テレビCMの未来を考える。

ツイッターに投稿しようと思ったのですが、あまりに長くなったのでこちらに。
 今回は、昨年もたまーにやっていた、映画とはぜんぜん関係ないお話です。なんだ、映画評じゃないのか、じゃあ読まない。というのも結構です。テレビやテレビCMに興味のある人にはご意見を頂戴したいです。

  テレビCMの未来について考えてみたいと思います。
 テレビ衰退論が叫ばれて久しいですが、その主因は「ネットの躍進によって、テレビが広告媒体としての優位性を失いつつあること」でありましょう。
 では広告におけるネットの強みとは何なのでしょうか。
 それはつまるところ、費用対効果でありましょう。安い宣伝費、制作費の一方で、どんなユーザーがどういう広告に反応しているかがわかる。
 この点を克服できない限り、スポンサーがテレビという媒体を選ぶ理由がいっそう希薄化していくに違いありません。テレビが持つ現在の優位性は唯一、マスであることだけ。視聴率至上主義などと揶揄されますがこれは無理からぬことで、DVD売り上げやオンデマンド配信でマーケットを開拓するといっても、スポンサー企業に寄与できなければ十分な制作費を確保できません。
 マスな広告媒体としての優位性にも、レコーダーの発達による録画機能の充実で大きな穴が開いています。「録画で観る人々が増えたので、視聴率が下がっている」という言い方は「CMを飛ばす人が増えている」と同義なのです。
 かような状況によってテレビはネットの追い上げを食らいます。そしてテレビは衰退する。とこういう話になるのです。処方箋はあるのでしょうか。まったくの門外漢ながら、考えてみたいと思います。
 
 技術的な解決が必要でしょう。次の二点が可能となれば、人々に効果的にCMを見せることができます。
 一点は「個々の視聴者に応じたCMの放送」です。現在のテレビCMは、番組ごとの違いはあるにせよ、結局は画一的なCMしか流せません。個々人が情報を選べる時代にあって、それらは多くの場合、ノイズでしかないのです。多くの若者にとって生命保険のCMはただのノイズ。男性にとって生理用品のCMはただのノイズ。多くの主婦にとってテレビゲームのCMはただのノイズ。ノイズの多い媒体など、観たくない。
 だからこそ視聴者に応じたCMが有効かつ必要になります。視聴者がCMを選ぶ、という方法です。たとえば選択画面で、不要な種類のCMにチェックを入れることができるようになれば、もしくは必要なものだけにチェックを入れられれば、限定された分野だけのCMを観ることができます。分野は多岐に渡るわけですが、たとえば「映画」「自動車」「IT機器」「食品」「医薬品」などなどをチェック項目とし、能動的な選択を可能とするわけです。最低一つのチェックを残すように設計できれば、何も映さないという選択肢を除外できます。訴求性は間違いなく向上し、効率は飛躍的に上がるでしょう。同じ種類のCMに飽きてきたら、「同じ種類のCMばかりってのもあれだな」と思い、能動的にジャンルを増やすこともあるかもしれません。
 その場合、広告制作についても多様性が要求されます。二点目です。
 現在は微妙にパターンの違いがありこそすれ、同じ企業の同じCMを見せられることが常です。だからこそ、「このCMはもう観た」というザッピングを促進するのです。であるならば、微妙にスタイルを変えて放送するべきでしょう。たとえば車のCMならば、商品の車にいろいろなところを走らせる。たとえば医薬品のCMならば、いろいろなシチュエーションを撮る。たとえばゲームのCMならばいろいろなプレイ画面を見せる。たとえばタレントがダンスを踊るようなCMならば、いろいろな曲調や振り付けを用意する。同じものを見せられるイライラからは開放され、商品の見せ方を多面的にできる。作り手の勝手なこだわりで同じ場面に数十、数百回の撮影を重ねる余裕があるのなら、もっと効率的な方法があるはずです。面白いパターンをつくれれば、「他にはどんなパターンのCMがあるのかな」と注目させることもできます。今であればそれこそ、AKBの各メンバーごとのパターンでCMをつくるなんてことをすれば、多数のファンが食いつくに違いないわけです。 録画機能を「CMが飛ばされるもの」として敵視するのではなく、むしろ活用する。オンデマンドでCMを見ることは、現在のレコーダー機能の発展範囲で、十分に可能です。

 さて、長々述べましたが、ぼくはこの分野についてはまったくの門外漢。ゆえに、それがどれくらい難しいことなのかもわかりませんし、広告に携わる人々からすればとっくに考え尽くされたことなのかもしれません。しかし、テレビの広告媒体としての衰退を食い止める方法があるとするなら、上記のような方法が有効だと考えたわけです。技術的に無理だね、と言われるかもしれませんが、レコーダーにしても、昔は一ヶ月単位で全番組を録画できる時代が来るなんて夢のような話だったわけです。家電メーカーの研究室の大型コンピュータでも一週間分がせいぜい、なんて時代が十年前。それが今じゃあ家庭用レコーダーでずっと大きなことができるようになった。ケータイの発展は言わずもがな。であるならば、放送にもそういうことが可能なのではないか、せっかくデジタル化したわけだし、なんてことを考えたわけです。

 うーん、どうなんでしょう。仮に可能だとしても、コストパフォーマンス的に成り立たないでしょうかねえ。「自社のCMを見ない層」は確かに拡大するだろうけれど、かといって見てもらってもしょうがない人に見せても意味がないでしょう。ぼくにおむつのCM見せたって意味ないっす。ぼくに化粧品や生理用品のCM見せたって意味ないっす。そんなぼくにまで莫大な費用を投じてCMを見せるのは、純粋な企業的損失でしょう。だったら、見せるべき相手に届けるシステムの構築が必要なんじゃないかなあ。それに同意する企業からお金を募れば、システムは構築できるんじゃないかなあ。夢想なのかなあ。デジタルに万能性を期待しすぎなのかなあ。うーん。でも、これ以上の方法って、今のぼくには思いつかないなあ。今の枠組みの中で考えたらテレビは衰退するだけでしょうしねえ。

 最近はいろんなものの未来について考えているので、そのひとつとして書いてみたのでした。ご意見いただければ幸いです。おしまい。
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by karasmoker | 2012-01-27 22:00 | Comments(7)
Commented by なめこ at 2012-02-07 02:26 x
最近CMが我々に与えるイメージや影響について考えていたので興味深く読ませて頂きました。CMを商品購入のための情報としてとらえるならばkarasmoker さんの提案は有効だと思います。しかし、いち視聴者の私としては、商品への興味と関係なく、面白いCMが見たいという気持ちがあります。あまり詳しくないのですが欧米や欧州諸国に比べて日本のCMは短く、タレントが商品を持って笑うだけ。という印象があります。もちろん私も自分の好きな女優が出ているCMに何となくの好印象を抱き購入してしたりするのですが。CMが情報としての役割だけでなく作品としての側面を少しでも持つことが出来ればノイズから脱出することが出来るのかと思ったりもしました。
Commented by karasmoker at 2012-02-07 22:15
 コメントありがとうございます。
 外国については何の知識もありませんが、日本のCMはわりと作品的側面を持っていると思います。ドラマ仕立てのCMも数多くあるし、CFディレクター出身の映画監督が出ている点からもそれは言えるでしょう。ただ、それでもCMは録画視聴で飛ばされやすいし、リアルタイムでもザッピング対象になるわけで、その要因は「自分に不要な情報だ」「同じものの繰り返しだ」というところにあると考えたのです。いくら作品性があっても、同じものならノイズ化する。作品性と言っても、それに惹かれるか否かのばらつきは生まれる。その二点を克服する方法として、記事のような発想を持ったのでした。
Commented by なめこ at 2012-02-09 01:04 x
それもそうですね。海外の事は私も詳しくなく、ジョナサングレイザーやスパイクジョーンズの作ったようなCMやペプシのような作品が多いのかなぁ、と憶測で比較していました。確かに面白いか面白くないかには個人差がありますから難しいのかもしれません。上記のようなことを社会の授業の作文に書いたのですが、先生にも同じようなことを言われてしまいました。
Commented by karasmoker at 2012-02-09 19:32
「社会の授業の作文」とはこれまた香ばしいフレーズでございます。
Commented by なめこ at 2012-02-10 02:12 x
厳密には社会ではなく、公民で、作文ではなくただのノート提出だったのですが、簡略化して書きました。香ばしくなるとは思いませんでした。何だかすみません。
Commented by karasmoker at 2012-02-10 08:07
香ばしいは肯定語なのでございます。
Commented by kusaka at 2017-10-24 10:26 x
未来の世界にCMはなくなります。
理由は、AIの発達により、人は生きるために働く(稼ぐ)必要がなくなるからです。
そうなると、必要なものは必要な時に、必要なだけ手に入れればよい社会になります。
現在は将来のために利益を先取りする必要があるので、結果的に企業は、本来必要ではないものまで買わせて利益を上げようとするのです。
そのための手段の1つとしてCMがあるのです。
でも、必要以上に売る必要がなくなればCMはいらないのです。その人が欲しいだけを売ればいいのですから。
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