『哀しみのベラドンナ』 山本暎一 1973

アニメがいくら発展しても追いつけないマジック。撃ち抜かれるド傑作。
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 cinema_syndromeさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

 ぼくは映画館で映画を観るということにこだわりを持たず、むしろ時間も手間も費やさずに観られるDVDを愛するような人間で、ある種の「映画好き」の人からすれば邪道であると見なされそうですが、今回ばかりはスクリーンで観なかったことを後悔したというか、これは大画面の前列で観たならばくらくらほえほえになったのではないかと思われるような、大変に素晴らしい一本でありました。

 手塚治虫の虫プロダクション制作による「アニメラマ」シリーズ第三弾、ということなのですが、手塚治虫は関わっていないそうですね。だとしても、これだけのものをつくられると、アニメってのはどうすりゃいいんだと思わされた作り手もそれなりに生まれたことでしょう。

あのー、キューブリックの『2001年宇宙の旅』が1968年にあって、あそこで映画はひとつの到達を見たというか、もうあの路線でやっても勝てないということがわかってしまったようにも思うんです。だから以来十年、アメリカ映画はまったく違う路線で映画を作ってきたし、『スターウォーズ』は活劇的魅力によってその後のエンターテインメント路線をつくりだした。『2001年』みたいなことをやっても、あの映画には勝てない。21世紀になってCG、VFXがこれだけ進化しても、『2001年』のようなマジックは生み出せない。

 それに近いものを感じます。アニメで言えばそれこそ宮崎駿の描き出した稠密な表現があり、『エヴァ』のような特殊にして広い支持を得る作品が生まれ、『破』では歴史上のアニメでも最高クラスのクオリティの活劇アニメ表現がなされた。

 であっても、それらは『哀しみのベラドンナ』のようなものを生み出せていないのだと思います。この路線で行くのは困難を極めると誰もが思い、回避するほかなかったのかもしれません。
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 観始めてすぐに度肝を抜かれたのはあのタッチです。水彩画を基調としており、なおかつまるで紙芝居のような仕立て。だから、いわゆる「アニメ」を予想していると大きく裏切られることになります。登場人物が喋るときも止め画で、最初のうちは「紙芝居なのか?」と思って観ていました。なんか奇襲戦法っぽいなあとも思ったんですね。挿絵のあるラジオドラマというか、これで本当に90分いけるんだろうか、と不安に感じたりもしました。ところがねえ、この方式によって、ぼくはマジックにかけられましたね。観ていくと、どんどんと引き込まれていきました。キラーショットの連続連続連続。
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 いろいろと書きたいことがありますけれども、まず、なぜ子供が実写の映画やドラマよりもアニメに惹かれるのか。これはアニメというものの特性である「画面情報量の少なさ」が要因だと思っています。アニメは現実よりも視覚的な情報量が少ない。顔の表情や舞台背景も単純化して描かれている。だから、子供の許容量にそぐうわけです。アニメに限らず絵本でもそうですね。子供が認識できるものは少ないので、幼い子供には簡単な絵柄の絵本から見せていくわけです。
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この技法を逆手に取ると、鮮烈に映ってくる。大人が絵本を見ても面白くはないけれど、それは端から子供向けに描かれた絵本を子供向けと割り切って見ているから。そうでない場合、普段数多くの情報を処理することに慣れていると、むしろ絵本的な世界に自分の想像を埋め込んでしまうわけです。これを指し示す便利な日本語がありますね。そう、「抽象」です。アニメを突き詰めていくと、抽象に行き着くのです(そうなのか? 書いてから不安になったけれど、先に進みます)。この映画が放つ抽象性には、具体的な描き込みを進化させ続けているアニメーションでは太刀打ちできない。それが「宮崎駿もエヴァも『哀しみのベラドンナ』には永久に勝てない」ということの意味です(蛇足ですが、もちろんこれは一面を切り取った言い方に過ぎません。ある面では勝てない、ということです)。
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 止め画を連続したあとで映る動き回る画は、普通のアニメよりもずっと鮮烈。細かくキャラクターや背景を動かし、カットを割っている苦労が馬鹿らしくなるくらいに、この技法が効いている。アニメなんだからキャラクターが動いて当たり前、という風に思わなくなるんです、マジックが効いているから。すごく大仰な言い方をしますが、劇中で動く主人公ジャンヌが、生命を持って動き回ろうとしているように思えてくる。決して細密ではないタッチのジャンヌの、ただうなだれるような動きが、妙な生々しさを帯びる。
 
 思えばぼくたちはアニメのキャラクターが動くことに慣れすぎている。アニメなんだからキャラが動いて当たり前と思っている。でも、そうじゃない。水彩画に過ぎなかったジャンヌが動き出したとき、ああ、彼女は生きているのだ、と確かに思う。これはねえ、アニメのキャラを動かすってことがどういうことなのか、ものすごく大胆でラディカルな形式で教えている気がしますね。
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 ちょっと軽い方面から話しましょうか。タイトルの「ベラドンナ」というのはイタリア語で「美しい女性」というような意味だそうですが、主人公のジャンヌが本当に美しい。これもね、普通のアニメでは出せない美しさですね。ジャンヌの美に撃ち抜かれた諸兄も数多いのではないでしょうか。当時、現実の世界のモダーンな美女と言えばたとえば渥美マリ、たとえば緑魔子、たとえば梶芽衣子などが思い浮かびますが、アニメ世界ではダントツにこのジャンヌじゃないかと思える。基本的に全編色調が暗いのですが、このジャンヌはその中で特段の輝きを帯びている。うん、モデルは誰かいるんですかね。ぼくは別に二次元萌え人間ではないですけれど、このジャンヌが現実には存在しないということが、なんだかとても残念に思えます。ほら、これはもうマジックですよ。ジャンヌがあの映画の中だけの登場人物だって? そんな馬鹿な! と思ってしまうのですよ。
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 音楽の使い方もいいし、シーンとの調和も絶品でした。ぼくが思わず「これは素晴らしい」と呟いてしまったのはあの「背徳と姦淫のドライブ」とでも呼ぶべき場面です。あれを実写でやっていたら、あるいは描き込みの細かいアニメーションでやっていたら、あそこまでの感動はない。所詮つくりごと、と思えてくる。でも、意図的に情報量を抜いている分、つい情報に頼ってしまうこちらの現実認識を超えてくる。酒に酔った状態で大スクリーンで観ていたなら、ぼくはくらくらしてへろへろしてふらふらのほえほえになってしまったかもしれません。
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話自体もいいんです。ぼくの好きな悪魔の話です。ベラドンナは悪魔に取り憑かれたような状態になるのですが、その展開がいい。あまりばらしたくないですね。言うなればこれは「ジャンヌ」という名前でありながら、ジャンヌ・ダルクの裏返しでもあろうかと思います。ジャンヌ・ダルクは神の宣託を聞いたと言って戦争に従事し、フランスの英雄になったわけですが、ベラドンナは悪魔ですからね。でも、この映画は素晴らしいことに、悪魔を悪として描いてはいない。神の名を持ちだして特権的に振る舞うのではなく、むしろ権力に対して徹底的に反抗し、そのうえで救いをもたらす。劇中、こんなやりとりがあります。
領主「おまえに100エーカーの土地を授けよう。不足か? それならば貴族の列にくわえよう。貴族のうちでもいちばんの、わしの次の位を与えよう」
ジャンヌ「いいえ、そんなものは要りません」
領主「ならばおまえは何が欲しいのだ?」

 さて、ジャンヌはなんと答えたか。実際に観てもらうのがいいでしょう。
 ここに悪魔性がありますね。うん、ルシファーならばそう答えるだろうね、というものです。神が、あるいは神を信ずる者が支配していた彼らの世界で、ルシファーのいちばんの模範解答はそれだね、というものです。このシーンのジャンヌがまたセクシーです。
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技法的な側面からも、また物語的な面からも、ぼくにはずびびびびびっと来る作品でありました。興行的には失敗したそうですが、わかります。これは成功しないです。でも、人によっては撃ち抜かれること請け合いです。これはすごいものを薦めてもらいました。不要にハードルを上げすぎてしまったのですが、多くの人に観てもらうには多少のハードル上げも厭いません。

 傑作。お薦めします。
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by karasmoker | 2011-09-27 21:00 | アニメ | Comments(8)
Commented by cinema_syndrome at 2011-12-12 01:34 x
レビューしてくださってありがとうございます!
コメントする時間がなくて申し訳ありませんでした。

「哀しみのベラドンナ」が世間に広く知れ渡っていないのには宮崎駿さんのことも間接的に関わっているそうで
http://www.style.fm/as/05_column/animesama68.shtml
東映系と徳間書店の関係が深かったのに、逆に虫プロ系とは浅かったことにあるみたいです。

「じゃあ“哀しみのベラドンナ的表現”はもう途絶えちゃったの?」って言うと実はそんなことはなくて
この映画の中のジャンさんが城から追ん出されるシーンで、階段を流し撮ってるところは

「タッチ」OPの鉄道線路を流し撮ってるところに影響してるんですね
http://www.dailymotion.com/video/x1b9z9_yyy-op-1_music
(00:53より)

これは「タッチ」のOPをつくった方と「哀しみのベラドンナ」の作画監督が杉井ギサブローさんという同じ方だからなんですね。

「哀しみのベラドンナ」と「タッチ」は表向き全然関係ないと思われるかもしれませんが
「南ちゃん」も「ジャンヌ」
どちらも“悪女”としては大したタマだとは思いませんか?ということで
Commented by karasmoker at 2011-12-12 11:11
 コメントありがとうございます。
 『哀しみのベラドンナ』は今日現在、今年観た映画のベスト級です。お薦めいただかなければ観ていなかったと思うので、本当にありがたく思います。
 ブログを拝見しまするに、ぼくのような思いつきの文章とは違い、個々の作品を緻密に調べていらっしゃるのが凄いなあと感服しております。
 レスポンスをいただける方の中では、おそらく最もアニメにお詳しい方であるとお見受けいたします。今後もご教授いただけると嬉しく思います。
 またのコメントをお待ちしております。
Commented by cinema_syndrome at 2011-12-12 13:49 x
お、お褒めに預かり恐縮です・・・
あれは仔細に調べてるというより、結論ありきで無理筋を強引に(ry
僕はkarasmokerさんの「震える舌」の本質が「うんざり映画」だったという鋭い指摘に大げさではなく感銘を受けました。
同監督の「影の車」もそういや「うんざり映画」だったな・・・ということでぜひご覧になってください。

記事と関係ない話になってしまいましてすみませんm(_ _)m
それではまたレビュー楽しみにしてます♪
Commented by karasmoker at 2011-12-13 01:19
 コメントありがとうございます。
 『影の車』というのは知りませんでした。そのうちチェックしたいと思います。
Commented by hi at 2012-04-05 09:59 x
映画ではないけど
4月から放送が始まったルパン3世シリーズ最新作がベラドンナと雰囲気そっくりですよ
少し前だと巌窟王のTVアニメがこういう雰囲気の作風でした
Commented by karasmoker at 2012-04-05 23:07
 コメントありがとうございます。
 新ルパンは一応チェックしまして、オープニングでぼくも同じことを感じました。おっ、ベラドンナオマージュかな、と期待したのですが、いやはや、ベラドンナの高みに下手に登ろうとすると、格好つけのスタイリッシュばかりが際だってしまうんだな、という感想を持ったのでした。
Commented by 八楽 at 2012-11-29 20:27 x
初めてコメントします。
「哀しみのベラドンナ」とは驚きました。
父がリアルタイムで見て度肝を抜かされたというので私も見ました。
70年代の匂いを十二分に味わいました。
仲代達矢さんの強烈な個性がアニメでも健在なのにも驚きました。
これに勝るかは分かりませんが、実験的アニメとしては
「天使のたまご」(押井守監督です)
「BIRTH」
「街角のメルヘン」
はご覧になったことがありますか?
これはOVAなので映画に含まれるか分かりません。ストーリーらしいストーリーも薄くベラドンナほどのインパクトはないかもしれません。しかし、80年代の流行の裏でこのような作品もあったという意味でまだご覧になっていなければオススメです。特に「天使のたまご」「BIRTH」はエヴァにも通じるイメージがあります。
ただ、こちらから勧めて無責任な話ですが、どれも入手困難なので見ようとすると動画サイト頼みになるのが心苦しいところです。
Commented by karasmoker at 2012-11-30 01:40
 コメントありがとうございます。
 挙げていただいた三本は未見であります。今はちょいと映画を観る気持ちが減退しているのですが、短い作品のようでありますし、そのうち観てみようとも思います。お教えいただきありがたく思います。またのコメントをお待ちしております。
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