『イル・ポスティーノ』 マイケル・ラドフォード 1994

言葉が世界を開いたら。
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軍平さんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

 タイトルはイタリア語で、「郵便配達人」の意のようです。イタリア映画はもう久しく観ていなかったのですが、なかなかに良い風味の香る作品でございました。

 話はというと、ノーベル文学賞を受賞したチリの詩人、パブロ・ネルーダ(1904-1973)の史実に基づくものだそうです。パブロ・ネルーダは共産党員だったのですが、祖国のチリで共産党が非合法化され、イタリアに亡命することとなりました。彼はカプリ島というところに滞在し、そのときの出来事が土台になっているようです。

 とはいっても、主人公となるのはネルーダではなく、島に住む一人の男、マリオ・ルオッポロです。彼は漁師の息子なのですが、郵便配達人の仕事をすることになり、このパブロ・ネルーダと交流を深めていくのです。

 ネルーダはその詩才ゆえ世界中にファンがおり、世界から日々多数のファンレターが届きます。それをルオッポロが届けにいくのですが、彼は彼でそんな有名人のネルーダに興味を持ち、自分も詩を書いてみたいと言っていろいろと教えを請うのです。
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 この辺の感じがまず素敵であるなあと思いました。
 この映画に出てくる島は文字の読み書きができる人がほとんどいないという設定で、ルオッポロも多少読めるといったくらい。そんな男が、「自分も詩を書きたい」と思うその心は、それだけで少なからず感動的なものがあります。
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 恥ずかしながらぼくは、ネルーダという詩人のことは本作を観るまで知らずにおり、当然その詩も読んだことがないような野暮天なのですが、彼は比喩の名手として有名だったそうです。劇中でも、「隠喩とはどういうものなのか」をルオッポロに教えたりします。
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 これは映画という表現ですので、詩のすばらしさであるとかネルーダの詩の文学性とかを伝えるようなことは難しいわけですね。その意味で、この作品が比喩というものをその象徴として用いたのは、実に的確だったと思います。ところで皆さん、「比喩」というのは、言葉の表現においていったいどういう効果を持つものでしょうか。文章や詩作の中で比喩とはどのような機能を有するのでしょうか。

 などと言いつつ、ぼくはことさら文学に詳しいわけでもなんでもないのですが、比喩というのは一般に、「異化効果」というものを持つと言われています。異化効果というのは簡単に言うと、「見慣れたもの、既に知っているものに対して、別の見方をさせる効果」です。

 たとえば今あなたがご覧になっているパソコンないしはケータイなどのディスプレイ、それは既に見慣れたものでありましょうが、たとえばそれを「世界の窓」などと隠喩的に表現してみることで、ああ、なるほどこのパソコン一つで、自分は世界の有り様を眺めることができるし、外の世界に触れることができるのだな、とあらためて感じられたりするわけですね。比喩はそれまで当たり前に捉えていたもの、なんとなく眺めたりしていたものを、ただ目や耳で捉えるのとは違うやり方で捉え直すことができる方法なのです。

 これは本作にとって重要です。なぜなら、ルオッポロはまさしくそのことによって、世界をあらたな目で見つめ直すことになったからです。彼は詩によってこの世界を記述する人と出会い、その人に触れて比喩を知ることによって、今まで自分が見ていた世界は別の様相を持ちうるのだと気づく。そして、「この世界はものみな隠喩なのではないか」なんて、すごく鋭いことを言ったりするのです。ネルーダはルオッポロに、世界を記述する言葉を与えたのです。それは、「もう一度世界に触れる見方」を与えたことでもあります。
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ルオッポロは島に住む一人の女性、ベアトリーチェに恋をします。彼は新たなる目で彼女に出会い、彼女の美しさに惹かれたのです。しかし、アプローチするにもどうしていいかわからないルオッポロは、ネルーダに助けを求めます。彼女をうっとりさせるような詩を書いてほしいと。ですがネルーダは当然拒絶します。自分の言葉で書かないと意味がないからですね。ただ、ルオッポロはなんとかベアトリーチェに振り向いてほしいので、ネルーダの詩から言葉を借りて彼女の心に訴えます。ベアトリーチェはそんなロマンティックな言葉を掛けられたことがないのでしょう、ルオッポロに惹かれるようになります。
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 ルオッポロはネルーダの詩をぱくったのか。何かにつけてパクリだ著作物の無断引用だとかまびすしい昨今でありますが、この映画にそんな概念を当てはめるのは無粋でしょう。ルオッポロにはまだ、言葉がなかったんです。だから言葉を借りたのです。これは考えてみれば当たり前のこと。ぼくたちの振る舞いやふれあいはすべて、模倣からしか始まりません。「まなぶ」は「まねぶ」であるように、ルオッポロは世界を記述する言葉を、なんとかまねようとしていたのですね。
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 そんなこんなでベアトリーチェと結ばれることになったルオッポロですが、それでハッピーなんて話じゃない。彼の世界の見方は既に変わり始めていた。それは、街にやってくる政治家に向けて放たれました。今まで見ていた世界は、当たり前のものではないのかも知れない。政治家や偉い人々に搾取される世界、平気で約束を反故にされる世界を、黙って受け入れる以外の方法があるのかも知れない。そう考えたのかどうか、映画では明示的ではありませんが、ぼくにはそのように見て取れました。

 ねたばれがんがん。
 




 ルオッポロは最終的に、政治活動に参加して命を落とします。
 なぜ彼は政治活動に参加したのか。共産主義者ネルーダに惹かれたからか、政治家に嘘をつかれてむかついたからか。それも理由。しかし、もうひとつの重要な理由は、彼が、今までとは異なる世界の見方を獲得したからであろうと、ぼくは思います。自分も、言葉によって世界を動かすことができるのかもしれない。なぜなら、自分の世界は言葉によって変わったのだから。そうして彼は労働者代表の演説に向かい、混乱に巻き込まれるのです。
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 かつてはネルーダの詩作を真似たルオッポロですが、終盤では自分の言葉ではなく、自分が生まれ育った島の、自然の音をテープに吹き込みます。当たり前に聞いていたはずの音が、みずみずしく聞こえることを感じたのです。彼の世界は彼なりの方法で、開かれていったのでした。彼が郵便配達人をしていたという設定もいいですね。最初は言葉を運ぶだけだった彼が、言葉を放つことを知り、世界は言葉だけで触知できないというところまで至る。

 ただ、それがよかったのかどうかはわからない。これまさに人間万事塞翁が馬。もしかしたら彼は世界を開かれぬほうがよかったのかもしれない。そうすればもっと長生きできたのかもしれない。しかし、それであればベアトリーチェと結ばれることもきっとなかった。ラスト、浜辺に立つネルーダ同様に、観ている側もまたただ立ち尽くすしかないような気分にさせられます。

 インターネットで思いつきの軽率な言葉を瞬時に世界に放てる時代になりましたが、こういう映画はこちらを不安の中に陥れますね。あるいはその不安は希望の表れかも知れないけれど、いずれにせよゆらゆらした気分になる。何かを発することの怖さ、強烈さ、大切さをオリヴァー・ストーンの『トーク・レディオ』に教えられますが、それとはまったく別の形で、まったく別のこととして、言葉というものに対する何事かを教えられます。

「言葉というものに対する何事か」。けっ、曖昧な言葉だ。こうして適当な言葉に甘えるのだ。まだまだ、まだまだであるなあと、感じ入る次第でございます。
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by karasmoker | 2012-04-28 23:00 | 洋画 | Comments(3)
Commented by 軍平 at 2012-05-01 22:09 x

karasmoker様

とりあげていただいてありがとうございます、イル・ポスティーノ

私も知り合いからこの映画をすすめられてジャケットの雰囲気からただのんべんだらりとした映画だろうと想っていましたら、ひとりの人間の成長を描いた良作だと感じ、リクエストお願いした次第です

私も主人公が、詩の存在を知り、言葉を識り、そして世界をしったことが、幸せだったのかどうか考えていましたが、最終的に、人生とはやっぱりこのように、後からかんがえて評価できるものではなく、そのときそのときで最善をつくして成長して、別の生き方にスライドしてゆくことも目的のひとつではないのかな、と見終えてからの寂しさを肯定的にとらえようとしたのです

この主役の役者はこの撮影中に余命いくばくもなく、撮影後すぐに亡くなったとのことも、また詩人役の役者は、主役の彼をはげましつづけ撮影中、本当の友情がめばえたとも後でしりました

すると最後に詩人がみせるあの哀しみの表情がなんとも真にせまっていて、さらに切なくなるのです

原作の小説を買おうか買わまいか迷っていて数ヶ月がたちました
いつか読めたらいいなあと思っています
Commented by 軍平 at 2012-05-01 22:10 x

karasmoker様
とてもすばらしい感想の文章ありがとうございました
これからもむりなさらず
このブログたのしみにしています

ps:恵比寿マスカッツ、はじめてしりました
  児玉奈々子(漢字あってますか)がよいですね。(眼鏡好きなだけかも)
  いつかこのブログの番外編で、
  恵比寿マスカッツ人気投票&karasmoker様の
  なにさまマスカッツ評を拝見できたらと楽しみにしています(笑)それでは
Commented by karasmoker at 2012-05-02 01:14
 コメントありがとうございます。
 とてもいい映画でございました。特段、付け加えるべき言葉はございません。観る機会を与えて頂き、ありがたく感じております。

 児玉は菜々子が正しいのであります。AV女優ではなくメインを張ることはありませんが、ぜひご愛顧のほどを願うのでございます。恵比寿マスカッツ関連はカテゴリーとして設けておりますので、興味がございましたらチェックしてほしいのでございます。真実への扉を開いてほしいのでございます。マスカッツ人気投票はこのブログの読者数そのものが多くないので盛り上がらぬこと請け合いでございますゆえ、ぼくの精進が必要なのであります。しかし仮に読者の方の数がいくら増えようと、どこぞの48人のごとくにメンバーに順位をつけるなど、野暮ったいことはしないつもりなのであります。
 またのコメントをお待ちしております。
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