『告発』 マーク・ロッコ 1995

正義の実現はカタルシスになるけれど、個人的にはもっと突っ込んでほしいとも思いました。
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もちのんさんよりリクエストいただきました。どうもありがとうございました。

原題『Murder in the First』
結構前にお薦めいただいていたのですが、すっかりと失念しておりました。映画をご紹介いただく場合、「おすすめ」だと忘れたままにしてしまったり、あるいはぴんと来なかったら書かずにスルーする可能性もあるので、「この映画観て記事書きなよ、書けばいいじゃん、おまえみたいなやつは」とお思いの方は(なぜそんなにぶっきらぼうなのか)、「リクエスト」と書いてもらうと、一応書かねばならぬという気になります。今後のご参考にしてください。

さて、『告発』ですけれども、ケヴィン・ベーコン、クリスチャン・スレーター主演で、アルカトラズ刑務所を題材にしたお話です。アルカトラズ島にはもともと南北戦争の際、南軍のサンフランシスコ湾侵入を防ぐために北軍が設置した要塞があったのですが、1861年に軍事刑務所として正式に指定されたそうです。途中から連邦刑務所として管轄が変わったのですが、1963年の閉鎖に至るまで100年以上にわたり、アメリカにおける代表的な刑務所のひとつとして機能していたようであります。アメリカの治安を守るうえでのアピールにも使われていたらしく、アル・カポネやマシンガン・ケリーといった有名な犯罪者も収容されていたのであります。

 しかし、じゃあ収容されていた囚人が誰も極悪な犯罪者だったかというとそうではないようで、比較的軽い罪の犯罪者も送られていたらしいのですね。高い維持費の一方で、空き部屋があってはならぬという事情もあって、誰も彼もが殺人犯とかそんなのじゃなかった、ということのようです。
 
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 囚人のケヴィン・ベーコンは貧しい境遇にあった男で、少年時代、妹のために五ドルを盗んで収監されます。そして脱獄を図るのですが捕まってしまい、ほとんど光のない独房の中でなんと三年間の懲罰を食らうことになったのです。
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 しかも看守からの暴行は当たり前のように行われており、心神喪失状態になって、受刑者の一人を殺してしまいます。その受刑者は自分と同じに脱獄を図ったのですが、別の犯罪者を密告した見返りに懲罰を免れ、他の囚人と同じく普通の監房生活を送っていたので、ケヴィン・ベーコンは憎々しく思って、衝動的にやってしまったのです。
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 その裁判をあらためてやらなきゃいけない、ということになって弁護士のクリスチャン・スレーターに出会うのですが、その過程でアルカトラズのひどい虐待が暴かれていき、「告発」され、やがてアルカトラズ自体が閉鎖されていくと、まあこのようなお話です。
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 実話をもとにつくられたとのことですが、今よりも人権意識のない時代でしょうし、まあ本当にこれに近しいことはあったんだろうなあと思わされます。現代においてだって、イラク戦争時のアブグレイブ刑務所みたいなことがあったわけですからね。
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 犯罪者にまつわる話は最近幾度か語ったりしているんですけれど、うーん、この辺は一本調子で語るのがやっぱり難しいですねえ。

 映画自体はね、うん、今のぼくにはやや単純に映るところもあります。ケヴィン・ベーコンが演じた役の設定としては、貧しい境遇で妹のためにわずかばかりの金を盗み、ひどい虐待を受ける、ということなので、観ている側としては単純に、可哀想だなと思いますよね。それで、スレーターが頑張って彼を支えて、人道的な社会へと前進していきました。悪しき環境が絶たれましたってなもんなんですけど、うーん、うん。
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 広く受けいれられるための映画としてはそれでいいんですよ。そのほうが観客のウケもいいだろうし、カタルシスをもたらすかもしれない。この映画はこれでいい。だからこの映画のつくりに文句を言うぼくがひねくれているんです。そう思ってもらうのが穏当です。

 ぼくはもう一歩突っ込んで考えてしまう。あのケヴィン・ベーコンが、たとえばもっとひどい罪を犯したという設定だったらどうなのか。ぼくたちはベーコンやスレーターに感情移入できただろうか。そこまでいくと、この映画はもっと深い部分に澱を残せたと思ってしまうんです。

 いや、わかります。この映画で描かれていた重要なことのひとつは、たとえ社会に混乱を起こし、自分の立場が危うくなるとしても、正義のために戦うべきなんだというメッセージでもあります。劇中でも、スレーターに依頼が回ってきたとき、「この裁判はどうせ負け戦だから」みたいなことを周りに言われるんです。賢い大人は、「まあ変に粋がらなくていいからさ、うまいことやりなよ」みたいな感じのわけです。スレーターはそうじゃいけないと思って奮闘するんですね。

 だからこの映画では、たゆまぬ正義を実現する姿のよさってものを見て取るのが感動的な解釈で、そういう風に観るのがきっと正しいのでしょう。しかし、今のぼくはもうちょっとこねくり回したものを求めてしまっているんですね。

 正義ってじゃあなんやねん、ということも考えてしまう。考えたくなる。さっきの話と繋がるんですけど、ベーコンがもともと殺人犯か何かだったら、周りは応援していただろうか。殺人犯でも人道的な扱いを受けるべきだ、という論調は生まれていただろうか。殺人犯なのだからひどい目にあっても構わない、いやむしろそうすることが正義なのだ、みたいな話もあったんじゃないか。そうすると、「たゆまぬ正義」のようなわかりやすく清いものではなく、「何が正義かはわからないけれど、自分はこれが正義だと思うんだ。そして、それを貫くんだ」というものが見えてきたんじゃないか。
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 何度も書いてアレですけど、この映画はそういう映画じゃないのはわかっているんです。 ただ、構図として単純に見えてしまう。あれだと、検事役のウィリアム・H・メイシーがただの邪魔者に見えてしまうし、まあ誰だってベーコン、スレーターを応援しちゃうでしょう。
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 この辺の話は他にいい映画があるもので、どうもそっちと比較するところもでてきてしまいました。信ずる正義を実現する話ってことだと、『セルピコ』とか『フィクサー』とかが好きで、あの映画って、「てめえ、マジでつぶすぞ」があったんです。主人公が頑張れば頑張るだけ、「おめえつぶすからな」って周りから威嚇されていた。だから、それでも頑張る姿が余計に感動的だった。あとは『ロンゲスト・ヤード』です。これは同じ監獄もので、あの映画でも「囚人の犯罪歴が弱い、もしくは描かれない」というところはあったものの、「ここで戦わなきゃ一生後悔する。たとえ、失うものがどんなに大きくても」というところで強い芯があった。本作のスレーターはねえ、そこが弱くてねえ。ちょこちょこ言われたりはするんですけど、「だったらマスコミにばらしますんで」みたいにかわしちゃったりするし。スレーターはあの後も普通に弁護士稼業できるんだろうし。っていうか、結構儲かっていくだろうし。
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 個人的には引っかかってしまいましたが、よい映画だとは思いますし、飽くことなく観られました。なんだかんだ言っても、じゃあ自分であのスレーターのようなことができるかと言われたら難しいわけですし、たゆまぬ正義のために頑張る姿は、とても尊いものであります。
 こんなところで、おしまい。
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by karasmoker | 2012-05-07 22:00 | 洋画 | Comments(8)
Commented by ブニュ・エル at 2012-10-17 12:40 x
少し言及しておきます。『五百ドルに水増しされて収監』されたというのは、間違った見方をしています。何度会見しても心(もしくは単純に口)を開いてくれないケビンベーコンに対して、弁護士が意図的に会話の糸口を掴む為に、わざと依頼人に対し言い間違えたのです。ゆえに、ケビン・ベーコンが即座に「5ドルだ!」と反論し、その直後、弁護士が「ビンゴ!」と言ったのです。そこからやっと、ケビン・ベーコンはぽつりぽつりと喋り始めました。それ(5ドルという事実を知っていた)の実証は、弁護士がケビン・ベーコン(囚人)の資料を洗っているとき、すでに判明しています。
Commented by ブニュ・エル at 2012-10-17 12:56 x
それから。。 この映画の原題は「最初の殺人」ですが、仮にケビン・ベーコンが重犯罪を犯して刑務所に収監され、この事件(或いは事故)が起こったとしても、同じように弁護されるべきであると、僕は思います。この映画は、刑務所内で劣悪にして非人道的な行為が日常的に行なわれ、それ故にある一人の人物の人格が破壊されたことを「告発」しています。他の例として、主人公以外の他の30人近くの囚人が、同じ環境で精神病院送りになった実例を挙げていました。つまり最初の罪がどうであれ、刑務所内における(これは刑務所だけにあらず収容所、あるいは学校や社会におけるいじめの構図だってそうだろう)非人道的な行為が一人の人格を破壊し、追い詰められた結果、思ってもいなかった行動を取ってしまうと言う事を伝えたかったのだと思います。
 
Commented by ブニュ・エル at 2012-10-17 12:57 x
 追記。
 確かにケビン・ベーコンの最初の罪が、殺人や強姦殺人ともなれば、陪審員が感じる心証は余り良く映らないでしょうが、それでも殺人犯だからといってその背景も原因も調べず、ただレッテルだけで人を裁けば、それこそ安っぽいモラルという暴力に過ぎないです。それにこの映画は、ケビン・ベーコンの犯した殺人は、罪として認めています。それとは別に、それを犯してしまった環境や土壌に対し、告発したのです。ですからケビンの罪がけっしてうやむやになった訳ではありません。情状酌量の余地ありとしてとられたのです。
 ちなみにケビン・ベーコンは三年間の独房生活で、密告者に対してずっと恨みを持ち続けていた訳ではありません。むしろ忘れていたでしょう。彼が殺人を犯したのは、単純に同じ囚人にそそのかされただけなのです。遊ばれただけなのです。

 
Commented by ブニュ・エル at 2012-10-17 13:07 x
追記。 
 法律というものは人を守りもしますが、反面、人を攻撃もします。特に権力と闘争する場合は、権力側はでっち上げでも詭弁でも、何が何でも目障りな人物(または団体)を吊るし上げようとします。それこそが暴力なのですが、人々は身の保身により簡単に体制側に拿捕されます(或いは無知により)。権力の前に法はあまりにも曖昧であり無力であります。正義とは、社会に於ける正義とは、悲しいかな立場によって意見が異なり、事実がどうであれ大いなる環の秩序を乱すものが悪であり、それを守るものが(一般的な)正義であります。特に権力闘争に於ける事実は隠蔽されやすく、また改ざんされやすいものなので、ほとんど明るみに出る事がなく、体制側の正義が勝ちやすいものです。
Commented by ブニュ・エル at 2012-10-17 13:09 x
長くなりましたが最後です。

ですから正義とは、個人の胸の中にあるものではないでしょうか。僕はそれを芸術の中に見ます。通俗的な正義など目くらましに過ぎず、時に真の正義は過激な一面も見せますが、厳しく叱ってくれた母親のように、根底には人を愛し慈しむ想いが込められています。利己主義的な正義の観念と、人道主義的な正義の観念、社会にはびこっているのは前者であり、人の心に普遍的に流れているものは後者であると信じています。ゆえにこの映画は、単に刑務所を告発した映画に留まらず、体制側(権力)に一石を投じる為の映画だったのではないでしょうか。後、法廷における茶番劇もアイロニーとして描きたかったのでは。長文、ほんとうにすみません
Commented by karasmoker at 2012-10-18 00:53
 コメントありがとうございます。
 いやはや、五ドルの件はお恥ずかしいですね。まさか五ドルくらいでそんなことになるまい、というぼくの思い込みで、間違ったまま観てしまいました。訂正します。ご指摘、大変ありがとうございます。
Commented by karasmoker at 2012-10-18 01:12
 正義にまつわるご高説を賜り、大変ありがたく思います。
 とかく「体制側の正義が勝ちやすい」世の中において、「体制側(権力)に一石を投じるための映画」というのはぼくも同意するところです。反体制、というよりも、体制が振りまく正義の像に疑いの目を持つこと、体制に抗ってでも正義と信ずることを貫くこと、そうした啓蒙的意味をこの映画は持っていると思います。ブニュ・エルさんのコメントに同意いたします。
 一方、ぼく個人としては、そもそも体制の正義なんたるものをほとんど信じていないたちなのです、むしろぼくの興味はブニュ・エルさんの言葉で言う、「個人の胸の中にある」「人心に普遍的に流れている」正義のほうにあります。さて、そんなものはあるのだろうか? という認識の揺らぎをぼくは求めるのです。
Commented by karasmoker at 2012-10-18 01:19
 違う言い方をすれば、ぼくは自分の持つ「正義」の観念を揺るがすようなものを求めるのですね(それを当ブログでは「ジョーカー的なもの」と呼んでいます)。この映画ではスレーターとベーコンに寄り添う限りにおいて、個人が信ずる崇高な正義の像は揺るがされない。だから、(ひどく乱暴な言い方を承知で言いますが)あくまでも「正義は勝つ」的カタルシスを観客に与える。ぼくが物足りなさを感じた点はそこだ、というのが、つまりは記事で述べたかったことなのです。
 もっとも、記事でも述べたとおり、それはこの映画のいい見方じゃないことも承知しております。あくまでぼくの勝手な思いです。ゆえに、この映画の良さを批判するものではまったくありません。
 簡単に言うと、ぼくの興味の置き位置とは違っていたな、ということでした。
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