『3時10分、決断のとき』 ジェームズ・マンゴールド 2009

西部劇の武器を存分に活かした傑作だと思います。
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原題『3:10 to Yuma』
 そういえばこのブログではぜんぜん西部劇を取り上げていないのですけれども、おそらくぼくは西部劇感度が高くないのですね。傑作と言われる昔の西部劇とかを観てもいまひとつ乗れないこと多々でありまして、どうも楽しみ方がよくわからん、というのもあったりするのです。『ワイルドバンチ』はわかるけれども、『リオ・ブラボー』がわからない、という人間なのです。

そんなぼくですが、本作は大変に面白かったです。西部劇の面白さというか、西部劇というものにぼくが潜在的に求めていたものが、ばっちり入っていたのです。
 本作は1957年の『決断の3時10分』のリメイクでありまして、そちらは観ていないので深い話はぜんぜんできそうにないのですけれども、なんというか西部劇ってつまりこういうことなんじゃないか、というのがひとつわかった気がするのです。おいおい話していきましょう。
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 主人公のクリスチャン・ベールは南北戦争の退役軍人で、家族とともに貧乏な牧場暮らしをしています。戦争で片足を失い、借金にも追われてさんざんな目にあっています。
 そんな彼と息子たちは借金の交渉のためにと街へ行く道すがら、ラッセル・クロウを首領とする強盗団たちに遭遇します。命を狙われそうになりつつなんとか生き延びるのですが、向かった先の街でなんともう一度ラッセル・クロウに出会ってしまいます。
 しかしこのとき既にクロウは保安官たちに囲まれていて、お縄につくことになります。 彼はユマという場所にある刑務所に連行されることになります。 
 なんだ、ほっと一安心、と、そうは行きません。
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 クロウの配下の連中が彼を取り戻そうと狙ってくるに違いないのです。ユマ行きの汽車があるコンテンションという町まで、彼を護送せねばなりません。大変に危険な旅になるだろうから無事連れて行けば大金をもらえる、というわけで、クリスチャン・ベールは同行を願い出るのでした。

「護送もの」というジャンルで言うと、ぼくが好きなのはイーストウッドの『ガントレット』や、マーティン・ブレスト監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『ミッドナイト・ラン』が好きです。どちらも現代劇ですけれど、善玉と悪玉が呉越同舟でともに旅をしていくというのは緊張感の構造としてよくできています。両者の間でも、いつ逃げるんじゃないかという緊張感が生まれるし、彼らをまるごと狙ってくる相手に対しても緊張感が生まれるし、二重の構造があるのですね。
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 本作はその辺を実に巧みに織り込んでいます。とてもよくできていると思うのですが、何か賞は受賞していないのでしょうかね。同年のアカデミー賞はと調べて観ると作品賞ノミネートもなく、他には『ノーカントリー』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。くわ、これは強敵です。『フィクサー』とか『レミーのおいしいレストラン』とかもあります。これはなかなかの粒ぞろいであります。アカデミー賞は映画会社の中で何を押すかとかそういうのも大いに関連しているとも聞きますが、ゴールデングローブ賞にもぜんぜんノミネートされていません。リメイクだからというのもあるのかもしれませんが、これはもっとちゃんと評価されてほしいと思います。IMDBを観るとノミネートこそあれ、作品として賞を取ったのは「ウエスタンヘリテイジ賞」しかないようです。
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 本作は「旅団の中での緊張」「旅団の外からの緊張」「奪還をもくろむ敵との緊張」が綺麗に織り込まれ、その折りごとに異なる見方を提示してくれます。そしてここにおいて、西部劇というものの特質が存分に生かされていると思いました。

 日本の時代劇の場合、「秩序の不条理」が武器です。『忠臣蔵』がわかりやすいですけれども、「お上が決めたことだからどんなに不条理に思えても従え」というのがあって、その中でどう抗うのかというのが物語を厚くしているのですね。今年観た中でいうと『必死剣 鳥刺し』がその良さを活かしていますし、『13人の刺客』もまた秩序の不条理に挑戦していく話です。

 では西部劇はどうかというと、こちらは反対に秩序がありません。南北戦争で国内が分かれ、移民と先住民の対立があり、保安官はいるにせよその広大な国土ゆえに悪党はやりたい放題、キリスト教に頼るわけにもいかない。

 その背景を有したうえで、クリスチャン・ベールとラッセル・クロウの旅路はより意義深いものになります。ラッセル・クロウは人殺しの強盗ですが、この映画ではジョーカー的な役割を果たしています。道中、いわば善玉サイドであるはずの同行者を殺すのですが、そもそも彼が善なるものと呼べるのかが疑わしい。途中で過去の恨みからラッセル・クロウを殺そうとする相手が出てくるのですが、その場合も私刑はよくないと言ってクリスチャン・ベールがその相手に立ち向かう(2000年代のクリスチャン・ベールはまさしくバットマン的な存在として活躍していたのですね)。アパッチの襲撃をクロウの力によって助けられる。観ている側は悪人クロウを単なる悪として見なすことは許されなくなる。ぼくたちにとって、悪とは何か、秩序とは何かを突きつけてくる。彼が聖書の言葉を口にしつつも、終盤、聖書をまるで信用していないように描かれるのは実に説得的です。
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きわめつけは終盤でしょう。この展開には驚きました。こういうことが起きる西部劇って他に何かありましたでしょうか。ばらします。

 二人がしばし留まることになったコンテンションの町のホテルをかぎつけ、クロウ奪還を狙う強盗団が駆けつけてきます。ここまではまあ予想できるところ。しかし、ここで強盗団のナンバー2、ベン・フォスターが町の人々に向かって叫びます。
「護衛の保安官たちを殺したら金をやるぞ!」
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これによって町にいた何の関係もなかったはずの人々が一斉に敵になってしまうのです。 保安官はこりゃ駄目だと言って逃げ出し降参しますが、あえなく殺されます。
 秩序が完全に崩壊するのです。

 ここでバットマン的な存在、クリスチャン・ベールは「決断のとき」を迎えるんですね。 ラッセル・クロウからも、「逃がしてくれれば金をやるぞ。いいじゃないかそれで」と言われます。しかし、ベールは決断するんですね。
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 ここではひとつ、過去に死んでいった仲間たちの存在が思い出されてぐっと来ます。
 今ここで折れたら、あいつらに申し訳が立たないじゃないかって。何のために死んだんだって。確かにここで折れれば賢いかもしれない。この状況を合理的に安全に回避するには賢明な方法に違いない。でも、それをするわけにはいかないんだ。彼が足を失ったときのエピソードもそれを助ける。もしもここで逃げたら、自分は一生誇りを持てずに生きていくことになるぞ。ベールは決死行に踏み切ります。

 クロウはクロウでこれまた格好いい。クロウの存在は実にこちらを不思議な気持ちにさせます。「俺は根っからの悪人だ」とうそぶくクロウを、ついに最後の最後に、ベールが動かしているんですね。ベールはついに勝利したんです。
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アマゾンのレビウを観ると、星一つをつけているやつらがいて、「善人なのか悪人なのかはっきりしろよ」とか「ラッセル・クロウは単に頭のおかしいやつ」とか「要らないものが多すぎる」「見分けがつかなくなる」だそうで、お一人などは高校の行事で観ることになって、ほぼ全員の感想が「ひどい!」だったとか。ひどいのはてめえらの幼さだよと言いたくなるのですが、まあ学校では秩序を学べばよいので仕方ありません。
 
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 上記の通り、何が善で何が悪なのか、秩序がぶち壊れている中で人はどのように揺り動くのかを追っているのです。何が善で悪かはっきりしないと観られないなら、昔の仮面ライダーを延々と観ていればいいのです。実写映画版『怪物くん』とかを観て洟を垂らしていればいいのです。

 最後に、原題にもなっていますが、アメリカにはユマという町があるのですね。ユマといえばぼくにとってはユマ・サーマンでも中村由真でもありはせず、もちろん恵比寿マスカッツの現リーダー、麻美ゆま様であります。ゆま様をユマに連れ立ち、「ここは君の町さ!」と言いたいものであります。阿呆のきわまることを言って、今日はここまで。
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by karasmoker | 2011-12-07 21:00 | 洋画 | Comments(2)
Commented by オッスオッス at 2011-12-08 11:44 x
アマゾンレビューは知らんけど、オリジナル版を見ているか、見ていないかで評価が変わる作品。見ている人からするとキツい。元が良いから上澄みを掠め取っただけに思える。
Commented by karasmoker at 2011-12-08 23:57
 コメントありがとうございます。
 オリジナルもそのうち観てみようと思います。
 どちらに先に触れるか、というのは大きいかもしれませんね。
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