『白いリボン』 ミヒャエル・ハネケ 2009

ぼくにとっては本当にどうでもいい映画です。
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 よもぎさん、つるさんよりリクエストいただきました。ありがとうございました。

 ハネケ監督の映画は『ファニーゲーム』と『隠された記憶』しか観ていないのですが、どちらもぜーんぜんぴんと来ず、リクエストいただいたときは正直「うげげ、ハネケかよ」と思ってしまいました。また、『白いリボン』について、町山さんのツイートを目にしていたので、ずっと観ずにスルーし続けていました。以下に町山さんの『白いリボン』評を転載します。

 
今日はミヒャエル・ハネケの「ホワイトリボン」を見たけど最低。二時間時間のムダ。客はヒマそうな老人ばかりだったが「これで終わり?」とみんなグチってた。ひどすぎる。

「ホワイトリボン」は起承転結の起承だけで終わってる。ホント、観るだけ時間のムダ

「ホワイトリボン」の何がヒドいって、最後に主人公が「犯人は××××だと思います」って言うんだけど、そんなの最初からわかるって! だって他にいないんだから! 問題は××××がなぜやったかということなのに……。

「ホワイトリボン」がダメなのはその寓意するものはすぐにわかるのに、それ以上のことが何もないからだ。意味が読み解けたら、それで終わり。それ以外に何もない。

「ホワイトリボン」観るくらいなら「光る眼」とかポルポトや文革の記録映画観たほうがずっと意味あるよ。

一方、映画界の評価はと言うと大変に高いようで、パルム・ドールを筆頭に、数多くの映画賞を受賞している、しまくっているようです。はてさて、どういう映画なのかしらんと思いつつ、観てみました。

 うん、えっと、うん。

 ぼくにはわからなかったです。恐ろしくつまらなかった。正直なところ、どこが優れているのかもぜんぜんわからない。むしろ教えてほしい側の人間です。寓意がある、深い意味がある、だから何なのか。どこに作品自体の魅力があるのか。教えてほしいです。

 観ながら思ったのはね、「これ、小説でいいんじゃないか」ということなんです。むしろ小説で表現したほうがいいんじゃないかと思いました。映画を観るときって、無意識の前提として、映画ならではの表現を期待するわけです。そうでなければ映画を観ようとする気持ちがまず働かない。じゃあ映画ならではの表現って何かって言ったら、そりゃ無数にあるんですけど、役者の演技だったり躍動だったり、ビジョンだったりビジョンと音楽の融合だったり、そういうものを通して得られるなにがしかの感興であるわけです。

 この映画はその辺りの快楽にきわめて乏しい。少なくともぼくには感応できませんでした。初めはね、いろいろな人々が動き回って、どういう村なのかな、どういう状況なのかなってことがわかって、普通の映画っぽくて、『隠された記憶』で冒頭5分くらいずーっと待たされたのに比べれば、まあまあ観られるわけです。そんなに悪くないんじゃないかと思ったんです。ところがね、そこからがずーっと平板なんです。これを観ると『ツリー・オブ・ライフ』はなんと試みと冒険に充ち満ちた作品であったかと思わされます。

『ツリー・オブ・ライフ』なんかはね、ある意味めちゃくちゃですよ。ただ、その意味でものすっごい攻めていた映画です。話を一切止めてまで宇宙の歴史を語るような映画なんて、どんだけ攻めてるんだと思わされます。で、あれは映画でしかやれないことですよね。文章ではできないことです。この『白いリボン』はね、なーんにも攻めていないんです。だから減点はないんです。得点がないですから。

 もちろんね、めちゃくちゃやったらいいのかっていえば違いますよ。端正に、誠実に、物静かに語る映画だっていいものはいっぱいありますよ。でもね、いい映画には必ずその映画の持つ風合いがある。カウリスマキはぼくにとってそういう監督です。あの人の映画だって、動きが少なくて台詞も表情も乏しいような映画はいっぱいある。でも、フィンランドのどうしようもない寂しさや寒々しさがそこに宿っている。この『白いリボン』には、風合いがぜんぜん感じられませんでした。いろいろ整いすぎて、生活感がない。つまりは人々にも存在感がない。この映画の構図の中にしっかりと収まってはいるでしょう。でも、「こいつは確かにここにいるな」と思わせるような肉体感がほぼ皆無でした。それをしてよもや「抑圧」を描いているのでしょうか。なーんの風合いもない、寂しさすらも消し去られたような無味無臭の世界がよもや「第一次世界大戦前夜の重苦しい田舎の様子」なのでしょうか。監督が登場人物や世界を抑圧してどうすんねん。

 だからもう、何が起ころうとどうでもいい。
 誰が死のうが生きようが、観ているこっちとしては全員死んでいるようなもんですから。 既にこのブログで述べていることなんですが、お話の構図ありきでその上を人物が動き回るようなものが、ぼくにはどうしても好きになれないんです。構図だとか意味だとか、そりゃもちろん作り手は考えます。でも、構図や意味が登場人物や描かれる出来事よりも前に出るような、あるいは出来事がないがしろにされるような映画はどうしてもぼくはダメなんです。それで言うと、いろいろあるんですけれども、納屋が燃えたと。何者かに燃やされたらしいと。これだってね、あの炎上風景をちゃんと描いたらいいじゃないですか。そこで、「誰がこんなひどいことをしたんだ」と思わせてほしいわけです。ところがそこはもうものすんごいあっさり処理してしまう。要は「納屋が燃えた」という出来事を提示したいだけなんです。そういう事件が寓意や何かのために必要だというだけです。じゃあもういっそのことナレーションで処理してくれ! 「昨夜納屋が燃えた。ところで次の日は別の事件が起きたんだけれども……」と割り切ってくれ! それで2時間20分をもっと縮めてくれ! ゴダールのように! ゴダールは短い時間で攻めまくっていたぞ!

同じようなのが「坊ちゃん、池に落とされる」のくだりです。これも「坊ちゃんが池に落とされた」という出来事があるだけです。映像の箇条書きみたいな場面ですよ。それで次の展開があるのかもしれん。次の展開のために必要かもしれん。でもねえ、言わせてもらえばそれって「捨てシーン」なんですよ。「死に時間」ですよ。そんなのがいっぱいあります。

 これって、批評家を喜ばせるような映画なんですよ。いろんな寓意があるぞと。これは何々のメタファであるぞよと。批評家はそれを読み取って文章を書いたらお金がもらえますからね。賢く見せられますしね。でもさあ、この映画を観て、「ああ、本当に切ないなあ、ぐっと来るなあ」とか「このような出来事は本当に心に突き刺さるなあ」とか、「これはすごいシーンだなあ」とか、思います? 本当に思いますぅ? この映画に出てきた登場人物に存在感がありましたか? だったらもう、ほっとんどの映画の登場人物は抜群の存在感に充ち満ちていると言えますね。

『ファニーゲーム』でもね、暴力を描きながらもぜんぜん肉体感がなかったんですよ。それと同じでね、この映画は人間同士の話を描いているのに、人間らしさがないんです。この映画からは一滴の汗のにおいすら感じられない。この監督は多分、人間に全然興味がないですよ。頭の中で描いた寓意やメタファに興味があるだけなんです。批評家にはありがたい監督ですよ。寓意やメタファは彼らの大好物ですからね。

 ハネケは向こう数年観ないと思います。それくらいどうでもいい監督です、ぼくにとっては。結局やっていることは『ファニーゲーム』と同じだった。

 だから始めに書いたとおり、むしろ教えてほしいんです。この映画のどこがそんなに優れていたのか。寓意や構図やメタファじゃなくて、「このシーンのこのやりとりの緊張感を観よ!」とか「この場面に漲る風合いを感じよ!」とか、具体的に教えてほしい。みんな表情がないしね。表情がないのが抑圧の象徴だっていうなら、楽な話です。今後役者の表情についてあれこれ言われる場合はいつだって、「いやいや、これは登場人物の無意識的な被抑圧の象徴であるのであって」と弁護できますから。人間に興味がない監督ならばむべなるかな、ですけれど。
 ぼくにはさっぱりわからなかったです。もう、本当にわからなかった。
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by karasmoker | 2011-09-04 21:00 | 洋画 | Comments(8)
Commented by よもぎ at 2011-09-05 01:41 x
今、悩みながら書いたコメントを操作ミスで消してしまい、私もなんだかどうでもよくなりました。うふふ。
とにかく、リクエストにこたえていただき、ありがとうございました。
いつも拝見するの楽しみにしてますので、これからもご無理なさらないよう、更新お願いいたします。
Commented by karasmoker at 2011-09-05 07:58
コメントありがとうございます。今後もご愛顧願えれば幸いでございます。
Commented by つる at 2011-09-05 18:56 x
レビューありがとうございました。
私はハネケは好きなんですが、他のレビューを読んでも小難しいことばかりなので、なぜ、どこが好きなのかよくわからないままでした。
「小説でいいんじゃないか」というところにヒントがあるような気がします。
お手数おかけしました。これからも更新楽しみにしています。
Commented by karasmoker at 2011-09-05 19:20
コメントありがとうございます。小難しいレビウは自己完結しがちですからね。ぼくのいわば無理解な文章を、理解のたたき台にしてほしいと思います。魅力が言葉になったら、教えてほしいですね。
Commented by cinema_syndrome at 2011-09-07 02:41 x
ゴダールさんが短い時間でまとめるのは
最初撮った時長くなりすぎたからだそうです
「年をとってから映画を撮る監督はどうしても長くしがちだ。
なぜなら今まで自分の送った人生経験をその過ごした長さそのままぶちこもうとするからだ。」
とは本人の言。
Commented by karasmoker at 2011-09-07 08:30
コメントありがとうございます。何かで読んだのですが、蓮實重彦との対談で、時間の短縮は職業的な倫理、あまり長く時間を費やさせたくないという考えからだとも言っていたような、そんな覚えがあります。
 それほど年かさでない監督でも長くすることが結構ありますね。青山真治の『EUREKA』、園子温の『愛のむきだし』、『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』のときのコッポラ、『七人の侍』のときの黒澤明。いずれも三十代から四十代半ばくらい。大作というのもあるでしょうが、長い映画には、その監督が本当に描きたいものが顕著に表れる気がします。
Commented by とおりすがり at 2013-04-04 09:24 x
ミヒャエル・ハネケはほんとに過大評価されていると思います。描写が過激であるとかそうでないとかっていう理由でクソって言ってるんじゃなくて、明らかに映画史上の過去の傑作に比して、「考えが足りない」映画ばかりだからなんですよね。

大嫌いな映画監督だし、このような人物が評価され続けるなら、映画界にフォーカスするのを辞めようとすら思います。最近の世界映画の批評筋の劣化具合は目に余るものがあります。
Commented by karasmoker at 2013-04-05 23:46
 コメントありがとうございます。
 映画への興味のバイオリズムが低調であることもあって、ハネケについて述べろと言われると窮します。最近の映画の批評の流れについても疎い人間でございまして、ぼくに申し上げられるのは、まあそう仰らずに映画を観続けてはいかがでしょうか、ということくらいなのであります。
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