『サロゲート』 ジョナサン・モストウ 2009

SF的想像力に訴えかける作品。
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近頃はいろんな方面の「未来」についてあれこれと考えていて、SF映画をあらためて興味深く観ている次第です。何かお薦めのSFがあったら教えてもらいたいです。本作は『ターミネーター3』の監督による、アメコミ原作のSFで、タイトルである"surrogate"
とは「代理人、代行者」という意味です。劇中で動き回る登場人物はいわばロボットで、じゃあ人間は何をしているのかというとベッドに寝そべり、マシンによって脳波を伝達し、そのロボットを動かしているのです。人間の存在は意志として機能している一方で、実際の物理的世界ではロボットたちが活動している、という世の中なのです。

ロボット、と書きましたが、この種の試作品のようなものは既に完成していて、知能ロボット工学者、石黒浩教授のグループがこの方面の研究を日夜進めているようです。「ジェミノイド」と名付けられています。この動画は『サロゲート』の原初を実現していると言えましょう。




物語構成よりも、この世界設定自体から考えを膨らませたくなります。SF的想像、というやつです。たとえば映画では、街を歩く人々は全員がサロゲートなのです。そしてそのサロゲートは、実際の人間よりも多分に美化されていたりする。いやそれどころか、年齢も性別も、自分の理想的なスタイルにして動かすことができるのです(映画で鍵を握るのは『Virtual Self Industries』)。面白いなと思ったのはこのくだり。序盤で男女二名のサロゲートが破壊され、その操作主も同時に殺されるという事件が起こるのですが、なんと若い女性のサロゲートを操っていたのはひげ面の太ったおっさん。つまり、サロゲート同士のやりとりでは、実際の相手の姿など、まったくもってわからなくなっているわけです。
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これは既にネット上で実現していることですね。日本では大コケしたセカンドライフですが、あれなどは自分のアバターを手軽に設定できるわけです。パソコン通信の草創期からネカマと呼ばれる人々はいただろうし、今もツイッター上で、自分の身分を偽ってやりとりしている人がそれなりにいるのでしょう。
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 このサロゲートのような再現度のジェミノイドが誕生するのははるか先のことでしょうけれど、実際の近未来像として予測できるのはたとえば、アバターコミュニケーションの発展です。ぼくはこれは結構濃い線だと思います。

 PSvitaでも『みんなといっしょ』というゲームが発売されていますね。キャラクターのアバターを通じて、コミュニケーションをしていくというもの。オンラインゲームの発展は既に言わずもがなだし、どれくらい先かわかりませんがあのドラクエの次回作でも、オンラインコミュニケーションが取り入れられる。このようにゲームという領域でアバターコミュニケーションは発展を見ていますが、いずれこれはゲームをしない人たちにも訴求していくと思います。何年先になるかわかりませんが、ツイッター、セカンドライフ、オンラインゲームのようなものが組み合わさった大きなメタバースができるんじゃないかと期待しています。3D技術も発展しているし、かつて夢見た未来の象徴みたいな、あのヘッドマウントディスプレイも登場した。現実がジェミノイドに覆われる日の前段階として、アバターコミュニケーションが広まっていくだろうと予想しています。

 そうなったとき、コミュニケーションの質はさらに変容する。これはとても面白いことであるなあと思います。映画に話を戻しますが、肝心なこととして、この作品ではあくまでも人間の意志によってすべてが動いている、ということです。たとえば『ターミネーター』、たとえば『マトリックス』、たとえば『トランスフォーマー』、どれにせよ出てくるのは、人間ならざるものの意志です。機械が人間を支配するとか、機械が人間以上の知能で攻めてくるとかそういう世界観。でも、『サロゲート』は違う。あくまでもサロゲートは器に過ぎず、それを人間がどのように使うかという世界になっている。その点においてのリアリティがあったのがよかった。
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 映画全体を通して観ると、設定的にどうやねんみたいなのはいっぱいあるんです。だから今回は映画そのものではなくて、映画に描かれている技術や思想について考えてみたい。ブルース・ウィリスの髪の毛がふさふさ、とかそういうのできゃっきゃするのは他の人に任せておきます。
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 90分程度にいろいろ詰め込んでいるのですが、考えの種をたくさん撒いてくれています。そこからSF的想像をしてみたいのですが、たとえば面白いのは、皆が皆、理想的なサロゲートにしているせいで、美男美女ばかりが出てくるというところです。サロゲートに反対する人間の集落が出てくるのですが、その人たちは太っていたり不細工だったりする反面、サロゲートは皆若くてきらきらしている。さて、そういう世界が実現したとき、果たして顔や美というものはどんな意味を持つのか。性というのは意味をなすのか(そういえばこの世界では生殖活動はどうなっているのでしょう。その辺が甘い映画ではあります)。そもそも、現実の世界を動かすことに意味があると信じられるのか。
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 物語的なネタをばらしますので、そのつもりで(このような注意書きは無駄だなあと思っています。何か簡素な記号で済ませたいところです。考えておきます)。

サロゲートが動き回る現実に対して反旗を翻す人が出てきます。その張本人はなんと、そのシステムの第一人者である博士なのでした。自分でつくっておきながら、こんな世の中は間違っているのじゃい、人間らしくあらねばならんのじゃい、と言って壊そうとします。暴走しきってしまい、人間まるごと殺してしまえ、という発想に行ってしまいます。

 一方のブルース・ウィリス。そうはさせるかといって人々の命を救うのですが、ふと立ち止まります。彼にはサロゲートを通じてしか自分と話そうとしない妻がいて、彼女をなんとかしたいと常々考えていたのです。だから迷い、迷い、迷った末に、すべてのサロゲートをシャットダウンすることにしてしまうのです。

ぼくは『エスケープ・フロム・L.A』を連想しました。あの映画でも、主人公のカート・ラッセルは、管理社会をぶちこわしてすべてを近代以前のように戻してしまえ、という最終決断をするのです。『サロゲート』と共通する、劇中の社会システムの否定です。
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勝手な話っちゃ勝手な話です。このブルース・ウィリスは、家族がインターネットに没頭して困る、だからインターネットシステム自体を壊してしまえ、みたいなことをやっているわけですから。甚だしい極論というか、幼稚な考え方なんです。このような技術が実現した世界では、あんな思想自体が間違いでしょう。ですからね、SF映画としてはちょっと褒めにくいところもあって、なぜなら技術が高度に進んだ時代を描きつつ、今の価値観を当てはめているからです。あのブルース・ウィリスにしたって、妻がちゃんと向き合えなくなったのは、現実のコミュニケーションの問題だろうと思いますね。それを、技術やシステムを壊したら我々の健全なる人間性は回復するのだ、みたいにするのはどうやねん、なんです。それはおかしな話ですから。

 まあ、サロゲート社会を賛美するような終わり方というのは難しいのでしょうし、観客のウケを考えれば現実肯定に行くのもわかりますけれど、もったいなさを感じます。そこにもったいなさを感じさせることもわかったうえで、作り手はたぶんやっているんでしょう。なのでつまるところ、これはこれで別によいのです(どないやねん)。
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ストーリー展開やらなんやらよりも、こういう社会だったらどうなるだろうね物事は、という想像を膨らませるという点で、よい映画だと思います。おわり。
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by karasmoker | 2012-01-21 00:00 | 洋画 | Comments(2)
Commented by pon at 2012-01-22 15:42 x
こんにちわ。時々おもうのですが、最近は管理人さんの新しい記事を読む為にまずその記事の映画を見る。読んでしまうとネタバレしているかもと、思うからです。管理人さんの記事を読みたいからそれに合わせて映画を結構みています。モンスターVSエイリアンも家族で見ました。お父様の肩身が狭かったです(笑)。サロゲートも持っていると思うので探して見てみます。お薦めのSFで管理人さんが見ていなさそうでしかも近未来ロボット物というと思い当たるのは「アイボーグ」か「ロボット」(インド映画)前者はプロットはいいのですが超B級です。後者は日本公開は少し先になりそうですが、かなりのカルチャーショックです。ただメチャメチャ長いです。「リアルスティール」も結構よかったです。
Commented by karasmoker at 2012-01-22 19:48
 コメントありがとうございます。
 おっしゃるような形でブログを読んでもらえるのはなんともありがたいことであります。内容に踏み込むには内容をばらさずにはおれぬため、観てから感想を照らし合わせる感覚で読んでもらえればと思います。
『アイボーグ』『ロボット』というのは知りませんでした。『リアルスティール』はDVDになったら観ておこう、という感じであります。SFというのは、「もしもこの世界がこのようであったら」という虚構を提示してぼくたちの現実を照らす作用があるので、その辺の刺激がもらえるものに触れたいなあと、常々思っております。
 またのコメントをお待ちしております。
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