『ツリー・オブ・ライフ』 テレンス・マリック 2011

 確かにいろいろと言いたくなる映画ですね。でも結局はエヴァです。
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 uronteiさん、にしじまさんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。

 カンヌでパルムドール、デ・ニーロが審査委員長だったなんてことは観終えた後で知って、事前に知っていたのは予告編の内容と、「なんかアレな映画だぞ」という評判だけ。眠くなるなんてことも聴いていたので、それなりに覚悟していきました池袋東急。

 これは既にいろんなサイトやら何やらでレビウの花が咲いていますね。確かにレビウ習慣のある人間の心をくすぐるような内容です。何か言いたくなります。ところによってはヨブ記とか聖書とかを引用して細かな解説を加えているサイトもありますが、ぼくはそういうのは得意ではないため、まあいつもの通りのだだらな文章にします。

 というか、いろいろ読んでもぼくはよくわかんないっすね。パンフレットに寄稿している映画評論家の文章を読んでも、ぜんぜんよくわからない。壮大だ、流麗だ、繊細だ、深淵だ、うんぬんと言って「とにかくこの映画は凄いのだぞ」と言っているけれど、なんであんな文章でお金がもらえるのかというくらい、ちっともわからない。『もしドラ』の作者の人が、自分の本を宣伝するような文章を書いているのもよくわからない。ひとつの教訓を得ました。
「よくわからなかったとき、パンフの解説を読んでも、やっぱりわからない」



  さて、今日もゴーイングマイウェイな気分で書いて参ります。
どういう話なのだ、というのを説明するのが筋ですが、これはあまり説明しても意味がないというか、ストーリー自体が動く話ではないですね。むしろストーリー的な捉え方を一回外す必要があります。

 というのも、最初のほうのしばらくの間、宇宙の映像とか地球の原初みたいなのがうららららと続くからです。「なかなかお話が始まらないじゃないか」と怒ってはいけません。そんな捉え方ではこの映画に耐えることができなくなるでしょう。ぼくとしてはむしろ心地よかったですね。というか、この映画の序盤の心地よさはなかなかのもんです。科学的になんとか波を出させる効果があるんじゃないかと思うほどに心地よいのです。ストーリーの進行を至善としてはダメです。子供が空腹にだだをこねて箸で茶碗をちんちん叩き、「ストーリーストーリー!」と叫ぶような真似は、してはダメです。ぼくはあの映像を実にほえーっとしながら観ていました。四列目に座っていましたが、最前列に移動しようかと思ったくらいでした。あの映像を視界いっぱいに受け止めてもっとほえほえになったら素敵だなと思ったくらいで、あれはもうマリックのマジックにお任せしていればいいのです。

 あれを延々とやった時点でね、もうストーリーがどうたらって映画じゃないことはわかるじゃないですか。あそこでこちらが見方を調整しなくちゃいけません。

 で、その後は幸せな家族の風景みたいなのが続いて、少しずつ時間が経過していきます。 特に大きなことが起こらずに、ずっと続いていきます。

 視点人物を担うのはブラッド・ピットの息子、三人兄弟の長男です。1950年代の田舎を舞台にしているそうですが、これはねえ、うん、アメリカンノスタルジーを持たない東洋育ちのぼくからすると、ぴんと来なかったりしますね。反面、アメリカ人のノスタルジー心はとてもくすぐるのかもしれません。この映画の評判の中で、「アメリカの宗教のことはよくわからないので」みたいな声もあるんですが、宗教的な部分での不可解さはあまり感じませんでした。それでいうなら『アンチクライスト』のほうが宗教的にわからないです。

 これはアメリカで子供時代を過ごした人間じゃないと入り込めないところが大きいと思います。そこの「あるある」も入っているんじゃないですかね。ああ、こんな遊びやったなあとか、ああ、こんな服着たおっさんいたなあとか、ああ、こんな風な飯を食っていたなあとか、そういうところの記憶は、ぼくはまったく共有していないですからね。
 日本人でも共有できるとしたら、ブラッド・ピットが演じたあのめっちゃきびしい親父
でしょうか。父権的な振る舞いっていうのは今以上に、昔の日本では広く見られたところで、実際経験した人も多いわけです。ぼくも子供の頃、自分がテレビを観ているのに有無を言わさず父にチャンネルを変えられたりもしました。幸いぼくの家には複数のテレビがありましたから別の場所に逃げることもできましたが、一家に一台なんて時代だったら、強い父権を感じたことでしょう。

 ぜんぜん話がそれますけど、昔の日本に今よりも巨人ファンが多かった理由って、そこにあると思いますね。親父が巨人ファンでチャンネル権を独占する。すると子供は仕方なくそれを観る。「野球なんてつまらない」と思い続けるのは精神的負担が大きいので、いっそのこと「野球は面白い」と思い込むことにして、それで巨人ファンが増えたという仕組みです。

 ぼくもかつては巨人ファンでしたが、それは父親の影響でした。今では考えられませんが、巨人の勝敗に一喜一憂していた。今そのときを振り返るに、あの頃のぼくはきっと、父親に気に入られたかったのでしょう。巨人を応援すれば父ともその話ができると無意識に感じていて、だから巨人ファンになった。これは友人同士の話でも言えますね。

 ただ、強すぎる父権に対しては反発を感じるのも道理で、この映画の長男は父親に反抗的な態度を取るようになります。でもね、これもね、別にそんなにびびっと来るもんではないんですねえ。大人への反発心なんて、こっちだって散々に感じてきたことですからね。そこでぐずぐずされたのはちょっと辛くもありました。大きく衝突するわけでもなくて、むにゃむにゃしていました。父と子の話なんてのはそれこそ物語におけるメジャー中のメジャーテーマですから、いまさらそれをあんな風に語られてもっていうのはあります。

 神=父のような位置づけだとするなら、ぼくは自分の中でちょっとした発見を見ました。というのも、ユダヤ教の神、ひいてはキリスト教の神っていうのは、このブラピのように、理不尽なまでに強権的なんです。自分に従わないと殺すぞ、という神様です。でも、じゃあそんな神様がパーフェクトなのかっていうと、ぜんぜん違うじゃないですか。聖書でも神のおかしな発言とかがいろいろネタにされたりしています。これね、父親というもののメタファでもあるのかなと思ったんです。幼い頃は絶対者と見えた父親が、意外とそうでもないとわかるのが思春期じゃないですか。親父の言っていることはおかしいぞ、と気づき出すわけです。だからね、ユダヤ、キリストの神様って、その意味でも本当に「父親」的なんですね。そう考えるとこの映画は、表面では祈りの言葉で絶対者=神=父を信仰しながらも父に反抗し続けているという点で、実はユダヤ、キリスト的な話とは逆行しているのかもしれません。というか、うーん、いや、宗教に詳しくないくせにいろいろ言うのも危険なんですけど、この映画はむしろ、反宗教的にも思えませんか?

 だって、神様は六日間で世界をおつくりになって、その後人間をつくったと。猿から進化したなんて嘘っぱちだと。だったらもう、かなり早い段階で人間がうろうろしているか、もしくはアダムとイヴが裸で走り回っていてもいいわけです。でも実際はそんな映像はないんです。恐竜は恐竜の時代を迎えているんです。人間と共存している場面はないのです。というか、どうなんでしょう。ぼくはよくわからないんですけれども、地球が生まれた太古の時代に思いを馳せるのと、「神様……」と思いを馳せるのって、両立するんですかね。聖書的に言えば、地上はたったの六日でできたんでしょう?  

 やめた。あまり突っ込むのはよそう。無知がばれる。もうばれてる。

 だからあんまり宗教うんぬんでこの映画の話をしても意味がないっていうのがぼくの感じ方です。むしろ、「ぼくたちがぼくたちでいるっていうこの奇跡!」みたいな、ともすればJ-POP的なニュアンスさえ感じたのであり、それはなぜかといえば終盤のショーン・ペンです。ショーン・ペンは長男が大人になったときの姿なんですが、彼がね、なんかよくわかんない状況で家族と抱擁したりするんです。これはあれです、きっと誰かが既に指摘しているでしょうけれど、エヴァです。エヴァのテレビ版最終回における「おめでとう」みたいなもんです。ショーン・ペン=碇シンジなのです。父親との軋轢を抱えているのも類似点です。いろいろあったけれどぼくはぼくでいいんだ、おめでとう、おめでとう。
エヴァのラストはこうです。
「父に、ありがとう 母に、さようなら そして、全ての子供達に おめでとう」

シンジはそれでもいろいろと動き回ったんですけどね、ショーン・ペンはオフィス街でたそがれていたらいきなり謎の空間に旅立って、家族と抱き合うだけですからね。何なんでしょうか。ショーン・ペンの部分だけ切り出したらもうアホみたいな話です。

 まあ、アメリカ社会でどう受容されているかってことでしょうね。日本で生まれ育った人間が受け止めてもそれほど感じ入ることはないというか、これで大感動している日本人がいたら、嘘つけ、エヴァで泣いてろ、と言いましょう。
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by karasmoker | 2011-09-01 21:00 | 洋画 | Comments(3)
Commented by にしじま at 2011-09-01 22:38 x
わー、一番バッターでありがとうございます。

私は概ねこの映画が好きだったのですが
あの最後に波打ち際でたくさんの人がうろうろしてるシーンが訳わかんなかったんです。
なので、なにさま様がどういう風にご覧になったかがとても気になっていたのですが、シンジでしたぁー。
なるほどなぁ。

ショーンペン自身は、この映画にピンと来なかったらしく、オレの部分は無くてもよかったんじゃないかとコメントしてたようです。
無くても良かったとは思いませんが、気持ちわからないでもないです。(笑)

私はこの主人公が神と対話する、もしくは神に救われたいと切望する運命との関係を見るにつれ、ほとんど神の存在を意識せずに生きてきた私≒おおよその日本人の場合ならどうなんだろと考えながら観ました。
自分たちの外側に神さまがいる精神構造って、上手い作りだし、ずるい作りだなぁ。

結局、長男は成功者になるんですね。
なんだかんだ言っても、父親の想いを受け取ったってことですか。
めでたしめでたし。

明日の更新も楽しみにしています!

Commented by urontei at 2011-09-01 23:05
こんばんは。
さっそくリクエストにお応えいただき、ありがとうございます!!

「ぼくたちがぼくたちでいるっていうこの奇跡!」 というニュアンスを感じたというのは、とてもよくわかります。

個人的には、この映画を観ていて、チャップリンの 「人生は、クローズアップで見たら悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」 っていう言葉を思い出しました。
ブラピ一家の年代記は、ある意味悲劇ではあるけれど、地球誕生以来の悠久の時の流れの中でみれば、それは小さすぎる出来事であって、そういう宇宙的な大きな視点から見たら、結局のところ僕らが存在する意味というのは、ただもう連綿と “命をつなぐ” という、それだけのことに過ぎないのだけど、それでも僕らが個々の人生を泣いたり笑ったり悩んだりして生きているということは、それはそれでかけがえのないことでもあるわけで、そのへんの肯定的な描き方が 「ぼくたちがぼくたちでいるっていうこの奇跡!」 というニュアンスにつながっているのかなぁ、と。

…って、スミマセン、他人様のコメント欄でごちゃごちゃと。自分のブログに書けって (^^;
Commented by karasmoker at 2011-09-02 02:31
お二方、コメントありがとうございます。
この映画について感想を尋ねたら、「つまらなかった」「よくわからなかった」で終わらせる人が一定数いるでしょうが、そうでない人々の感想はばらばらで、いろいろな言葉が引き出されることでしょう。つまりは観客に語らせる、「あなたはどう感じた?」ということを積極的に考えさせる映画ってわけで、その意味ではとてもいい映画だと思います。
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