『ワイルドキャッツ』 マイケル・リッチー 1985

ゴールディさんをひたすらに愛でるには格好。
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DDさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

 スラム街の不良高校のアメフトチームが結束していく話、というのがいちばん簡単な説明です。これはこの監督の撮った名作『がんばれ!ベアーズ』と似ているわけで、それは誰しもが指摘するところでありましょう。しかしあの映画とはまるで異なる風合いに仕上がっていて、まずもって違うのはアル中のウォルター・マッソーがおらず、コーチ役がゴールディ・ホーンだということです。
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 ゴールディ・ホーンの出てくる映画は他に『カージャック!』(「続・激突」とはあえて言わない)と『世界中がアイラブユー』くらいしか観ていないのですが、『カージャック!』の頃の彼女というのは思うに、70年代アメリカ映画には不似合いなまでの華々しさに満ちていました。アメリカン・ニューシネマは多少観ているのですが、そこに出てくるヒロインの中でも異質な際だちです。暗い影を想起させず、あのパツキンを振り乱しながらサービススタンプの束を持って走り回る彼女は、70年代のやさぐれアメリカ映画の中で、一層の輝きを帯びていたのです。というか、たとえば今、よく知りませんけれどもviviなどを読んで何者かに憧れている連中は、当時の彼女にどうしたって勝てぬのではないかと思わされます。これはどんな天才子役が愛でられようと『ミツバチのささやき』におけるアナ・トレントに及ぶまいという感覚と同じです。

 さて、そんなゴールディちゃんですが、この映画では二人の子持ちでバツイチで、すっかり「ゴールディさん」になっています。とはいえ、この映画でいちばん綺麗なのはダントツに彼女であって、おそらく監督はその辺、気を遣っていたことでしょう。娘がぜんぜん可愛くないのは狙ってキャスティングしたことだと思われます。この映画は『カージャック!』以上の、ゴールディさんアイドル映画になっています。

 舞台はスラム街の不良高校、黒人のいかつい野郎どもが過半を占めていて、小さくて華奢なゴールディさんとの対比がわかりやすい構図です。アメフトチームのコーチになった彼女は、まず彼らの信頼を得ようと苦闘するわけです。
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 ここの面白みはというと、うん、『がんばれ!ベアーズ』のほうが上です。というのも、この映画は黒人野郎チームと彼女の軋轢をわりとあっさり克服し、しかもそれなりにチームとしてよく機能している状態に、あっさりとなってしまうからです。

最初はね、「女のコーチなんて」って感じなんです。このような物語なら当然そうなるだろうという設定で、嫌がらせを受けたりするんです。でも、ただ一回のマラソンで、その辺がオールクリアになってしまうんですね。彼女がチームの連中とマラソン勝負をして勝って、それでみんなの信頼を得る、という筋立てですが、これでひとつ、目標を達成してしまうんですね。ここからはチーム内の事情って、あまりなくなってしまうんです。

『がんばれ!ベアーズ』では天才投手テイタム・オニールがいたり、本当は実力者の不良少年がいたり、言葉の通じないメキシコ少年がいたり、めちゃくちゃ下手なちびっこがいたりして、それがすべてあのベアーズというチーム内で、映画の中で機能していた。ところがねえ、この映画ではその辺の旨味はとても乏しいんです。この映画にも言葉の通じないメキシコ人が出てきますが、そこが象徴的かなと思います、そこの面白みの差が。
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もちろん多少なりともキャラづけはされていますよ。でも、ベアーズの子供たちほど、このワイルドキャッツの面々は心に残らない。これは演出、編集にも関係するのですが、ひとつちょっと問題だなと思ったのは、アメフトのシーンです。

『ベアーズ』もそうですけど、野球ってスポーツは映画にしやすいんですね。ちょっと想像してもらえばわかるとおりに、投手が捕手のサインを見つめるときとか、打者が投手を睨んで打席に立つときとか、わかりやすい間があるんです。その間があってからの、球が打たれた後の守備陣の躍動があったりして、非常に映画向きなんです。
 でも、アメフトってちょっと違うでしょう? スクリメージラインでの静止した状態、その緊張感があるといえ、その後は入り乱れてぶつかりあって走り回る。だから描き方が大変だし、むしろその前後をどう固めるかが大事になる。

 
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この映画はそのあたりの配慮がぜんぜんなっていない、というか、むしろやる気がないとさえ思えるのです。ゴールディさんは「アメフトは私の命なのよ!」と言って頑張りますが、じゃあこの映画の命がアメフトに宿っていたかと言えばそうは思えない。ぜんぜんアメフトを撮ろうとしていない。すべてがよくわからないままに進んでいきます。あれ、あれれ、あれ、ああ、いつの間にか勝っちゃったよ、みたいな。
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 この映画の最大の特徴とも言えるところなんですが、カットの切り方が凄くて、何しろ早い。ヴァーホーベンが『ロボコップ』を撮った際、「三秒では長すぎる!」と言ったそうですが、本作のカットスピードも相当なものです。いつでも何かが動き周っている。そのこと自体は悪いことではありませんし、むしろ70年代との対比できわめて80年代的だとも思ったのですけれども、いかんせんそのせいで個々の顔の魅力が引き立ってこない。個々の場面が焼き付いてこない。『ロボコップ』では連続するアホでどぎつい場面の連続が焼き付きましたが、この映画にはそういうのはない。そこまで急がなくてもいいのに、というくらい。だからアメフトのシーンがよくわからない。アメフトの場面って言うのはいわば、ゴールディさんの努力の結晶が実る場面です。そこが丹念に描かれていないというのは、どうなんですかね? 音楽足して勢いで乗り切るってのは、80年代のMTVの悪い側面をもらっちゃいすぎじゃないですかね。少なくとも、これは断言していいと思うのですが、『ベアーズ』に宿ったような「弱いものがそれでも頑張る姿」という感動はありません。この映画はスラム街の不良高校というおいしい設定を用意しているというのに、荒くれ者が荒くれるのは最初のほうだけですし、それなりにとんとん勝ち進んでしまう。強くなっていく喜びも希薄なんです。スラム街の不良高校なんだから、「いいとこのぼっちゃんに負けてたまるかよ」みたいなのがあればもっと燃えるじゃないですか。そういうのもゼロです。唯一あるのはゴールディさんと敵監督の軋轢くらい。でもこれは物語上、最低限必要なものとして置かれているだけ。

 もっともね、この映画はそこだけじゃないんですね、話としては。ゴールディさんは離婚した夫と子供の養育権を巡って係争するんですけど、そっちの話もあったから、いかんせんワイルドキャッツだけに集中できない。そこがベアーズのマッソーと違っていたので、描き方が薄まるのは仕方ないかもしれません。まあそのおかげでゴールディさんのパイオツが観られたりしたので、その点はありがたいのですけれども、そっちの話は、え? 結局どうなったの? っていうことで、放り出されます。まあその顛末をぐだぐだ語り出されたとしても辛いんですけれど、子供たちの話も見えてこないんです。
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 この映画はね、ゴールディさんが「子供を育てる」話であるはずなんです。ワイルドキャッツと二人の実子、彼らをどう育てていくかっていうのがこの映画の軸になっているはずなんです。それが両方とも十分には描かれていないと思いました。
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 で、わかったんです。これはね、結局、ゴールディさんをひたすら愛でようという映画です。彼女が犬に追いかけられて走り回り、羊を抱いて走り回り、時には絶叫し、時には声を枯らして黙り込んでキュートになる。エンドクレジットのラップにおける「football」の一言までキュートです。そういうゴールディさんをたっぷり愛でたい、という場合にはこの映画は大変にお薦めです。ただ、それ以上の何かがあるわけではありません。『ベアーズ』のほうがはるかに胸を打ちますし、面白くもあります。アメフトが出てくる映画ではある。でも、アメフトを描いた映画ではぜんぜんない、というところです。

 面白くないわけではぜんぜんないんです。スピーディーな展開自体はぼくの好みだし、とんとん進んでいく良さはあります。でも、「勢いで何もかもがもうオールオッケーなのよ!」という魔法に、ぼくはかからなかった。せっかくこの勢いがあるんだから、ここはもっとちゃんと描こうよ、ここももうちょっといじろうよ、そうしたらこの勢いがもっと熱量を帯びるのに、そういうもどかしさが先行してしまいました。
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by karasmoker | 2011-09-02 21:00 | 洋画 | Comments(0)
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