『パンチライン』 デヴィット・セルツァー 1988

笑いを尊ぶ人にお薦めします。
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 ぼくは人を笑わせようとする人が主人公の映画にどうもぐっときてしまうんですね。
有名なところで言えば『キング・オブ・コメディ』がそうですし、去年観た映画のベスト5にしました『パッチ・アダムス』もそう。あと、映画好きにはことごとくスルーされている感じの松本人志監督『さや侍』も好き。あとはチャップリンの『独裁者』もその系統だと感じています。チャップリンの『街の灯』なんかも、女性になんとか笑顔をもたらそうという映画ですね。だからこそ切なさが宿るというのもあって、笑いという要素がギャグとは別のひとつの軸として描かれると、ぼくはどうにもほろっとしてしまう。
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『パンチライン』はスタンダップコメディをする青年とおばさんが主人公で、それぞれをトム・ハンクス、サリー・フィールドが演じています。監督は『オーメン』などの脚本も手がけたデヴィット・セルツァーという人です。
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 日米の笑いの違いとして、日本ではスタンダップコメディというものがほとんど広まらないですね。日本では漫才やコントがメジャーだし、ピン芸でも純粋に漫談と言えるものはぜんぜん出てこない。もちろん芸人が一人でトークをするようなものもあるけれど、スタンダップコメディとはまったく別種のものでしょう。その違いの核にあるのがおそらく、「ジョーク」という概念ですね。日本には「ギャグ」はあっても「ジョーク」はない。ぼくの述べる「ジョーク」というのは「固有性のない、ごく短い笑い話」くらいの意味合いですが、こういうものは日本ではなぜかちっとも流行らない。

 アメリカ以外の諸外国はどうなんでしょうね。アジアとかヨーロッパは。その辺の知識はまるでないんですけれども、アメリカの場合にジョークという文化が根付いたのは、お互いが人種や民族、背景を異にする国だというのが大きいのではないでしょうか。お互いに背景が違うし、どういうコミュニケーションをつくっていけばいいかに悩んだとき、ジョークというのはちょうどいい潤滑油になるのでしょう。人種ネタや民族ネタが多かったりするのも、互いが自虐的にネタにしあったり、背景を共有したりするのに役立つというのがあるのではないでしょうかね。あるいは背景が不透明な分、会話の中でボケていくのが難しい場合に、ジョークという形式でパッケージングすると笑いを生みやすいという理由もありそうです。

 笑いの分析をするのは楽しいのでいつまでも続けてしまいそうですが、映画はというとそんなジョークを武器に舞台に立つ人のお話。医学生崩れのトム・ハンクスが、主婦でコメディエンヌを目指すサリー・フィールドに指南する形で関係が生まれていきます。
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 サリー・フィールドは三人の子持ちの主婦という設定なのですが、ぼくとしては珍しく、すっとこの種のキャラクターに感情移入できました。やっぱり笑いを志す人物だというのが大きいのだと思います。彼女は家事や夫の不理解に悩まされながらも、笑いの舞台で活躍することを願っているのです。
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『パッチ・アダムス』のときにも書きましたが、笑いというのは生の肯定なのです。人を笑わせたいと思うとき、人はその相手の笑顔を欲し、またその笑いを生むことで自分の感性を信じることができる。彼女が誰かを笑わせたいと願う姿は、活き活きと生きたいと願う姿そのもので、だからこそ自然と応援してしまうのです。
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 この映画でいいなと思ったのは、彼女の夫の立ち位置ですね。ジョン・グッドマンが演じているのですが、この夫は夫で、彼女のことをちゃんと愛しているんです。「人を笑わせる才能が無くっても、家族は皆君のことを愛しているよ」なんて台詞をさらっと入れてくるあたりに、おお、と思わされます。観ているとしばらくは、あれ、夫はちょっと敵対者っぽくなるんかな、と思うのですが、そうじゃないんですね。サリー・フィールドが変な髪型になったくだりで、ああ、この夫はええ夫やな、とはっきりわかる。シニカルな対応もせずに、真面目にしっかりしているんです。グッドマンです。
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 トム・ハンクスが彼女に惚れてしまうんですが、あの辺はどうなんかな、というのはありました。まあ、関係に綾をつけたいというのがあったんでしょう。単に支援者だったりしても平坦なんで、ちょっと危うい要素も入れて、それが彼女と夫のつながりをくっきりさせるという効果もあったのでしょう。だからあれはあれでまあよいのです。
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 それと、これは小さなエピソードがぽろぽろ入っている映画ですね。たとえばトム・ハンクスの父親が舞台を見に来る場面。トムは医学生崩れで、厳格な親父には自分の境遇をいまひとつ誇れずにいたりして、それで舞台でもすべってしまう。あのエピソードがまるきり回収されずに放り出されてしまったのはいささか難点ではあるのですが、言ってみれば若手芸人に過ぎない彼の、自分を誇れずにいる姿を描いているのは、これはこれでありなのです。人を笑わせたいって強く願っているのに、それで身を立てたいって思うのに、それがなかなか果たせずにいるのは、そりゃ、辛いもんです、うん。

笑いに携わる人々の光と影みたいなもんも端々で描いているんですね。おじいさんのくだりもそうです。映画ではクライマックスに、テレビ番組の出演を賭けたコンテストが開かれるんですが、コメディアンとして舞台に立ってきた一人のおじいさんは、そこに選ばれないんです。「未来のスターを発掘するものだから、あんたは出られないよ」みたいになるんです。これはこれで切ない。あのおじいさんのエピソードをもっと観たい気もしました。あまり背景が描かれないからもったいない部分です。

 で、おじいさんは失意して落ち込んじゃって、で、哀しい負け惜しみを言うんですね。「自分は昔、ラスベガスのショーで優勝して、エド・サリバンの番組にも出たんだ。このコンテストで優勝して番組に出たって、あれに比べればぜんぜんたいしたことないんだ」みたいなことを言うんです。このおじいさんのくだりはほとんどそれきりに放り出されるんですけど、なんか、切ないです。こういうのをぽんと入れてきます。エピソードが回収されない分だけ、観終えた後に余計哀しくなってくるところもありますね。
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 そういった悲喜こもごもがありつつも、映画は進んでいきます。ところどころ未消化な部分も目立つ作品ではありますが、観終えた後で、笑いを巡るあれこれに思いを馳せてしまいますね。映画自体は1988年のスタンダップコメディを描いた作品とあって、英語も不十分なぼくは十分に笑いを理解できていないところもあるんですが、そういうのはあまり気になりません。笑わせようとする人と、その場所があるだけで、伝わってきますから。この映画を観る際の注意としては、劇中のジョークで笑えないとかそういうのを気にしないことですね。そんなのどうでもいいことです。もっと大きな目で笑いというものを捉えてほしいと思いますね。

人に薦めるかでいえば、人を選んで薦めます。笑いというものについて、ちょっと踏み込んで考える人には薦めたいです。観ている途中で思い出したのですが、爆笑問題の太田光がこの映画について短い文章を書いていて、あらためて読んでみると「笑いに尊敬の気持ちを持っている人がつくった映画だ」というようなことを言っています。笑える映画を観たい、という人向きではありませんが、笑いを大事にしたいと思っている人には観てもらいたいと思いますね。
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by karasmoker | 2012-04-14 22:00 | 洋画 | Comments(2)
Commented by りんりん at 2012-09-07 23:26 x
New Yorkに6年間住んで、そしてこの映画を観た感想を書かせて頂くと:
ストーリーと背景のNew York、郊外のNew Jerseyがとても上手く絡みあってる映画だと思います…

New Yorkで、落ちこぼれ医大生が孤独な中にも、自分の才能でいろいろな人々の人生を少しずつ変えていく…
New Yorkは、そんな人が似合うし、本当にそんな人が大勢います。

川を挟んだNew Jerseyからコメディクラブに通う主婦兼コメディアン… 才能はあるけれど、でも、今自分にとって一番大事な家族のところに戻っていく…これも、New Jerseyです。

New Yorkは、才能がある人が、一人ひとり頑張っていく町、その反対に、New Jerseyは、家族が集う街…

コメディの職人を描いている映画としても楽しめましたし、New York そのものの持つ雰囲気も楽しめたし、こんなにたくさん絡み合う側面を楽しませてくれる映画は、結構貴重だと思いました。

お邪魔しました~~~
Commented by karasmoker at 2012-09-09 07:47
 コメントありがとうございます。映画の背景となる街の様子をお教えいただき、参考になるのでございます。
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