『レイク・マンゴー アリス・パーマーの最期の3日間』 ジョエル・アンダーソン 2008

 「しょせんフェイク」が「しょせん現実」を超えるには。
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オーストラリア製の擬似ドキュメンタリー作品です。日本ではDVDスルーだったんですかね、副題は完全に日本の売り手がつけたものでしょう。リンチの『ツイン・ピークス』劇場版『ローラー・パーマー最期の7日間』にあやかろうとしたんでしょうけれど、え、いまさらそれにあやかるの? 『ツイン・ピークス』観ていないけれどおそらくまったく内容的類似性はないんだろうし、登場人物の名前に「パーマー」が入っているだけでそんな副題つけちゃうの? という部分について売り手の説明を求めたいところです。

 内容としては、アリスという少女が水死体で見つかり、彼女の死因や周辺に関して家族のインタビューを中心に解き明かしていく、というような筋立てです。フェイクならではと言えるのは彼女の幽霊と思しき影が随所に現れてくるところで、これが作品全体のアクセントになっているわけです。
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 しかしまあこと擬似ドキュメンタリーという手法において、現代は昔と比べて難しい時代になったのではないかなあと思います。ここで言う「昔」の意味は「ネットが今ほど普及していなかった時代」ということですが、その頃であればもっと簡単に真実みを与えられたと思うんですね。創作に限らず実際の出来事についても同様ですけれど、一般の人間が今ほど情報を吟味できない時代だったわけで、「これはもしかしたら本当に起こったことかも知れないぞ」という風に観ている側を騙しやすかった。

『ブレアウィッチ・プロジェクト』なんかはその意味ではいいタイミング、ある意味で絶妙なタイミングだったとも思うんです。あれは1999年ですけど、今ほどにネットは広まっていないし、その反面、ネットを介して情報をそれらしく伝えることができた。マスメディアとは違う情報媒体としてのネット、それに今ほどの免疫が備わっていなかったから、「いや、もしかしたら本当にあったことなのでは。今まで報道されてこなかったタブーの類なのでは」という雰囲気を生み出せたわけです。2ちゃんねるの「鮫島事件」とかもそうした一例と言えましょう。でも、この10年でそれはもう無理になりました。ネットでちょっと検索すれば、それが本当かどうかだいたいわかってしまう。だからこそ擬似ドキュメンタリーはもはや、「これはドキュメンタリーの体裁を取った創作です」という態度から逃れることはできなくなってしまった。

 また同時に、ネットの普及、ビデオカメラの普及などによって、小さな組織レベル、個人レベルでドキュメンタリーがたくさん撮られるようになった。個人配信のニコ生、Ustreamなんかもそのひとつで、実際のドキュメンタリーで驚かされるようなものが歴史上かつてないほどに数多く観られるようになった。リアルタイムで放送事故的なものに遭遇する機会も多くなり、生々しいものに触れることが容易になった。

 さて、そうした背景の中で擬似ドキュメンタリーは今まで以上に、それが擬似であるというところからのスタートを余儀なくされます。現実味を帯びさせようとしながら、「しょせんフェイク」だとみんなにばれている。その中でできることは、「しょせんフェイク」と知れながらも、「あるいはここで描かれることは現実にあるのかもしれない」と思わせること。劇映画とは違う手触りで、「端からフェイクと知れたフェイク」に、「しょせんフェイクだ」と感じさせずに、真実みを帯びさせること。これはすごくハードルが高いなあと、観ながらずっと考えていました。
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 観る前の情報で擬似だとわかっていたぼくは、「しょせんフェイク」ということから逃れられず、また撮り方それ自体も、「しょせんフェイク」でありながら真実みを帯びさせる努力がもうひとつ足りなかったのではないか、と感じました。
 簡単な話。アリスの死が序盤で明かされる。すると映画は家族のインタビューに移り、その内容は「死んだのを今でも受け入れられない」とか「どうして死んだの」的な話が中心になる。それも定点撮影の普通の証言形式です。それをいくらやられたところで、「だって本当は死んでないだろ」と思ってしまう。ぼくは人並みにドキュメンタリーは見ているし、ニュース映像もあるし、その中で実際に近しい人を失った人々の顔を目にしている。それに比べれば、さっぱり意味のないものにしか見えてこない。
 
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 これが劇映画なら違います。劇映画はひとつの、現実とは離れた虚構の時空を打ち立てようとしています。優れた劇映画はその表現の意匠によって、「しょせんつくりごと」とは感じさせない。その中に実際に生きている人間として立ち上がらせるし、こちらはこちらで、物語を見る際のモードで受け入れることができる。でも、擬似ドキュメンタリーはそうじゃない。なまじ現実と連なっているからこそ、劇映画以上の配慮が必要になる。この映画には、その配慮が欠けていると思えてなりませんでした。擬似ドキュメンタリーに対して言ってはならないことかもしれませんが、「現実ごっこ」に見えてならなかった。
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 擬似ドキュメンタリーが「現実ごっこ」とは一線を画す最適な方法の一つは、現実にはあり得ない(と思われる)ものを映し出すことです。擬似ドキュメンタリーが「しょせんフェイク」である一方、実際のドキュメンタリーは「しょせん現実」。しょせん現実、というのは変な言い方に思えるかも知れませんが、ドキュメンタリーが原理的に逃れられないくびきは、対象が現実であることそれ自体なのです。

 わかりにくいですね。ぼくがもっとも優れた擬似ドキュメンタリー映画のひとつだと思っている白石晃士『オカルト』(2009)を例にあげましょう。

 あの映画では「啓示を受けたと思いこんで殺戮に踏み切る男」の様子が描かれます。そして映画の中ではオカルトめいたものがいくつも出てきて、合成ですがカメラにもそれらしきものが映し出される。これは「しょせんフェイク」です。しかし、「しょせん現実」しか映せないドキュメンタリーとはまったく違う、「もしかしたらありうるかもしれない現実像」を描き出しています。ドキュメンタリーでは、ぼくたちはある限定された現実をしか観ることができない。現実は確かにこうである、という域に留められる。しかし、『オカルト』では、まさにそのオカルトというモチーフにより、「本当に『しょせんフェイク』と片付けられるのか」「現実にはこの男のような人間がいるのではないか、いやいたとしてもぜんぜんおかしくない」「現実には人知を超えた何事かがありうるかもしれない」「仮にないとしても、それをあると思う人間が確かにいる」と感じさせる。現実はこのようなものだ、という捉え方を、フェイクによって壊してくる。ぼくたちの見ている現実が、フェイクではない確証があるのか?

 『レイク・マンゴー』ではそのようなモチーフとして「アリスの幽霊」が登場します。
 このモチーフがねえ、うーん、どうやねん、と。
 音楽の感じなんかもね、アリスの幽霊が怖いものみたいに演出されているんです。でも、この家族にとって見れば愛する娘でしょうし、もっと好意的であってもいいと思うんです。これが誰かわからない幽霊につきまとわれているとかなら別ですけど、正体割れてますからねえ。幽霊っていうのはいわば人知を超えた存在だし、フェイクドキュメンタリーの要素としてはありだと思うんですけど、身元確かな幽霊だったら別にいいんじゃないですかねえ。なぜかあれが不気味な色合いをもって描かれるんですけど、今思い返してみるに、家族含めアリスを取り巻く周囲の人々が、彼女を本当に愛していたのやな、という風に見えてこない。そうなると「しょせんフェイク」であるところの彼女の実像自体がもはやつくりもの以外の何者でもなく思え、家族が最終的に何をどうしたいのかもわからない。
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 もっと言うと、これは映画とずれますけど、ぼくね、幽霊って何をしたいのかもうひとつよくわからないんです。このアリスの幽霊もね、写真やビデオで遠巻きに映ってカメラのほうを向いているんですよ。で、何やねんと。おまえは何をしたくてそこにいるねんと。これは幽霊一般に言えます。たとえば心霊写真で顔だけ映る幽霊がいる。でも、おまえはなんで写真に写りたいのや、と思いませんか? 集合写真でみんなピースをしている中で、あれ? 手が一本多い! きゃあああ! 
 何やねん。なんで集合写真で手だけ出そうと思ったんやその幽霊は。
あるいはあれですかね、怖がらせてやる、と思っているんですかね。何なんですかその幼稚な目的は。それとも何かを伝えたいのですかね。なんで写真やビデオに映るんですかね。気づいてもらえないかもしれないのに。直接現れたほうが早いのに。幽霊は写真やビデオにしか映っちゃいけない決まりなのでしょうか。もういろいろとよくわからない。
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 だから『レイク・マンゴー』のアリスにはぜんぜんぴんと来ない。
ラストもね、アリスの母親がカウンセリングを受けるんですけど、家の中を想像しながら「アリスの姿はないわ」みたいな落ち着け方をするんです。なんですか。しょせんはおまえの内面問題だったんかい、と思います。いろんな手がかりを見つけたり彼女の秘密を暴いたり何なりして、お母さんがすっとしたねみたいな話ですよ。アリスの正体を暴いて、そうしたらもう満足なんですかね。もう幽霊化した娘なんて怖くて嫌だなってノリですかね。もうアリスが可哀相すぎるよ! 結局ラストも家に置いて行かれちゃったじゃん!
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 と、いろいろ言いたくなる作品でありました。ぜんぜんこちらの現実認識を揺るがせてくれない、登場人物の内面もすかすかな「しょせんフェイク」だという風に思ったわけですが、さていかがなものでありましょう。
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by karasmoker | 2011-11-10 00:00 | 洋画 | Comments(7)
Commented by at 2012-02-02 12:07 x
無駄に文章が長いわりに中身のない退屈な映画批評でした!他人に公開するならもう少し頭を使って勉強しましょうね!
Commented by karasmoker at 2012-02-02 20:03
はあ
Commented by karasmoker at 2012-02-02 20:30
頭が悪くて勉強ができないっていうコンプレックスを、持っているのかなあ。
Commented by at 2012-03-22 03:13 x
文章から頭の悪さが滲み出てる
時間使って書いた文がコレなら
相当な低脳なんでしょうね
Commented by karasmoker at 2012-03-22 07:19
たった三行で自分の下品さを表現なさるとはなかなかのお方。
Commented by at 2012-10-10 08:41 x
参考になりました。借りてきたけども、ブレアウィッチ系は嫌いなので見ないことにします。
Commented by karasmoker at 2012-10-13 23:17
コメントありがとうございます。それはそれでのご判断であります。
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