『エンジェルウォーズ』 ザック・スナイダー 2011

ビジュアルイメージの映画。「どうせ映画」であっても、「どうせ夢」じゃあいただけない。
d0151584_11112879.jpg

ミノワさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

原題『Sucker Punch』
 ザック・スナイダー監督作で言うと、ここで取り上げたのは2004年の『ドーン・オブ・ザ・デッド』。ロメロの『ゾンビ』よりも好きだ、というのは書いたとおりです。あと観たのでいうと『300』があります。これはぼくとしてはもうひとつ。世間的には結構評判だったみたいなんですけど、敵のボスがムキムキの叶恭子みたいであり、何もかもがつくられきったビジュアルイメージだったのも、ムキムキの魅力と食い合わせが悪かった、というのがぼくの味覚です。ムキムキは80年代筋肉映画のほうが観ていて楽しいのです。『ウォッチメン』『ガフールの伝説』は未見なのでその話はできません。

 さて、『エンジェルウォーズ』です。
 一言で言うなら、精神病院に入れられた女の子の、脳手術間際の夢ってところです。 妄想世界という言われ方がされたりしますが、夢っていう言い方のほうがしっくり来ませんかね。意識のない人間が妄想することはありませんから。それとも現実を一切描かずに妄想で時間を進めている? だとすると序盤で脳にドリルが迫るショットが解せません。
d0151584_11122280.jpg

d0151584_1112373.jpg

 で、その夢の世界ですけれども、ここでは女の子は売春宿にいるのです。売春宿でありつつ、ショーを見せたりします。外の世界に抜け出したいと考えています。この辺は強制的に入院させられてしまった現実とのリンクが、やや観られるところです。基本線としてはこの売春宿の話ですね。最初の十分かそこらを見逃して劇場に入ったりしたら、うむ、売春宿の話だな、と思ってしまうことでしょう。
 
d0151584_11125240.jpg

 で、抜け出すためにはいろんなアイテムがいると。そのために支配人その他、売春宿の管理者たちからそのアイテムを拝借しなくちゃいけないと。そういう風にして話が駆動していくわけです。どの辺が『エンジェルウォーズ』なのだ、というと、そのアイテムを盗む過程です。五人の女の子がチームになっているわけですが、まず主人公が敵に踊りを見せます。すると敵がそのダンスの魅力に引き込まれるので、その隙に盗んでやれ、ということです。
d0151584_1113422.jpg

 ではどんなダンスなのだ、というとこれは一切映されません。よろよろうごめくだけです。ここはもうちょっと工夫がほしかったところですが、監督が見せたかったのは、そのダンスの開始と同時に始まる、もうひとつの世界です。

 彼女が踊っている間、映画は別の世界に移行します。そこでは刀剣と銃を駆使して巨大な敵をやっつけたり、ドラゴンをやっつけたり、ゾンビみたいなナチスをやっつけたりします。ここがこの映画のいちばん攻めているところですね。
d0151584_11131662.jpg

d0151584_11132964.jpg

 中二病映画、なんてことを言われる理由もわかりました。なるほど、とにかくリアリティは度外視で、ゲーム的なビジュアルイメージ押しです。格好いいです。中高生ならアゲアゲでしょう。でも、ビジュアルイメージ押しすぎるというか、もうそれならば監督のもとの畑である、ミュージックビデオでいいんじゃないかとも思った。結局この映画はこのイメージを見せたかったんでしょう。ストーリーとかは後付けでしょう。そのこと自体は悪いことではないと思います。こういう画を描きたいっていうのは大事です。ではあるけれど、映画はやっぱり、当たり前ですけれどその前後も問われる。その部分だけくりぬきでは熱くなれないんです。これこれこういう文脈があった、こういう出来事があった、それがあってのクライマックスなのであって、あの部分だけじゃ熱くなれないです。真面目なことを言いますけど。
d0151584_11134166.jpg

d0151584_11135159.jpg

「うるさいうるさい、そんなのはどうでもいいんだ。あの場面は超格好いいからそれでいいのだ」と言えるならもうぼくに言えることはないのですが、映画が一連の出来事である以上、「ん? これはただのイメージ世界だな」と思ってしまうと、あまり入り込めない。その辺は『インセプション』の大変うまいところだった。あれも夢の世界の話だけれど、あの夢の中で失敗すると現実も駄目になる、ということにして「これはどうせ夢」という観客の興ざめを回避した。この映画はそうじゃないんですね。そもそも精神病院の、手術中の白昼夢。「これはどうせ夢」として端から終わっている。
d0151584_1114689.jpg

 むろんどんな映画であっても、「これはどうせ映画」に過ぎない。でも、その中でも優れた映画は、現実の自分たちに何事かを突きつけてくる。あるいは「どうせ映画」でありながらも、観客に一時の間、現実を忘れさせてのめり込ませる。この映画はその点にはあまり興味がないようでした。というか、いちばん最初の舞台風の設定とかが示唆するように、この映画は端から、ほとんどけんか腰とも言えるレベルで、「これはどうせ映画であって、その中で描かれることもどうせ夢です」とこう来る。それはねえ、二回言うなよ、なんですね。これがどうせ映画だってことは百も承知。でも、その中でいかに現実的に見せて、移入させるかが勝負じゃねえのってことですよ。これじゃあぜんぜん移入できないでしょう。あの売春宿で勝とうが負けようが、現実には何の影響もない。いや、どうかわからないけど、少なくともそう見えてしまう。『マトリックス』も『インセプション』も当然のごとくに回避したこの道を通られて、いくらすごいビジュアルイメージを持ち出されても、それは熱くはなれないですよ。

 だから、外側の設定が要らないんです、むしろ。いいじゃないですか、あの女の子たちが世界を救う話でいいです。そこが描きたかったんならそこに賭ければよかった。そこをちょっと逃げている感じがしませんか? 多重構造的にすることによって。いまさらこれをやっても別に新しくもないじゃないですか。『トータルリコール』だってあるんだから。

たとえばね、じゃあどうするとより熱くなるかって言えば、これね、精神病院って設定じゃないですか。たとえばね、手術を施してこいつらをずっと妄想の世界に押し込めてやるんだ、みたいな設定でもいいんじゃないですかね。で、敵を倒さないといつまでも妄想の中で永遠に暮らすことになる、みたいな話にする。そうすれば敵を倒す理由も出てくるし、これが決死の戦いに映る。そうしたらほら、仲間の女の子ももっと活かせますよ。この世界を出るってことはあの女の子たちともお別れなんだ、みたいな哀愁も生まれるし、どうせ夢にしか過ぎないその世界が、それにもかかわらず熱さを生み出してくる。それが映画ってもんじゃないのか! そんなのはどうせ作り話。ああそうだ、でも、作り話を作り話と感じさせないでいかに感動させるかってことに、映画人は皆全力を尽くしてきたんじゃないのか!

 女の子が刀剣を振り回して銃をぶっぱなして巨大な敵をやっつけて格好いいよねーっていうのはねえ、うん、「弱点いるやろ」ってことなんです。最初の大きな戦闘でね、でかい鬼武者みたいなやつに、どーんって吹き飛ばされるんです。でも、無傷なんです。か弱い女の子でも何でもないんです。最初から強いし、むしろ鬼武者サイドからしてみれば、「うわ、ぜんぜん効いてない」とどぎまぎしたことでしょう。あの世界でもね、え、何なの、何かしら、うわ、みたいな戸惑いがないんです。端から強くて、どう攻略するかも全部わかっていて、それの連続です。

 やっぱりさあ、なんつうの、「おぼこい」感じっつうの、そういうのがほしいよね。主演のエミリー・ブラウニングはさあ、おぼこさがないんですね。下品なこと言いますよ、いまからぼくは下品なことを言いますよ。あのね、エミリー・ブラウニングにはね、処女っぽさが足りないんだ!
d0151584_11142443.jpg

 こういうヒロインには処女っぽさがいると思うんです。冒頭の哀しいシークエンスとか、あれよあれよという間にすべてを操作されている辺りとか、それを活かすのは処女っぽさなんです。そのおぼこさが健気さとなり、くうっ、エミリーがんばれ! となるわけです。ところがこのエミリー・ブラウニング、まつげひとつとっても、あのなんて呼ぶのかもわからない、くるりっとしたまつげです。キメキメなんです。あんなまつげの女子が処女であるわけがない(偏見大爆発)! この映画はどうも、ものすんごく金をかけたエイベックスのPVみたいにも見えるんです。でも、エイベックスの曲を好んで聴いているギャルみたいなのは、こんな映画は観ない! この映画で喜ぶ層とくるくるまつげは相性が悪い!

!マークが目立つ、冷静さを欠いた発言に気をつけようと自戒しつつ、そろそろ締めます。こういう世界観なり美少女アクションなりは嫌いじゃないですよ。でも、だからこそいろいろいいたくなりますね。微妙な趣味の違いに引っかかるし、そもそも映画的、物語的な部分にも注文をつけたくなってしまうんです。

 いろいろ注文をつけたくなるけど、それは裏を返せば、「いい感じのところはせっかくいい感じなのに!」ということでありますから、総じていえば、まあザックとばっちり趣味の合う人にはいいんじゃないか、とも言えます。スナイダー監督は次作であのクリストファー・ノーランと組むそうです。さて、どういう化学反応が起こるか、楽しみではあります。
[PR]
by karasmoker | 2011-09-13 21:00 | 洋画 | Comments(7)
Commented by ミノワ at 2011-09-14 16:48 x
ありがとうございます。「この映画で喜ぶ層とくるくるまつげは相性が悪い」笑いました、そのとおりですね。「二回言うなよ」もまったくもってほんとうにそのとおりです。
わたしはこの映画、さほど好きではないというか、どうもなんだかちがうきがすると思っていたので、その「どうもなんだか」がわかったような気分です。
Commented by karasmoker at 2011-09-14 21:59
 コメントありがとうございます。
 VSドラゴンもVSナチゾンビも、もっと別の映画で活かしたほうがいいんじゃないかな、と思わされるモチーフなんですよね。この映画にはまどかマギカの魔女みたいな、ポップで怪しいものにしたほうがよかったとも思いますが、まあそれは監督の趣味世界ではないのでしょう。
Commented by pon at 2011-09-16 19:56 x
こんにちわ、はじめまして。
違いますよ。あなたは勘違いしてます。BECKを見ましたか?
あれはあまりにも素晴らしい歌声を、歌わないという方法で
表現しました。歌ってしまうとどんなにうまくても『驚愕』を表現できなかったからです。いい方法でした。
それとおなじだと思いませんか。『驚愕のダンス』を『圧巻のバトル』で表現したのだと思います。だから圧倒的強さでいいのでは?300では映像のみ圧倒されましたが、物語は駄目でした。今回は最近まれに見る傑作だとおもっています。
Commented by karasmoker at 2011-09-17 00:27
 コメントありがとうございます。
 >『驚愕のダンス』を『圧巻のバトル』で表現したのだと思います。

 はい、そうです。ぼくはそのように解釈しています。そんなことは百も承知ですし、この映画の場合言うまでもない。と、いうことを伝えられなかったとしたら、ぼくの文章の拙さゆえでしょう。自戒せねばなりませんね。

>だから圧倒的強さでいいのでは?

 これは強さの説得力の問題ですね。他者を圧倒させる踊りを何のバックボーンもなくいきなり踊ることができ、またバトル世界においてもこれまた超強い。でもそれは結局は現実でも何でもない。要するに、「現実は最悪なのっ、でも夢の中のあたしは超つおいのっ!」ですから、はあ、そうですか、ということです。圧倒的強さでいいですよ。そのほうがアゲアゲですものね。それでいいならそれでいいです。そしてその分だけ、どうでもいいです。
Commented by karasmoker at 2011-09-17 00:30
『BECK』は観ていません。ぼくは宇多丸さん、町山さんに一定度の信頼を置いているため、彼らが酷評した日本映画をわざわざ観ようとはあまり思わないのです。他にも観たい映画はいっぱいありますからね。『BECK』の表現方法が「いい方法」かどうか、未見のぼくには判断できませんので、その点への言及は差し控えることにいたします。
Commented by pon at 2011-09-17 16:35 x
karasmokerさん 怒ってますか?
そんなつもりはなかったのですが・・・申し訳ないです。
あのバトルのパート ザックは『驚愕』であれば何でもよかったんだと思います。「意味なんか必要ない」ってたとえば料理の味をレンブラントの絵で伝えるように。だからストーリーと切り離して考えてくれって思ったとおもいます
すげーことおもいついちゃった なんてね。
まぁ、想像ですけど。
それで超オタクなザックは、ひたすらオタクなオマージュを詰め込んだ。主人公はタランティーノのGOGO夕張です(たぶん?)ドイツ兵は押井守のケルベロス(絶対!)そんで着地シーンはお約束のスパイダータッチ(たとえばエヴァ)など等。
まぁ、すべて僕の思いつきですからまじめにうけとらないでくださいね。

Commented by karasmoker at 2011-09-17 21:04
コメントありがとうございます。
まったく怒ってなどいないのであります。気を遣わせてしまってこちらこそ申し訳ないのであります。記事に対して真摯にコメントいただける方にはいつでも感謝の念でいっぱいなのであります。読み返してみればいくぶんぶっきらぼうな物言いであったなあと反省しております。今後もお付き合い願えればありがたいのであります。

 「ストーリーと切り離して考えてくれ」ということですと、記事でも述べたように、「だったらミュージックビデオか何かでやればよい」とぼくは言いたくなるのですね。レディ・ガガあたりと組んでマイケルジャクソンの「スリラー」現代版みたいなものをつくればそのほうが価値があるのではないか、と思うわけです。映像表現がすごい映画などいくらでもあるのだし、それだけのものに対して傑作性を見いだすことができぬというのが、今のぼくの受け止め方なのであります。
←menu