『赤ひげ』 黒澤明 1965

今ぼくのいる場所が、探してたのと違っても。
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 黒澤明を取り上げるのは実に久しぶりのことで、しばらく観ずにいました。黒澤作品は初期と晩期は『姿三四郎』と『八月の狂騒曲』くらいであまり観ていないのですけれども、有名どころは大体観ています。『醜聞』から『乱』までのいわば円熟期のものは観ているのですが、その中で唯一観ていないのが『デルス・ウザーラ』で、これがぜんぜんレンタルできません。東宝が関わっていないのが大きいのでしょう。アマゾンでも出品者が高値をつけている状態です。ちなみに中でも好きな作品は『羅生門』、『どですかでん』、『乱』といったところです。『七人の侍』や『蜘蛛巣城』や『生きる』がすばらしいなんてことは、ぼくなどが言う必要はありますまい。

さて、黒澤明が大活躍した50年代、60年代の中でなぜかずっと観ずにいた『赤ひげ』です。なぜかこの作品を観ようという気にならなかったのですね。医者の話というのがどうもぴんと来なくて、後回しにし続けていたわけなのですが、いざ観てみるとこれは黒澤作品の中でもかなり好きな部類でした。黒澤作品で好きなのは? と訊かれたときの回答のひとつにしたいと思います。
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 舞台は江戸時代の小石川養生所、ここは無料の医療施設で、徳川吉宗が行った享保の改革の際に設置されました。主人公は若い医師を演ずる加山雄三と、「赤ひげ」と呼ばれる所長の三船敏郎です。養生所にやってきた加山雄三は最初、「こんなところに勤めるのは嫌だ、自分はもっと高い地位につくために今まで勉強してきたんだぞ」とすねてしまうのですが、そこで過ごす日々の中で、次第に考えを改めていくのであります。
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 三時間ある映画なのですが、ほとんど飽くことなく観終えました。そして、黒澤作品で涙したのはこれが初めてかも知れません。これは泣けました。もともとは山本周五郎の連作短編が原作で、いろいろなエピソードが入っているのですが、それぞれ見せ方がうまいんですね。もちろん原作から落とされた要素というのもあるんでしょうけど、原作にはない話が後半を担っていたりして、この後半の「おとよ」の話でぼかあ泣いたね、うむ。
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 時代劇、というとどうしてもチャンバラ、侍を連想しがちだと思うし、それもまた黒澤明の功績あるところなのでしょうけれど、こういうチャンバラの出てこない昔の話って、『どん底』とかもそうですけど、「うわあ、えらい時代やあ」感が強く出ますね。特に医者の話だと、病人がそりゃあ出てくるわけで、うわあ、この時代はきつかったやろなあ、というのも随所にあります。侍が刀を振り回す話だと、格好良さに見せ場が持って行かれがちだと思うんです、殺陣の見事さとかね。でも、この手の話はむしろ、限定された状況の中で、それでも生きていく人たちの生き様みたいなもんが胸にしみるのでありますね。
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 冒頭の部分で既にぼくは持って行かれていたのですね。小石川養生所は無料だから、貧民たちがたくさんやってくるわけです。で、待合室みたいな場所でぎっちぎちになってただ、待っている。何もせずに、じっと待っている。今でも途上国ならばある光景なのでしょうけれど、江戸時代の医療レベルを考えればねえ、もうどうしようもないことは今よりも多かったはずですしね。で、今みたいに患者様扱いされることもなく、医者が「こんなくさいやつら」みたいなことを平気で言うわけです。なんやねんこの状況、というのがまず描かれて、それでぐいっと引き込まれました。
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  加山雄三が最初すねているんですが、そこから自分の無力さとか弱さとかを知って、だんだんと周囲に溶け込んでいく流れが素敵です。なんて言うのでしょう、そういうことって、あるよね。たとえばこの四月にね、受験で志望校に落ちて、第二志望、第三志望の学校に行ったって人もいるのでしょう。就職もそうでしょう。既に大人でも、そういう過去をお持ちの人もいるわけです。でも、今思えばそこが自分にとって尊い場所だったっていう経験はあるでしょうしね。その意味でこの話には人生がございますね、うむ。
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 医者の話だから暗い場面ばかりかというとそうでもなくて、たとえば三船敏郎がごろつきどもを打ちのめすシーンもあり、サービスも用意しています。しかし三船は医者でありまして、自分で相手の骨を折っておきながら、「医者が骨を折るなんて! こういう乱暴はよくない!」と怒ったように言ったりして、笑ってしまいます。

細かいところの良さを言い出すとめちゃ長くなりそうなので、ここはやっぱり後半の「おとよ」のくだりを話しておくべきでしょう。おとよは宿場の遊女屋に住まわされていた少女なのですが、まあ性的サービスをするには幼い年であり、なおかつ虐待をうけているような状況で、見かねた三船、加山が彼女を引き取ります。しかし、おとよはその悲しい境遇から心を病んでいるような有様で、加山はなんとか彼女をまともにしてやりたいと苦闘するのです。
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 ぼくはみんなに愛されているような子供が出てくると嫌になるのですが、反面、こいつぜんぜん大事にされていなかったんだなあ、というようなのが出てくると大変弱いですね。中盤でも、根岸明美演ずる貧しい女性と、その子供たちが出てくるのですが、悲しいやつらが出てくるともうちょっと、くうっ、となります。
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構成としていいなあと思うのは、加山がかつて自分が養生所に来たときのことを悔やむ場面と、このおとよが心を開いていくくだりを絡ませているところですね。ここでがががっと揺さぶってきます。おとよの出てくるシーンはどこもいいです。

おとよがね、少しずつ打ち解けていくんですけど、養生所で働く周りのおばさんたちとはどうもうまく行っていなくて、「なんだい無愛想な子だよ」みたいに扱われているんです。で、あるとき炊事場に泥棒少年が現れて大騒ぎになるんですが、おとよはそれを見て見ぬふりするんです。すると当然おばさんたちは「泥棒が入っているのにそしらぬふりかいこの子は」となるわけですが、その後ですね、その後におばさんの一人がある状況に遭遇し、号泣することになるんですが、そのくだりなどは絶品でした。
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 やっぱりね、「悲しい目にあったやつだけがわかってやれること」ってのがあるんですね。何かを断罪したりレッテルを貼って決めつけたりすることはたやすいし気持ちのいいことかもしれないけれど、違うだろうって。そいつにはそいつにしかない事情ってのがあるんだろうって。おとよが少年を見逃したときに大体展開がわかって、ばっちりその通りだったので、これまた、くうっ、でした。

『4分間のピアニスト』のときに書いたことともちょっと関連するんですけど、たとえば犯罪者に対する、こういうものの言い方ってありますね。
「幼少の頃にひどい目にあって、それで世間に恨みを感じて犯行に及んだっていうけど、でもそんな体験をしてもまともに生きている人だっているんだ。許されないことだ」みたいな言い方。うん、確かにそうなんです。辛いことがあっても立ち直って、公正に生きている人はいっぱいいる。でも、そいつにしかない事情ってのはやっぱりあるんです。抽象的な言い方だけれど、同じ星空を見たときに、星の輝きに魅せられるやつもいれば、その星々の間に広がる闇のほうが焼き付くやつだっているわけです。
 はっきりと明言しておきますが、ぼくは何も犯罪の加害者をむやみに擁護するつもりはありません。人としてやってはならないことはそりゃあありますし、その分の裁きはしっかりと受けるべきでしょう。しかし、メディアに流れる犯罪事件について、細かい事情も知らずに断罪するような真似はしたくないし、するべきではないと言いたいわけです。「過熱報道で無辜の人を断罪するマスゴミめ」みたいなことを一方で言いつつも、真偽不明のネット情報、週刊誌ゴシップに飛びつく奴があふれかえっているような昨今は、特に。

話を映画に戻す戻す。
 注文をつけるなら、おとよの口調がちょっと上品すぎますね。もっと下品でもいいし、なんなら訛っていてもいいはずなのに、妙にしっかり喋りすぎていて、これは残念です。あと、中盤で死にゆく人がいるのですが、この人の回想のくだりが長いです。なにしろ回想の中の人物がそれまた回想してその回想シーンが流れたりするので、これは文法的にちょっとどうやねん、というのはありました。

 気になったのはそれくらいです。最後もいいんですよ、「死んだほうが幸せだった」なんてことを医者の話なのに持ち出してきて、でもそれにうまい答えが見つからずにいる、というのは、いいもやもやです。
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 まだまだ書けることはいくらでもありまして、序盤に出てくる危ない女性の話も書きたいし、終始格好いい三船敏郎についても書きたいのですが、まあご覧になっていただければぼくなどがこれ以上述べる必要はありますまい。はい、お薦めであります。
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by karasmoker | 2012-04-20 00:00 | 邦画 | Comments(6)
Commented by pon at 2012-04-23 09:35 x
こんにちわ。すごいタイミング!ちょっと前に「用心棒」を見たら黒澤が無性に見たくなって、有名どころを数本注文したら、つい最近BDが届いたのでした。どこから見ようかと思っていた所なので、この記事を読んでRed Beard から見る事にしました。管理人さんが泣いたのは、布団を干している場面ですよね、あの辺のカメラワークは抜群です。黒澤の映画は用心棒もそうですが、とにかく照明がいいです。ぼくが若い頃、あるスタジオで「黒澤組の照明さん」という人たちの仕事を見る事ができました。かなり距離のあるカメラワークなのにまったく露出(カメラの)がばらつかないとスタジオマンが驚いていました(長い部分に均等に光を回すのは非情に難しいのです)。この映画でも加山雄三と狂女役の女優の鬼気迫る部屋でのシーンでは、完全に2人に別々のライトが組んでありましたが、違和感無く(左右向き合うようにライトを組むと、逆に光が回ってしまい影を消し合って、ドラマチックな演出から遠ざかります)、むしろ互い違いの影が怪しい雰囲気を醸し出していました。見るきっかけを与えていただいて有難うございます。
Commented by karasmoker at 2012-04-23 11:01
 コメントありがとうございます。
 ぼくは撮影技術に明るくないので、ただ場面場面の印象を語ることしかできぬのですが、なるほどそうした職人芸あってこそのあの名シーンだったのですね。とても勉強になります。記事の補足にもなりますし、大変ありがたいコメントなのでございます。
Commented by ゆきりん at 2012-04-23 20:20 x
初めまして。この映画は本当にいいですね。長いけどあっという間に観てしまいました。外国人の友人も「マスターピース」と言ってました。ガルシア・マルケスも黒澤作品で1番のお気に入りがこの「赤ひげ」だそうです。
私は凶悪犯罪の被害者ですけど、やっぱり犯罪者って何も考えてないですよ。漫画やドラマや文学では美化されてますけど、そんなやむにやまれぬ事情がある人なんて滅多にいません。人間て辛いことがあると良い方向にもいけないけど、なかなか悪い方向にも行けないものなんですよ。悪い道に入る人間というのは
人を傷つけるのが楽しいと思える人間なんです。
Commented by karasmoker at 2012-04-24 00:13
コメントありがとうございます。
 ぼくが述べたかったのは、「人を傷つけるのが楽しいと思える」ような心性、何も考えずに犯罪に至れるその倫理観の欠如、そうしたいわば「人間的な欠陥」は、どうして生まれてしまったのだろうということです。ぼくたちには良心がある。一方で、凶悪な犯罪者の多くにはそれがない。のだとすれば、どうしてその犯罪者たちは、良心を得る機会に出会えずにきたのでしょう。良心を育む環境に身を置くことができなかったのでしょう。ぼくにはゆきりんさんのように、「人間はこのようなものである」と断定することができません。それはぼくがゆきりんさんと違い、凶悪犯罪の被害体験がないからこそ取れる、無責任で曖昧な立場に過ぎないのかもしれません。ですが、できうる限りにおいて今は、他者に対する想像力を失わずにおきたいとは思っています。他者に対する想像力を失ってしまえば、憎むべき犯罪者と同じ立場に堕してしまうように感じるからです。ぼくに言えるのは、今のところこのようなことであります。
Commented by akaao at 2012-04-28 14:49 x
私は黒澤映画が好きで赤ひげ以外の作品も暇を作って見たりしています。インターネットという性質上、討論はなりたちませんがこの場を借りて言わせていただきたい。テクノロジーが発達した現代では、言葉が非常に軽く扱われていると日々感じています。ネット上でしか本来使われないスラングが、日常会話で頻繁に飛び出すほど言葉がいい加減に使われている気がしてなりません。
”死ね、感動、がんばれ”などの言葉はもはやカタチだけでほとんど意味をなさないと思っています。(言いすぎでしょうか。
黒澤映画の中のヒューマニズムには言葉に心がこもって聞こえるのです。だから見る人の心をゆさぶるのかもしれませんね。
Commented by karasmoker at 2012-04-28 20:37
コメントありがとうございます。
 言葉の扱いには注意したいものですね。
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