあ、アカデミー賞で9部門の大作ですし、評価も高いわけですから、溥儀にも申し訳が立つでしょうし、ぼくなぞがいまさらなにさまな評言をしたって唇が寒いだけですけれども、ある意味ね、溥儀という人が絶対やってほしくなかったことちゃうんか、とも思うんですよ。
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 だって、彼はいわば、いろんなことが自分の思い通りにならなくて、自分の言葉で語り得なかった人だと思うんです。厚遇されているとはいえ紫禁城の外には出られないし、大人になってからも満州国の執政として日本軍の傀儡になっていただけだし、その後もきつい取り調べを受けて囚人になった。そんな彼にね、蒸し返しますけれども全編英語で語らせるってどうなんですかね。冒涜的じゃないですかね。で、この映画における彼もまた、まるで作り手の傀儡のごとくに、あれやこれやに翻弄されているだけで、彼が本当は語り得なかった何かみたいなもんが、きわめて乏しいです。世界は動いていく、でも自分は何もできないんだという悲哀が、さっぱり伝わってこないのです。それとも、この映画自体がそうした溥儀の不全感を観客に追体験させるという、明白なメタ構造を有しているのでしょうか。そんなわけないし、そんな構造も要らないし。

 うん、子供の頃はね、それなりに走り回ったり躍動していたりするんですよ。で、紫禁城のロケの規模も大きいでしょう。だから、三時間もあるから、自然と後半ではそれなりの規模と躍動を期待するわけですよ。そうじゃないと三時間持たないだろうと思うだけです。ところがね、後半、彼が大人になってからは何の動きもないというか、本当にとぼとぼして、しゅんとしているだけです。そのときはそのときなりのなんかあれがあるだろう、と思うんですけど、時勢に振り回されているだけなんです。溥儀は史実として見れば振り回されただけかもしれない。でもそこに、彼なりの動きを見いだして描くのが映画じゃないんですかね。何もないです、後半。溥儀はこういう状況に取り巻かれてこういう風になっていったよ、というだけです。しかもそれも、歴史的な出来事の経緯とかもそんなにはよくわからないです。だったら溥儀を取り扱ったNHKの歴史番組か何かを見るよってことです。
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 なんでこれがアカデミー賞を取ったのかといえば、まあいろいろと事情があったのでしょう、知りませんけど。純粋に作品の出来の良さじゃないと思いますよ。歴史ものでバジェットも掛けているし、見た目はそれなりに華やかさもあるし、中国のとかそんなにないし、やっとけやっとけ、ということです。これほどに体感時間長く感じる映画は実に久々でございました。
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by karasmoker | 2011-09-10 21:00 | 洋画 | Comments(0)
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