『ミルク』 ガス・ヴァン・サント 2008

同性愛を考えるよい入り口となりましょう。
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もちのんさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

前回は人種差別にまつわる映画でしたが、奇しくも今度は同性愛差別のお話です。
 タイトルの「ミルク」とは、実在したサンフランシスコの市政委員、ハーヴィー・ミルク(1930-1978)のことです。彼は自らがゲイであることを公表し、同性愛者の人権運動に尽力した人物なのです。同性愛者の人権に関しては、ウィキペディアのLGBT史年表やLGBTにまつわる権利などの記述が充実しているので、そちらを参照してもらえばよいでしょう(LGBTと言われて何のことかわからない人は調べるのがよいでしょう)。

 同性愛差別は人種差別、民族差別とはまた違う切り口が必要となる問題です。それはやはり、トピックそのものが「性愛」というナイーブな部分に重なっているからであり、なかなか語りにくい、語られにくい、というのがあるわけですね。真っ向から語るとまたえらく大変になりそうなので、映画に言及しつつ進みましょう。
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サンフランシスコという場所は当時のアメリカでもゲイの集まりやすい地区であったらしく、ミルクはそこでカメラ屋を営むことにします。次第に広がり、盛り上がっていくゲイ・コミュニティの一方で、ゲイに対して差別的な警官の取り締まりなどに遭遇し、政治的に声を上げねばならぬと思い立ったのです。映画では彼がサンフランスシスコに来てから暗殺されるまでの数年間を描いており、実際の1970年代の風景がところどころに挟み込まれます。
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 ただ、表立って声を上げると、その分軋轢を生むのが世の習いです。それまではひっそりとしていたからいいものの、そんなに堂々とされちゃあ困るんだ、という人たちも出てくるわけですね。同性愛者の権利を認めるか否かをめぐって、政治的なぶつかりが生まれていくのです。
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日本では表立って同性愛差別をするということはないものの、そこは持ち前の「空気」の文化で、公言することもしない傾向が強いんじゃないかと思います。ただ、同性愛を差別することはないものの、じゃあ同性婚を認めているかと言えばこれは別で、欧米の国々は軒並み法律を整備しているのに反し、なかなか議論が進んでいない様子です。これについては地域差を見てみると結構違いがあって、先進国とされる国では同性結婚を認めるか、ないしはパートナーシップ法やシビル・ユニオン法(婚姻とは同等ではないものの、それに付随する権利の一部または大部分を認める法律)があるのに対し、東欧、中南米、アフリカ、アジアは認めている国のほうが断然少ない。まあ途上国の場合は、それ以外に定めるべき法律があったり、あるいはイスラム圏では教えとしてそもそもアウトというのもあるため、同性愛は成熟社会で問題にされること、という性質があるのかもしれません。
 日本でなぜ認められていないのか、まあいろいろな理由があるのでしょうが、最も大きなもののひとつには憲法の問題があるのでしょう。憲法では婚姻について「両性の」合意が必要なものとしているので、同性婚を認めるとなるとここに引っかかります。日本では過去一度も憲法改正は行われていませんので、ここからひっくり返すのは難しいのでしょう。正式な婚姻ではないパートナーシップ法の導入が現実的ですが、議論はあまり進んでいないようです。

一方、アメリカという国はいちいち決めなくちゃいけないんですね。これはアメリカが共同体であるというより、組織体としての性質が強いというのが大きな要因でありましょう。移民が多く、人種も様々。であるとするなら、生き方に関わることは逐一人々の意見を聞いて決める必要がある。だから人々はそのたびに自分の思想を明確にする必要に迫られます。「あなたは同性愛の権利を認める? 認めない?」という問いに真っ向から晒される。そうしたことを繰り返して、自分が組織体の一員であることを国民が意識する。その最たるものが大統領制です。日本にはない作法であります。

長々と映画とそれたようなことを書いているようですが、この映画を観るにあたっては、その辺のことを考えておきたいものなのであります。
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映画の中では、ショーン・ペン演ずるミルクの近辺よりも、政治的な戦いの様子がメインで描かれますね。同性愛者の差別の現場よりも、実際のニュース映像などを交え、同性愛を認めない政治家や有名人の声が対立軸として明確に描かれる。だから、生のやりとりそれ自体から考える種類の映画とは違います。ゲイを特殊なものとして感じさせないつくりがなされているのですね。
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ぼくは彼を追ったドキュメンタリーについては未見で、どういう人なのか細かいところはわからないんですけど、わりと簡単に性的な交渉を持っちゃう感じがしますね、あれはいいんでしょうか、ああいう人だったんでしょうか。最初に出会って長く暮らす相手もすれ違いざまのナンパだし、途中では明らかに葉っぱか何かをやっている感じの若者を連れ込んですぐにやっちゃいます。特に後半の場合は、既に身の回りにも支援者がわりといる状況で、相手がいないってわけでもなかろうに、すぐにやっちゃう。これ、異性愛の映画だったら、なんじゃこいつは、と思われそうです。映画全体が、「同性愛だっておかしな人たちじゃないんだ」という方向に進んでいる反面で、「それにしても軽いなおい」という印象を観客に抱かせてしまいそうですが、どうなんでしょうか。あれは映画的に、ちょっと危ない場面にも見えるんですが、何か他の意味があるのかなあ。
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 ただ、でも、同性愛は異性愛に比べれば、迫害されているのもあって、近しい者に親密さを増すというのはあるんでしょうかね。ゆっくりと慎重に愛を深めるとかいうんじゃなくて、お互いがそうだとわかったらもうオープンに、やることやっちゃえ、みたいな部分もあるんでしょうか。うーん、でもまあそれは人それぞれなのだろうし、うーん。
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実際のニュース映像が挟み込まれるのですが、アメリカは本当にはっきりとものを言いますね。イエスかノーかのお国柄なんてことも言われますが、堂々と「同性愛は害悪!」みたいなことを言うでしょう。今でも「進化論は嘘!」とか言っている人もいるわけですから、なるほどこれはある程度ちゃんとルール決めしないと国がえらいことになるなあ、と思わされます。
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 結局、同性愛がなぜ嫌われるのかっていうと、前回の記事で語ったことでもあるし、劇中でも出てくるけど、それまで抱いていた価値観を揺るがされるからなんですね。人の認識は楽をしたがるものだし、これはよいもの、悪いものと決めておくほうが苦労がない。なので、男は女と、女は男と、それ以外は認めません! と言い切ったほうが絶対に楽で、社会的にもそのほうがややこしくなくてよい、という主張があるわけです。宗教的な理由もそこに足されるわけですね。ミルクを殺した政治家にしても、自分の生活がうまくいかないってこともあるんでしょうが、それまでの価値観を粉々にされたというのがあったのでしょう。
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 前回の人種差別ものもそうですが、この辺の話はそう易々とまとまりがつかないですね。うまいことこの映画の美点であるとか、映画内の話にまとめたいとも思うけれど、どうしても実世界の状況なんかについても触れたくなるし、それを始めるともうだらだらと収拾がつかなくなるし。まだぜんぜん語りきっていないんですけど、これ以上書くといよいよ長くなりそうなので、ひとまずこの辺にさせてもらいます。

 うまく語れるときとそうでないときがあるので、これでいいのだろうかと考えてしまうことが多いです。なので、リクエストしてくれた方もそれ以外の方でも、あの映画のあの場面はどう思った? あの場面について触れてくれよ、と個別に言ってもらうのもぜんぜんありです。しばらくすると細かい部分については忘れてしまうでしょうから、気になった場合はお早めにどうぞ、今日はこれまで。
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by karasmoker | 2012-05-09 22:00 | 洋画 | Comments(0)
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